第132話 兇手傍観
「……」
口惜しいと見るべきか。
違う。
今この状況で撃退できたことが有り得ぬほどの結果。
あれほど危険な相手を仕留めきれなかったことを悔やむよりも、親しい誰かを失わなかったことを幸いに考えよう。
「アヴィ……エシュメノ、大丈夫ですか?」
魔法を使いすぎて体が重く感じるが、ダァバの呪術を受けた彼女らが心配で歩み寄る。
「エシュメノは平気……きもち、わるい……」
その場で膝から崩れてしまう。
「エシュメノ様!」
「う、うぇぇ……」
胃液を吐き出すエシュメノに、駆け寄ったネネランが背中を擦った。
「大丈夫ですか、エシュメノ様?」
「う……うるさいの、やだ……」
「っ!」
慌てて口を閉ざし、無言でその背を擦る。
とりあえず敵の呪縛に囚われてはいない様子だ。
あれはソーシャの魔石が放った光だった。
ソーシャは伝説の魔物。その力がエシュメノを守ってくれたのだと思う。
ただ、いくら千年級の魔物だとはいえ、繰空環と呼ばれていたあの武具を使ったダァバの呪術を退けられるものなのか。
女神の軸椎、とも言っていた。神の椎骨なのだとすれば、異常な強度についてはそれで納得できる。
ダァバ自身の力も英雄に比肩するか、あるいは上回るほど。
それを寄せ付けぬほどソーシャとエシュメノの絆が強かったと言えば、もちろんそれでいいのだけれど。
「アヴィ、大丈夫ですか?」
「……うん」
こちらもかなり消耗している。顔色は最悪で、左腕はだらりと力を失ったまま。
こんな体でよく戦えたものだ。
「呪術は……何もありませんでしたか?」
「?」
「すっごく気持ち悪いこと言ってたよね。愛の奴隷だとか」
ユウラも来て、ダァバの言葉を思い起こしつつ顔を歪めている。
「……平気」
尋ねられたアヴィは、それより治癒した腕の痛みの方が気になるような仕種。
「アヴィ、貴女の愛するものは誰ですか?」
「?」
「大事なことです。あの呪術の影響が出ていないか」
最初に狙われたのはアヴィだ。
アヴィに呪術が弾かれた際、ダァバの右手も大きな衝撃を受けたように見えた。
おそらく、あの時点で既に武具に何かしら損傷が生じていたのだと思う。
ラッケルタの火閃を弾き、ネネランの槍を防いで。
その上でエシュメノに仕掛けた呪術も跳ね返されて、砕けた。
砕けたから跳ね返せたのかもしれない。
無駄ではなかった。
皆の抵抗によりダァバの仕掛けた呪術を退け、大切な仲間たちを守ることが出来た。
犠牲になった清廊族の戦士たちもいるが、それも無駄ではない。無駄にしてはいけない。
「私が、愛するのは……」
せっかくだから聞かせてほしい。
その口から、優しい言葉を。
「……あなた、たちよ」
「……」
「だめ……かしら?」
「いえ」
つい、返す声が冷たくなってしまったかもしれない。
もちろんそうだろう。アヴィはそれでいいのだけれど。
こういう時くらい、何か特別な言葉を返してくれてもいいじゃないかと。
「ケガも酷いですから休んでいてください、アヴィ」
もういい。期待したルゥナが馬鹿なのだ。
「みんな大丈夫ですか?」
あちゃあという顔で少し離れたユウラと入れ替わりにセサーカが来た。
少し離れた場所では、まだ空から襲ってくる蝙蝠男たちと交戦するウヤルカや、地上からそれを援護するニーレ達の姿がある。
そちらも楽そうではないが、劣勢という様子ではなかった。
すぐ手助けにいくよりも、少しでも体を休め呼吸を整える。次に備えることを優先しよう。
セサーカの顔色も優れない。
強力な魔法を何度も使っていて、体力に余裕などなくて当然。
敵の支配下にある町に潜入して少数での工作。体力も神経もすり減らしたはず。
「セサーカ、貴女も相当疲労が溜まっています」
「私は……はい、でもまだ大丈夫です」
気丈に答えるがやせ我慢にしか見えない。
「ミアデ、セサーカをお願いします。無理をし過ぎです」
「わかりました、ルゥナ様」
「ですが、あれがまた来ます」
セサーカが指さすのは、サジュの町とは反対の空。
かなり高く昇って来た太陽を背に、黒い塊が再び迫ってくる。
女傑を倒し、ダァバを退け。
だがまだ終わってはいない。
黒い塊。飛行船。
日が落ちるまでにあれを落とせと。
さもなければメメトハが……
「ダァバはあれに乗って来たのでしょうか」
「乗って……あれには人間が乗っているんですか?」
ミアデが聞き返したのは、アヴィの話を耳にしていなかったからだろう。
「飛行船、というようです。空を飛ぶ船だと」
ついでなので説明しておく。
かなり上空にあるので見えにくいが、確かにただ楕円なのではなく下の方には何か備え付けられているようだ。
全体が銀黒。ただ黒いのではなく金属的な黒さ。
「冥銀……ですね」
セサーカが自分の持つ魔術杖と上空のそれを見比べて言う。
色と質感が近い。
「冥銀の鎖で包んでいるのなら、魔法は効きにくいかもしれません」
ルゥナは自分の言葉を反芻しながら、疲労とは別の頭痛を覚えさせられた。
なんて厄介な。
はるか頭上にあるのに、魔法の力を受け流しやすい冥銀製の鎖帷子を纏う乗り物。
先ほど通り過ぎた際に見た限りだと、ユキリンが普段飛ぶ高さより三倍ほど高かった。
頑張れば届くだろうが、ユキリンとウヤルカだけでどうにか出来るとは思えない。
妖奴兵とやらも、まだ他にいるかもしれない。いると考えた方がいい。
「なんであろうと、あれを落とします」
どうやって。
近付いてくる黒い飛行船に、手段は思いつかない。
けれどやるしかない。メメトハの命がかかっているというのでは。
「誰か、あれを落とす方法が思いつきますか? 何でも構いません」
ルゥナとて成長している。
自分だけで思い至らないことは多く、柔軟な発想よりも理屈が先にきてしまう。
自己を正しく見つめ、不足する部分を助けてくれる仲間がいることを学んできた。
「それか、湖の魔物とやらを……」
「や、無理無理! あれはほんと無理だってば」
本気で言ったわけでもない。選択肢の一つとして示しただけ。
だけど、ユウラが思い切り首を振って大慌てで否定した。
「戦いにならないくらい強いよ、あれ。ニーレちゃんが見えないくらいの速さですごい技を飛ばすの。しゅぱぁって、たっくさん」
「……難しそうですね」
ユウラの説明を正確に理解することも難しいが、魔物に対抗することも困難なようだ。
ニーレの目はとても良い。おそらく仲間のうちでも最高レベルに。
そのニーレが見えないほどの速さとなれば、どんな技か知らないが避けることは出来ないだろう。
しかもたくさん。しゅぱぁっと。
そんなものを敵に回すくらいなら、まだ見えている飛行船を落とす方が現実的か。
飛行船の動きは十分に追えるし、降り注ぐ爆裂の魔法も目に見える。
無数に頭上から落とされて危険なことは間違いないし、やはり反撃の手立てが見つからないが。
改めてニーレの様子を見れば、何としてでもあの飛行船を落とそうと鬼気迫る様子だ。
彼女の矢でも届かない。とにかくまず襲ってくる蝙蝠の妖奴兵を減らすことに集中している。
少しばかり意識を向けすぎているような雰囲気も感じるほど。
蝙蝠の妖奴兵。
人間と蝙蝠の魔物の混じりものに違いない。
力そのものはそこまで強いようではないが、空中での動き方が独特に見える。
蝙蝠に矢を当てるなど、よく考えたら相当難しい。
それでも数体はニーレの矢で射落とされ、その為に残った妖奴兵から警戒されて当たらない。
それで苛立っている様子でもある。無駄な矢が多い。
「ウヤルカは……無理ですね」
同じく警戒されているウヤルカは五体の妖奴兵に代わる代わる攻撃を受け、なかなか攻勢に出られない。
彼女らの動きを制限し、その間に敵は他の清廊族の弱い部分に攻撃、牽制をしていた。
嫌な戦い方をする。
「あれではニーレが持ちません」
氷の矢は少しずつニーレの体力を使う。無駄に撃ち続ければ疲労が溜まり、集中力を欠けば危険が増す。
「あたし、行ってくる!」
「ユウラ」
止める間もなく駆け出すユウラ。
「だいじょうぶっ! あたしまだ元気だし、ルゥナ様はあの黒いの落とす方法考えて」
今、この中で体力的に余裕があるのはユウラに違いない。
そうでなくともニーレの傍にいたいのだろうし。
戦う力そのものは目を見張るものはないが、ユウラも一流の戦士だ。
それ以上に、皆の助けになってくれている。
ユウラの背中を見ていると、手掛かりがなく塞ぎそうだった気持ちが柔らかくなった。
「冷やせば……ううん、上空は寒い」
アヴィが呟き、唇を噛んだ。悔しそうに。
思いつきを自分で否定して頭を振る。
「どうやって飛んでるの、あれ?」
ミアデが不思議そうに首を傾げる。
「温かい、空気のような……そういうものが詰まっている、はず」
「湯気みたいに? アヴィ様は物知りですね」
本当に。
どこでそんな知識を得たのか、これももしかして姉神の知識の源泉というやつなのかもしれない。
アヴィ自身、説明しにくそうにしている。
「金属……だから高度はそこまで……魔石でガスを……」
ぶつぶつと呟きながら考え込んでしまい、声を掛けるのが躊躇われる。
「泡玉のようなものということですね」
金属の塊ではなく、中身は空気。
旋回してくる速度が思ったより遅いのは、風向きのせいか。
魔石を利用した道具で勢いは補っているようだが、帆船と同じく風に対して正面には進めない。今はこちらから見れば風下側にある。
角度を調整して方向を変えたので、大回りにならざるを得なかった。
「袋のようになっていると。鉄の塊ではなくて」
「そう、空気より軽い……空気が入って」
「? 軽い空気、ですか」
妙な言い方をする。湯気なら上に昇るのはわかるけれど。
「破れば、その空気が抜けるのでは?」
セサーカの言う通りではあるのだが。
「あの冥銀の鎖帷子を貫いて、ですけど」
自分でもわかっていたらしく、セサーカが唇を噛む。矢が届かない高度で、当然刃も届かない。
唯一届きそうなのはウヤルカくらいだが、単独であれに近付き出来るかと考えると……
「ラッケルタの炎も、あそこまでは届きません。届いてもほとんど意味がなさそうです」
至近距離でラッケルタの火閃を直撃させれば、冥銀の鎖帷子とはいえ穴を穿つことは出来る。
「飛べませんし。ラッケルタは」
残念そうなネネランの声。
「いえ、ネネラン。ラッケルタもかなり疲れています。先ほども連発してくれました」
魔物であるラッケルタの疲労は色などには現れないが、いつもより頭の位置が低い。姿勢全体が下がり気味。
かなり疲労しているはず。
「その辺りの人間なら食べて構いませんから、ラッケルタを労わってあげてください」
「ありがとうございます。食べていいって、ラッケルタ」
『Quu』
まだ力を借りなくてはならないかもしれない。少しでも体力を回復させておいてほしかった。
ネネランはエシュメノに寄り添ったまま。
吐くのは治まったものの、エシュメノは具合が悪そうだ。これも仕方がない。
「……ネネラン、飛べませんか?」
「ルゥナ様には申し訳ありませんが、少ししか」
少しは、飛べるらしい。
「少し……ですか」
近付いてきた飛行船の下部に、よく見れば小さな影が動いている。
手の届かない場所から攻撃を加えようと。
安全な場所から魔法を放ち高みの見物。
なるほど、不愉快な。
ヌカサジュの主が何を指したのか知らないが、これは間違いなく不愉快な光景に違いない。
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