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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第三部 沈む沼。溢れる湖
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第129話 西の空より降るもの



 人間どもが撤退していく。

 グリゼルダの指示が飛ぶと、すぐさま我先にと背を向けて。


 整然、というのとは違う。不格好だが、結果的にその敗走は揃って速かった。


 追えば逃げる兵士を多く討ち果たすことも出来るだろうが、追えない。

 一度、仲間の戦士たちの配置と呼吸を整え直す。それが先決だ。


 サジュから出てくる住民たちと戦士たちも合流して、先に砦で解放した戦士たちと言葉を交わしている。

 再会を喜ぶことと、ルゥナの指示に従うようにと。

 パニケヤやメメトハの名を口にしているのも聞こえる。



「戦いに不慣れな者は後ろに! 魔法を使える者や大弓の得意な者を守るように布陣を!」


 近付いてくる敵は空にある。

 また、その周囲を他の魔物がいくつも舞っていた。


「人間どもの残していった武器で構いません! 弓があればそれを」


 遠距離攻撃が必要で、それに集中していればあの魔物が襲ってくるだろう。


「ミアデ、サジュの戦士にあれの話を聞いておいてください」

「はい、ルゥナ様」


 サジュの戦士たちはあれと交戦しているはず。その情報収集よりも優先しなければならないことがある。


「アヴィ」



 エシュメノが、大地に転がる屍の胸を手で貫いた。

 倒した敵から命石を抉り出す。

 使い道はなんとも言えないが、特に強者のそれは何かの役に立つだろうと。


 強敵を倒したというのに、なぜかエシュメノの頬には涙が流れている。

 気になったが、それよりも。



「アヴィ、大丈夫ですか?」

「あ、うぁ……」

「待ってください、魔法薬がありますから」


 意識が朦朧としている。

 敵の攻撃を受けて倒れたアヴィに対して、守りについた戦士たちはどうすべきか迷っていた。


 左腕は砕けて潰れかけている。

 鼻血を出して頭も強く打っているようだ。動かしていいのかどうかと。


 魔法薬とてどう飲ませればいいか。



「アヴィ、しっかりして下さい」


 とりあえずルゥナの服で顔中を流れる血を拭い、先の砦で入手した魔法薬を口に含む。

 ルゥナの口から、流し込んだ。


「ん……」

「む……んくっうぶ」


 咳き込みそうになるその体を抑えて、そのまま。



 苦労したけれど、先にあの砦を落としてよかった。

 予備の魔術杖や薬などがあったから、こうして戦いを続けられる。

 傷ついたアヴィを癒すことも出来る。


 アヴィの喉を魔法薬が通り、呻くアヴィをなるべく痛まぬように抱きしめる。



「うっうあぁ……」


 びくんと震えた。

 冷や汗が浮かび、苦痛にさらに呻く。


 怪我が癒えていく過程で痛みを感じているのだ。

 可哀想だけれど耐えてもらうしかない。

 左腕はひどい状態だった。貴重な魔法の治癒薬とはいえ、すぐに元通りにはならない。


「アヴィ、大丈夫です。大丈夫ですから」

「うっ……あ、うぁっく、ぅ……」

「敵はエシュメノが討ちました。もう大丈夫ですから」


 アヴィに言い聞かせているのか、自分に言い聞かせているのか。



 言いながらも不安が広がる。

 空から近付く黒い巨体の姿が大きくなるに連れて。

 あれは何者なのか。

 魔物も使役しているようで、また呪枷を使っているのだろう。


 小回りの利く魔物を従えた黒い巨体。

 日の光を照り返すその姿は――


「……金属?」


 近付いてきたのでわかったが、生き物の表皮には見えない。

 鱗のようにもみえなくもないが。金属質な何かを着ている……だとしても、巨大すぎる。


「……」


 呼吸が次第に穏やかに変化していくアヴィには安堵を覚えるが、上の巨体から感じる不気味さは更に増した。



 すでにサジュの町中から東大門近くまで来ている。

 飛竜であれば、とうに町を通り抜けていただろう。速度はあまり速くない

 鱗のように見えた表面の模様が、鱗ではないと確認出来た。



「鎖……ですか」


 鉄の装甲ではなく、非常に目の細かい鎖で編み込まれた楕円形の袋のようなものだ。

 空を飛ぶ魔物にそれを被せて、鎖帷子のようにしているのか。


「生き物では、ない?」


 飛び方も風任せというか、羽ばたいたり脈動したりという様子がない。

 見たことはないが、あれは人間が作った空を飛ぶ道具なのでは。



「ルゥナ様! 絶禍の嵐を、すぐに!」


 叫び声を聞いて即座に魔術杖を手にする。叫んだのはミアデだったか。

 握り締め、疲労のせいかやや眩暈を覚える。先ほどからの戦いで強力な魔法を連発してしまった。


「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐!」

「う……」


 アヴィを抱きかかえたまま魔術杖を空の黒い塊に向けた。

 氷雪を伴う暴風が、空飛ぶ黒い塊から落とされた無数の礫とぶつかる。


「なに、ですか?」


 清廊族が身構える辺りに投げつけられたそれらが、ルゥナの魔法で軌道を変えた。

 サジュの東大門よりやや南に流れて、まだ残っていた櫓や柵辺りの上で。



 ――‼



「うぁっ!?」


 爆炎と共にはじけ飛んだ。

 一つ二つではない、全てが。

 突然の光に目が眩み、思わず声が漏れてしまう。


 無数の爆発。それぞれが中位の魔法使いが放つ魔法のように、数十と。

 それだけ重なればもう中位の魔法どころではない。上位を超え、勇者級やそれ以上の力を有する。



「なにが……それで人間どもは撤退を……っ」


 随分と引き際がいいと思ったのだ。

 敗色濃厚だったからかと考えたが違う。

 この爆発を知っていたから、巻き込まれることを怖れて背を向けて逃げ出したのか。



「東大門が……」


 誰かが震える声で言った。

 今の爆発の余波で大門の支柱が壊れたらしく、崩れていく。


 まだ中には清廊族がいるはず。セサーカやトワ達も。

 運が悪ければ今の爆発に巻き込まれているかもしれない。


「トワ」


 膝の上のアヴィを見る。ルゥナはどうすべきなのか。

 アヴィはまだ苦し気に目をきつく閉じて、顔色もひどい。



 そうしている間に、今度は頭上に近付いた上の塊から同じく礫が放たれる。

 礫と思ったが、よく見れば一つ一つは鍋ほどの大きさがあった。

 鉄球のようなもので、何か燻っているようにも見える気が。


「く、もう一度」

極冠(ごっかん)叢雲(そううん)より、降れ玄翁(げんおう)冽塊(れっかい)


 崩れた大門の辺りから、凛とした詠唱が響いた。


 百近い拳大の氷玉が、降り注ぐ鉄球に向けて撃ち出され、遠くに吹き飛ばす。

 今度は町から離れた方向に。


 清廊族の固まる辺りから離れた所に飛ばしたのは、さすがの腕だ。

 魔法の腕ならルゥナを上回る、頼れる仲間。



「セサーカ!」

「まだあります、ミアデ伏せて!」


 全てを打ち払えなかった。

 二つ、氷玉の嵐を抜けて落ちてくる物が。


「ふっ!」


 氷の矢がほぼ同時にいくつも走り、その鉄球をやはり遠くへ弾く。


「うおぁ!?」


 弾かれた鉄球が空中で破裂して、その衝撃が清廊族の戦士たちを襲った。

 あの爆裂の魔法は連続で放てるのか。



「ちぃっ!」


 今ほど矢を放ったニーレが、門から出てきた辺りから上空を狙って射る。


 だが、敵の姿は遥か上空。

 ニーレの矢が届いたのかどうか。届いたとしてもまるで有効であったようには見えない。



「気ぃつけぇや!」


 ニーレの矢の後に、ウヤルカとユキリンが空を横切る。


「他のが来るんよ! なんやユキリンが落ち着かんのじゃ!」


 黒い巨体が頭上を過ぎ去り、代わりに今度はその周囲を飛んでいた魔物が向かって来た。



 ユキリンの様子がおかしいとウヤルカが言うのなら、それは気のせいではないのだろう。

 近付いてくる魔物に見覚えはない。

 ロッザロンド大陸特有の魔物なのかもしれない。


 細長い手足を持ち、背中の翼も妙に薄いというか皮を伸ばしただけのような姿。

 そして、手には二股のフォークのような槍を持っていた。

 道具を使う魔物というのは確かに存在するが、武具として作られた槍を使うなど聞いたことがない。



「ひゃぁっほぅ!」

「ひぃぃはあぁ!」


 口々に叫びながら、嗤いながら。


「なんじゃ、こいつらは!」


 空を飛んでいたウヤルカが真っ先に標的に。

 突き出される二股槍をウヤルカが鉤薙刀で打ち払い、ユキリンが体をひねって躱す。



「おぉっ!?」

「女のくせに馬鹿力だぜぇ!」

「喋るんか!」


 数匹がウヤルカに、他は地上にいた清廊族たちに襲い掛かった。

 言葉を話す魔物。

 千年級のというわけでもなさそうだが、なんとも不気味な。


 妙に長細い二本の手足に、皮膜のような羽……そう、蝙蝠のよう。

 口はやけに大きく、牙が目立つ。だけれど。



「人間……ウヤルカ、人間です!」

「そうみたいじゃね!」


 ウヤルカの一撃に態勢を崩す一匹だが、他から二匹がウヤルカを牽制して仕留められない。

 魔物とは違い連携して戦う。


 飛竜騎士は飛竜に騎乗していたわけだが、これらは自分の翼で飛ぶ。

 今まで戦ったことのない種類の敵だ。



「ウチはええ! 戦えんもんを守るんじゃ!」


 自分を援護しようとする戦士たちに、構うなと。

 一匹ずつはそこまで強いわけではない。数が数十いて連携されるのは厄介だが。

 問題はどれだけの数がいるのか。それと、空から降り注ぐ爆裂魔法。


 果たして、それだけなのか。



  ※   ※   ※ 



「ルゥナ様!」


 門の方から駆けてくるユウラの姿があった。

 怪我をしている様子はない。

 爆発で門が崩れる少し前に出てきていたらしい。セサーカ達もそうだったのだろう。


「ユウラ、無事で良かった」

「アヴィ様が!?」

「大丈夫です、薬を飲ませました。何があったのですか? メメトハは?」


 まず確認しなければならないのはメメトハのことだ。状況を弁えずユウラが助けろと言ったのだから。



「メメトハは無事なのですか? あの黒い中に?」

「違うの。湖の魔物が怒ってメメトハを殺すって言って、だけどあの黒いのをやっつけたら許してくれるって」


 ユウラも焦っている。

 珍しく早口で説明しようと続けるが、混乱していて言葉が足りない。


「わかりました、ユウラ」


 わからない。

 けれど、わからないと言ってしまえば、ユウラはさらに混乱するだろう。

 この子は少し冷静さが足りない。


「その湖の魔物というのは何です?」


 一度わかったと飲み込んでから、不明なことを訊ねた。



「あ、ええと、ヌカサジュの主だってメメトハが言ってた」

「ヌカサジュの……」


 御伽噺のような話で、過去に聞いたことがあったような気もする。


「大きな魚の魔物で、湖を堰き止めたからってものすごく怒ってて」

「そう、でしたか」

「みんな殺すって言ったんだけど、メメトハが自分がやったから自分だけを……ルゥナ様、メメトハを助けて」

「わかっています、ユウラ」



 メメトハではない。ルゥナの責任だ。

 湖を堰き止め、町に氷を張る下準備にした。指示したのは自分なのだから、湖の主の怒りを受けるのもルゥナであるべき。


「それで、その魔物があれですか?」


 巨大な魚の魔物。

 想像しにくいが、確かに空に浮かぶ黒い塊は魚と言えばそうかもしれない。


 表面が鱗のようにも見えるが……いや、ヌカサジュの主だとすれば人間の味方をするのもおかしい。



「違うの。流白澄(ながしらす)ってメメトハは言ってたけど、白い奴。あの黒いのを落とせば許してくれるって」

「なるほど、そうでしたか」


 流白澄は巨大な魔物ではない。腕の長さ程度の長細い魚で、この湖や川辺りに生息する普通の魚だ。鱗がないので少し見かけは変わっているが。

 それを巨大にしたものなのだと理解する。空を飛ぶあれとは別。



「日が暮れるまでに不愉快なあれを落とせば、罪を流すって」

「わかりました、ユウラ。貴女は休んで下さい」


 話は大体理解できた。


 人間との諍いの為に、伝説の魔物の領分を侵し、その怒りを買った。

 怒りを鎮める条件として、人間どもが使っているあれを落とせと。

 流白澄の魔物ということであれば、空を飛ぶことは出来まい。不愉快でも、空高くにあるものに有効な手段がないのか。


 不愉快。

 伝説の魔物がそう感じる何かがある。

 落とせと言った。殺せではなくて。

 やはりあれは生き物ではないのだろう。



「ひこう……せん……」

「アヴィ」


 ユウラと話している間に意識が戻ったのか、アヴィが小さく呻く。

 顔色は悪く細かな汗が額から首に浮かんでいるが、声が聞けてとりあえず安心した。


「大丈夫ですか?」

「ん……飛行船。人間が、乗ってる……」

「知っているのですか? 飛行船……あれが船?」


 言われて、改めて空の塊を見上げる。


 こちらの頭上を行き過ぎ、今は僅かに南に傾いているようだ。

 向きを変えようと言うのか。

 言われてみれば、船のように見えなくもない。



 清廊族は大きな船を持たない。

 人間は、百から千の人間を乗せるような巨大な船を造る。


 ルゥナが過去にこの西の海に漂着した船の残骸を見た時、ずいぶんな大きさだと感じたものだ。

 空に浮かぶそれは、その船よりも十倍ほど大きいように見えるけれど。


「わかりました。アヴィ、今は休んでいて下さい」


 あれが何者であろうが落とすことに変わりはない。

 今のアヴィにはそんな力はない。体を休めてもらわなければ。



「ユウラ、アヴィをお願いします。エシュメ――」

「違うルゥナ!」


 どうにか手立てを考えようとエシュメノに声を掛けようとして、警戒の声が返された。


 はっと身構え、エシュメノが睨む先を見る。


「敵!」

「清廊族の壱角とは、また珍しいものを見られたね」



 敵がいた。

 いつからなのか、ルゥナたちが集まる場所から十数歩離れた辺りに、まるで地の底から湧き出たように。


 灰色の外套で全身を覆い、顔も見えない。


「あの女傑を倒すなんて、君が今代の氷乙女なのかな?」

「馴れ馴れしい……」

「ルゥナ、油断しちゃダメ」



「いや……違うな。君はただの珍しい壱角。氷乙女はその女の子か」

「不愉快な人間が!」


 外套の中の目がアヴィに向けられ、ルゥナの神経を逆撫でする。


 傷ついたアヴィを守らなければと思う気持ちもあった。

 ただそれとは別に、異様な気持ちの悪さ。

 敵意や殺意とは違う、卑猥な興味関心の目をアヴィに向けられて。



 苦し気に息を吐きながら膝立ちになるアヴィ。その前に立って敵の視線を遮る。


「なにも――」


 問い質そうとして、今ほどの会話を反芻した。



 ――清廊族の壱角。

 ――今代の氷乙女。


 なんだ。

 人間の言葉にしては奇妙に思える。



 ――馴れ馴れしい。


 そう言ったのは自分だ。

 敵のくせに、不愉快な距離感で話をするなと。そう感じて。




「お前は……何者、ですか?」


 尋ねるのが躊躇われて、声が震えぬよう魔術杖を握り締めて抑える。

 嫌な気配と、嫌な予感。

 ぞわりと毛穴が開くような感覚。



「ふふっ、僕かい?」


 灰色の外套に包まれた体躯は決して大柄ではない。

 ルゥナと同じ程度の背丈で、体重もそれほどあるようには見えなかった。


「喜びをもって迎えるといい、清廊族」

「……」

「君らの王がこの地に戻ったのだ」


 痴れ事を。

 言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。



 戻った(・・・)

 そう言ったのか。



 天を仰ぐように姿勢を上に逸らす。

 灰色の外套から見えた顔は、皺だらけの老人。

 年を重ねたその肌もまた、焼き尽くされた灰のような色で。



「この世界の神、ダァバだよ」


 その瞳だけが膿んだ血のように赤く(いろ)づき、ぬめるように輝いて。



  ※   ※   ※ 


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