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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第三部 沈む沼。溢れる湖
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第136話 空に踊る



 ユキリンは力強い魔物ではない。

 雪鱗舞。軽やかに空を舞う魔物で、カナランダ北部に生息する個体数の少ない魔物。


 美しい白い鱗は、遠目見ると姿を空と混在させ、ただ煌めきが空に昇るかのように映る。

 人間どもは毛皮や鱗の為に魔物を狩ることもあると聞いた。


 ウヤルカには理解できない。

 これは空を舞うから美しいのであって、剥がれた鱗も綺麗ではあるにしても、それの為に最も美しい姿を損なうなど意味がない。

 他の魔物でも同じようなものではないか。


 そういった価値観の違いも、清廊族と人間の争いになっているのか。



 最近は色々なことを考えるようになった。

 自慢にはならないが、ウヤルカはそれほど深く考える方ではない。日々を楽しく好きなことをして生きることが何より大事。


 山で生きる為に魔物の生態を学習する必要はあった。当たり前だけど。

 ただそれらは知識というよりも、経験により体と感覚に染みつき、それらを活かして生きるのはウヤルカにとって己の生態、本能のようなものだった。



 人間を相手にはそう簡単にはいかない。

 人間は魔物と違い、色々な道具を使いそれぞれ異なる技法を用いる。


 行動が多岐にわたり、数も多い。ただ一つの生き物の生態を覚えて仕留めるというわけにはいかない。

 個体差も激しい。魔物なら大きさの違いでおよその個体差はわかるものだが、人間は見かけだけでは測り切れない。



 それにしたって、これはないだろう。

 翼がある人間とか。個体差というのとは違いすぎる。

 何も知らなければ、こういう人間もいるのかと考えたかもしれないが。


 蝙蝠の特性を有した人間。自然に生まれたものではない。

 昨年、クジャを襲ったあれを見ていた。そのおかげで冷静に対処できるのは皮肉なものだ。


 初めて見るわけではない。

 戦いにおいて、経験のあるなしは有利不利を大きく左右する。今回はそれが幸いだった。



 警戒しすぎた部分もあったか。

 クジャを襲った敵は、ウヤルカだけでは太刀打ちできないだけの力を見せた。

 その記憶があったせいで攻めきれない。


 異形の敵を冷静に見定め、特に力を隠しているわけではないと理解するまで少し時間がかかってしまう。



「ウヤルカ!」

「あぁ!」


 ルゥナの援護を受け、動揺した敵を一匹両断する。

 ウヤルカの一撃に、囲んでいた他の敵が距離を取るように離れた。


 空中で妙に小回りの利く連中で、警戒されている状態ではなかなか斬れない。

 こちらに注意を払っているハエを叩こうとして、するりと躱されるというのと近い。

 やっとまともに切り捨てることが出来て、少し溜飲が下がる。



「ネネランをあの飛行船まで!」


 聞きなれない言葉だが、飛んでいるあれのことだろう。船だというのか。


「ギリギリじゃ!」

「構いません!」


 ユキリンが飛べる高さの限界もある。

 ウヤルカとネネランを乗せてあの高さまでとなれば、まさに限界あたり。

 無理をすれば届くだろうが、あまり無理をさせた状態では戦えるまでの余裕がない。


 極端に高度を上げるとユキリンの動きが鈍る。

 俊敏さが持ち味の魔物なので、得意な領域ではない。上空の飛行船とやらも俊敏さは全くないけれど。


 ネネランを連れて行けと言うのだから、当然そこに意味があるのだろう。ルゥナの言うことなら疑う必要はなかった。



「ユキリン!」

「Pyui!」


 ルゥナが投げた白い石をユキリンが口に捉える。

 軽い音を立てて噛み砕かれたそれは人間の命石だろう。上空に向かう力とするように。


「ネネラン、飛びいや!」

「はいっ!」


 石を投げた位置もちょうどいい。跳び上がるネネランの手をウヤルカが掴み、群がろうとする敵を置き去りに一気に上昇した。



「ありがとうございます。わはぁ!」


 ユキリンの背に乗り空を飛ぶ感覚に、感動の声を上げるネネラン。

 気持ちはわかる。ウヤルカも初めての頃はそうだったし、今でもこれに勝る爽快感は知らない。


「口、閉じとくんよ」


 ウヤルカの前に跨らせると、ユキリンの邪魔にならないよう身を低くしてしがみつく。


 羽ばたきの邪魔にもならないよう気を遣っているが、ユキリンの翼は細長い。

 飛ぶのはユキリンの魔法だ。魔物固有の魔法で、羽ばたいて飛行の力を生み出すものではない。翼は魔法を撃ち出す魔術杖のような器官なのだと思う。


 飛竜のように強靱な筋力で羽ばたいて飛ぶ魔物とは違い、舞うように空を行く。



 飛行船が見る間に大きくなってくる。

 上の大きな楕円ばかりに目が行っていたが、その下に縦長の籠のようなものがくっついていた。

 これも小さくはない。見れば川下りの船のような形をしていると思ったのは、船だと聞いたからかもしれない。


 表面を冥銀で覆っているのか、上と同じ色をしていて遠目ではわかりにくかった。



「あれに」


 時折、強い風が吹きつけるせいで姿勢が安定しない。ネネランに口を閉じるよう言ったのもこの為だが。

 あの籠船のような場所に人間どもが乗っていて、上はそれを飛ばす為の何かなのだろう。


「上、ぶっ壊せばええんじゃな」

「袋みたいで、破ればいいと」


 大きすぎるかと思ったが、袋というなら一部を破ればいい。

 それなら――



「来ます!」

「ぬっ!」


 近付いたところで、籠から複数の影が飛び出してきた。

 ほとんど同時に籠の下に何か投げられる。だらりと、縄梯子だ。


「飛んで来やがったぜ!」

「女かよ、食いてぇ!」


 三体。

 続けざまにウヤルカに襲い掛かかってくるその腕は、腹まで皮膜が繋がっている。


 一匹目を躱し、二匹目を斬りつけた薙刀は爪のような武器で弾かれた。

 三匹目がネネランに牙を立てようと迫った所を、くいっとユキリンが態勢を変えてウヤルカの足元に持ってくる。

 それを蹴り落とした。


「ぎひゃぁっ」


 落下しかけたが、どうやってか方向転換して飛行船の下に滑空していく。縄梯子を目指しているので、あそこから船に戻るのだろう。



「私も!」


 ネネランが槍を振るい、飛行船から放たれた矢を打ち払った。

 矢ではない。投げ槍だ。

 飛んでいるこちらに向けて、かなり正確に投げてくる。


「鬱陶しいのぅ!」


 最初の二匹が、再び別角度から襲って来た。

 空中での姿勢制御と多少の羽ばたきで飛ぶこの連中。下にいた蝙蝠男とは違った混じりもの。

 この高度で船から降りてしまうと再上昇できず、自分では戻れないようだ。こうして近くまで迫るまで出てこなかったのだろう。



「もう少し近付いてもらえば」

「あぁ、任せぇ」


 ネネランの騎乗は初めてとは思えないほど安定している。

 普段からラッケルタに乗り慣れているので、そこらもルゥナがネネランを選んだ理由だったのかもしれない。


 二匹への対応をしている間に、縄梯子を登った一匹が再びウヤルカに狙いを定めるが。



「っ!」


 飛行船から、下に向けて黒い球を投げ捨てる者がいた。

 続けていくつも。先ほどの爆裂の魔法の詰まったものに違いない。


「こんクソがぁ!」


 強引に、飛びかかってきた一匹を切り捨てた。


「ひゃあ!」


 普段より高い高度で、やや不安定だったユキリンの姿勢が崩れる。もちろんウヤルカも。

 そこに向けて二匹目の爪が、ウヤルカの左腕を捉えた。


「捕まえたぜぇ!」

「阿呆が」


 爪が食い込み、鉤薙刀を握るウヤルカの左腕がひどく痛む。


「捕まったんはお前じゃ」

「ぶぐ、ご……」


 ネネランが再び投げ槍を払うのを感じながら、右手で敵の喉から首を握りつぶした。



「ウヤルカ、大丈夫ですか?」


 戻って来た三匹目の攻撃をすんでのところで躱す。

 もう少しで飛行船だというのに、鬱陶しい。


「平気じゃ、こんくらい」


 腕の痛みは思ったより強い。あの爪は鋭利なことよりもどうもギザギザの返しがついていたようで、肉がいくらか削がれた。

 ユキリンもこの高度では飛ぶことに集中していて、ウヤルカの援護までは出来ない。

 痛みなど気にしていられない。ネネランを無事に送り届けるのが自分の役目だ。



「ネネラン、行けるんか!?」

「もう少しです!」

「落ちたら掴まえるけぇ、心配いらんよ!」

「はいっ!」


 ネネランが跳ぶ構えを見せて、ウヤルカもユキリンも気合を入れ直した。



「ユキリン!」

「Fii!」


 高い鳴き声と共に、一気に距離を詰めた。


「やらせるか!」


 声と共に、再び投げ槍が放たれる。

 その横から、爆発の球も落とされるのが見えた。



「慣れたわ!」


 ネネランは跳躍の構えで、ウヤルカが槍を薙ぎ払う。

 槍を投げたのは、蛇の頭をした兵士。乗っている全てが空を飛べるわけではないらしい。


「っ!」


 その投げ槍の後ろから、半呼吸の差で大蛇の頭が迫っているのに気づくのが遅れた。



「こんっガキゃあ!」


 迷っている暇はない。

 ウヤルカは身を躍らせ、飛行船から伸ばされた大蛇の頭に体当たり気味にぶつかった。


「っ!」


 ウヤルカの体ごと、ユキリンにぶつけられる。

 しまった。

 大顎に噛みつかれぬよう掴みながら、一手遅れたことを呪う。



「ネネラン!」

「大丈夫、ですっ!」


 ネネランは既に、ウヤルカの上に跳んでいた。

 ついでのように、その大蛇の体も踏んでさらに跳躍する。見かけによらずネネランは器用だ。


 だがそれでも届かない。



「もらったぜぇ!」


 最後に残っていた一匹の滑空する魔物兵士が、そのネネランに狙いを定めた。

 わずかになら羽ばたきで上昇することも可能だったか。


「俺の獲物だぁ!」

「違います」


 かくんと。

 ネネランの跳んだ軌道が、急に曲がった。



「あ、ぁ?」

「ここでっ!」


 ネネランが懐から取り出した何かを握りつぶすと、ぐんっと勢いを増してさらに跳ぶ。


「私が!」


 すぐに次を、また懐から出して潰す。


 ぐいっ、ぎゅんっと。水澄ましが水の表面を掻くように、空を跳ねて上に昇っていった。

 まるで空中でジャンプをしているようだ。



「さすがネネランじゃ」


 ウヤルカは息を吐き、しがみ付いていた大蛇の頭を潰した。


 この敵兵、どういう生き物だったのかわからないが、頭を潰すと籠の方に繋がっていたものも力を失い、今度はずるりと籠から落ちる。

 人間の体と繋がっていたようだ。これも魔物と人間の混じりものか。



「Pii!」


 落下しながら大蛇を離すと、すぐ下にユキリンが拾いにきてくれた。

 さすがにこの高さで落ちたら粉々だ。


「女ひとりで何が出来るって話だぜ」


 残っていた魔物兵士が、上昇するネネランを諦めて下に狙いを定める。

 ユキリンに拾われたウヤルカに。



「こっちを片付けりゃあお終いだぁ!」


 皮膜のついた腕を畳み、ウヤルカとユキリンに向けて加速した。


「落っこちちまえ、デカ女ぁ!」

「るっさいんじゃ!」


 突進してきたところを切り捨てようとして、腕の痛みが邪魔をする。

 ウヤルカは無視していたが、かなり深く抉られていて、痛いとかの問題ではなく腕が十分に動かなかった。


「俺のおっぱいだぁ!」

「誰が」


 大柄なウヤルカは、それなりに胸も豊満ではある。

 だが誰かのものではない。断じて、こんな下劣な人間の為のものではない。


 体の内側に畳んだ腕から、両爪を縦に伸ばしてウヤルカの胸部を目指してくる。

 胸をあの爪で抉られて生きていられるとは思えない。



「ウチはなぁ!」


 滑空の速度も馬鹿に出来たものではない。身を躱す時間はなかった。


「男なんぞ触りとうないんじゃ!」


 仕方ない。

 触りたくはないが、仕方がない。

 右手を広げて、その爪を受け止めた。


「うっぐぅ!」

「はあ、バカかぁ!?」


 その勢いを受け、またユキリンから滑り落ちた。


「馬鹿は」


 ぐいと、手の平を貫いた爪ごと敵を引き寄せる。


「わかっとるんじゃ!」


 ウヤルカの膝が、男の腹にめり込む。



「ぶふぉっ」

「言われんでも!」


 落下しながら、もう一度膝を。今度は男の顔に叩き込んだ。

 顔面の骨が砕ける感触を受け、手に刺さっていた爪を強引に引き抜く。

 そして、そのまま離した。


「いちいちうるさいんじゃ、ボケが」


 落ちていく敵に吐き棄て、拾いに来てくれるユキリンの姿を見た。



 美しい。

 日の光が白い鱗に反射してキラキラと。

 いつも見慣れているが、いつ見ても違った美しさ。


 やはり美しい魔物はそれらしく生きているのが良い。こんな戦場などに担ぎ出すことも悪い気がする。



 ネネランはどこだ。

 ユキリンの向こうの黒い飛行船。そちらに跳ねていったネネランはどこにいるのか。

 見つけて拾わなければ、この高さから落ちれば死んでしまう。


「いた!」


 ユキリンに拾われる直前に、落ちていくネネランの姿を見つけた。


 禍々しい魔槍紅喰を握り、その視線は上空の飛行船を睨みつけたまま。


「……」


 落下していくネネラン。空に健在の飛行船。

 それが意味するのは。




 血塗れのウヤルカがネネランを回収した時も、ネネランは飛行船を睨み続けていた。

 忌々しい。口惜しいと。

 その様子でわかる。


「掠った、だけでした」

「……ああ」


 飛行船の腹近くまで近づき、槍は届いたのだと。

 だが空中で姿勢は不十分。飛行船を打ち破ることは出来なかった。


「……」


 もう一度と言いたい。言いたいけれど。

 ウヤルカもかなりの深手だ。ユキリンの様子も、かなり疲労している。もう一度あの高度まで上がれるとは思えない。



「……仕切り直しや」


 諦めるわけではない。諦められるわけがない。

 だがこのままでは無理だと言うのなら、仕切り直すしかない。


「……はい」


 ネネランが使っていた跳躍する道具も、もうないのだろう。

 悔し気に頷くネネラン。唇を噛むウヤルカ。




 ――ありがとう、トワちゃん。



 不意に耳に響いた声は、とても優しい色をしていた。



  ※   ※   ※ 



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