第124話 策士の綱引き
策と呼べるか、賭けだと言われても仕方がない。
サジュの住民たちの決起を促す。
たとえばそれが人間同士の争いだったなら、住民が立ち上がる可能性は低かっただろう。
けれど違う。
人間と清廊族は別の種族で、その二つ種族の間に用意されている道は暗く陰鬱な道と、凄惨な血と死の道。それだけ。
融和など有り得ず、恭順したところで未来はない。
人間の認識の甘さもあった。清廊族は非力で、人間に従わされる生き物だと。
きっかけと手段さえ与えれば爆発させることは出来る。ルゥナの考えは間違っていなかった。
ごく少数で侵入させた仲間と、湖を堰き止めるメメトハたち。
彼女らに対する信頼なら言うまでもない。難しいことを頼むことになってしまうけれど。
必ずやってくれる。確信ですらなく、決まっている。
問題があるのは、正面側だ。
敵と正面からぶつからなければならない。
どれだけの数が初動で出てくるのか、どれだけ増えるのか。
何より、敵の主力級の戦力をどうするか。
前回のように、敵の英雄だけを釣り出すようなことが出来ればいいのだが。
単独にさせればこちらの主力全員で叩くことも可能だが、そう簡単にはいかない。
溜腑峠でも、もし段取りと違えば即座に撤退の予定だった。英雄級の戦力への対応は難しい。
どうしてもある程度は真正面から戦わなければならない。
ユウラが教えてくれたようにサジュの町の住民に自由が利くのなら、彼らの協力を得る為にも時間が必要。
敵の目を、こちら側に引き付ける必要があった。
アヴィしかいなかった。
敵には女傑コロンバ以外にも戦力がある。中には上位の冒険者や勇者級の相手もいるだろう。
エシュメノ達でそれらと戦うとして、割ける手は少ない。
氷の足場など苦し紛れだ。多少なり助けになるのなら、そのわずかが生死を分けることもある。
それでもコロンバという女は強敵で、アヴィでも及ばない。頭一つ二つ上の存在。
予想はしていたが、人間側が強引な攻勢に出なかったことが幸いした。
薄暗い早朝の襲撃に対して、まずは守りの構え。
ウヤルカが上空を巡り、サジュの内部がうまく進んでいると教えてくれる。
町の方からも、雪鱗舞に乗って戦うウヤルカが見えていたのだろう。門から溢れて来ていた兵士が次第に減り、代わりに清廊族の姿が。
混乱の中、前線に出ていた敵の指揮官は状況を把握するのが遅れた。
「ライムンドはいったい何を……」
忌々し気に顔を歪める女指揮官。
「やってくれましたね、影陋族」
「そうして相手を見下すから事実が見えないのです、人間」
勝手な蔑称で、清廊族を人間に従属する種族だと決めつけて。
高みに立ったつもりで足元を見ずに色々ものを足蹴にして、バランスの悪い種族だ。
そこに踏み躙っている者にも意思があるのだとなぜわからない。
だから身を持ち崩す。
「蔑む相手にやり込められて、どんな気分ですか?」
「……舐められたものです」
ルゥナにもたまには鬱憤を発散したい気持ちもある。
こちらの思い通りに運び、憎い敵が舌打ちしている。なら少しは意地悪も言ってやりたい。
清廊族の戦士は、数は少ないが皆が精鋭だ。
サジュの町から出てきているのは、普通の住民だけでなく戦士たちの姿もあった。
少なくとも人間で言うなら下位の冒険者程度の力はある。熟練の戦士なら中位や上位にも届く。
勇者、英雄級までは少ないにしても、同数程度の兵士相手に負けるはずはない。
皆それをわかっているから、戦況を見て一気に士気も高まった。
「コロンバを、甘く見られては困りますね」
女指揮官グリゼルダは、溜息交じりにそう言った。
「知るといい」
冷たい声に、ぞくりとした。
「本当の英雄の力を」
「舐めるんじゃあないよ! 奴隷どもがぁ!」
破裂した。
血肉が飛び散り、ルゥナの頬にも掛かる。
「なん……っ!」
「うらぁぁ!」
もう一度、破砕音と共に清廊族の戦士たちが数十、宙に撒き散らされた。
右と、左。
それぞれ一振りで、数十名の戦士を薙ぎ払い、叩き殺す。
とてつもない速度の落石でもぶつかったかのように、清廊族の戦士たちの集団が大きく抉られた。
「っ!」
「コロンバがいる限りイスフィロセに敗北はありません!」
「お、おぉ!」
「コロンバさんに続けぇ!」
喝を受けた人間の兵士たちが、呑まれかけていた勢いに反するように声をあげていく。
逆に、一呼吸で多くの仲間を肉塊に変えられた清廊族は、勢いを失う。
「こんな力技で」
「こういうのも戦いなんですよ、影陋族のルゥナ」
コロンバは、二撃を放った直後にまたアヴィへの攻撃に戻った。
手にしたマフラーで器用にそれを受け流すアヴィだが、反撃の余裕は全くない。
今の攻防は、全体の流れを引き戻す為にそうしたのか。アヴィへの手を少し緩めてでも兵士たちを鼓舞するように。
コロンバがいれば勝てるとわかりやすく見せることで、士気を逆転させられた。
「戦況を決定づけて彼女の支援に向かうつもりだったのでしょうが、当てが外れましたか?」
「……なら、ここでお前を殺すまでです。グリゼルダとやら!」
仕返しのような言葉を撥ね退けて斬りかかる。
「なるほど」
ルゥナの剣撃を受け流し、退き気味に構えるグリゼルダ。
「確かに貴女は強い。私よりも」
ですが、と首を軽く振ってうねる髪を後ろに流しながら続けた。
「防ぐだけなら、出来ないことでもないですね」
守りに徹した相手を崩すには、相手よりもかなり上回る必要がある。
ここで敵の主力であるグリゼルダを倒せば勢いはこちらにまた戻るだろうが、そうはさせないという。
今までアヴィがやっていたことだ。自分より強大なコロンバを相手に。
戦況に余裕が出来ればルゥナがアヴィを助けに入る。そういう予定だった。
そうしている間に他の誰かも手が空けば、と。
ここで拮抗してしまうようでは、アヴィが潰されてしまう。
「お前などに!」
連続での剣撃に蹴り足を加えて、グリゼルダを崩そうとするが。
「リズムが」
「っ!」
慌てて退いた。
グリゼルダがその蹴りの軸線に刃を立て、ルゥナの足を斬りつけようと。
「単調よ」
焦って攻撃すれば隙が出来る。力はルゥナが上でも、グリゼルダという女も侮っていい敵ではない。
「く、この……」
アヴィを助けに行かなければならないのに。
砕けた氷に星振の響叉を放ち、細かい氷で敵の視界を奪う。そういう手段も用意していた。
今この集団に、星振の響叉を放てる魔法使いはいない。皆、サジュの町か湖ヌカサジュだ。
セサーカ達はまだか。メメトハは……
「ルゥナ!」
怒鳴られた。
「集中するの!」
叱られた。
幼さの残る、涼やかな声。
混沌とした戦場に、鳥の声のように響き渡る。
「目の前の敵をちゃんと見なきゃダメ!」
「……エシュメノ?」
前線で、敵の手練れと戦っていたエシュメノが叫んだ。
視線はこちらを向いていない。
エシュメノは直感が優れている。感覚で、ルゥナの心境を読み取ったのかもしれない。
「言われていますよ」
「……」
揶揄するようなグリゼルダの言葉は無視した。
「ネネラン!」
「はい、エシュメノ様!」
エシュメノは知恵が回る方ではない。そういう性分ではないが、本当に勘がいい。
考えに詰まったルゥナと比べるなら、きっとエシュメノの方が正しいのだろう。
「こいつ任せる!」
「お任せ下さいエシュメノ様!」
嬉しそうな、本当に狂喜しているようなネネランの声。
「エシュメノが頑張るから、ルゥナも頑張れ!」
「……はい、エシュメノ」
思わず笑ってしまう。
こんな戦場の真っ最中で、笑みが零れた。
エシュメノの言葉は、色々と足りないけれど。
だけどわかった。彼女の言いたいことは。
「そう、ですね。エシュメノ」
冷静さが足りなかった。
「……あの小娘に何が出来ると」
「つい見失っていましたが」
やれやれ、と。剣を鞘に納める。
代わりに背にあった魔術杖を手にして。
「焦っているのはそちらも同様……当初の戦力比から見れば、既に我々の勝利のようなものでしたね」
「……」
挑発されていたのは、敵とてかなり追い詰められていたからだ。
余裕があったわけではない。
アヴィのことを心配するあまりに全体が見えなくなっていた。
状況はほぼこちらが有利。敵は後手に回り、力技で状況を解決しようとしているだけ。
戦いの趨勢がこちらに傾いてきているのなら、ルゥナ以外の余裕のあるところからアヴィの支援を回せばいい。
エシュメノかミアデなら。
人間の脅威である数の優位がなくなりつつあるのなら、エシュメノの穴はネネランたちに埋めてもらうことも出来る。
それでは全体の戦況がまた悪くなるかもしれない。そういうことなら、別に思い悩むことなどなかった。
「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」
「面倒な!」
何もルゥナがグリゼルダとの一騎打ちにこだわる理由などないのだ。
剣で仕留められないなら、彼女の周辺もろとも攻撃する魔法を使えばいいのだから。
決定打にならなくとも、その方がはるかに戦況を良く運ぶ。
「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉!」
「くうっ!?」
続けて放った魔法は、グリゼルダの剣で切り払われた。
「なんて魔法、を……」
連発は出来ない。
だが、激しい振動を与えるその魔法はグリゼルダの腕にまで衝撃を残したらしく、その動きが止まる。
「私は別に剣士ではないもので」
剣での勝負に固執する理由はなかった。
だが、動きを止めたのならまた別の話。
即座に、再び剣を抜いて斬りかかったルゥナをかろうじて防ぐグリゼルダだが、押し込まれて背中から倒れる。
「グリゼルダ様!」
「邪魔ですよ!」
庇おうとする兵士を切り捨て、またその次も切り伏せる。
ルゥナの活躍を目にしたからか、後方の清廊族たちもまた勢いを増していくのがわかった。
エシュメノのお陰だ。彼女は本当に勘がいい。
「こんな、影陋族なんかに……っ!」
庇われた間に立ち上がり構え直すグリゼルダが、恨みの言葉を吐き棄てる。
「そうやっていつまでも!」
見下し、蔑んで。
そうしている間に、ルゥナはまた魔術杖を手にしている。
「谿峡の境間より、咬薙げ亡空の哭風」
「ぶ、ぶぼぼぁっ!?」
ルゥナが放った魔法は、ミアデと打ち合っていた敵の強者を横から飲み込み、ずたずたに磨り潰した。
「ライメダ!」
ミアデよりは上手だったようだが、横から襲って来た魔法に対処しきれない。
ルゥナとそのライメダとやらの間にいた兵士が死角になっていたこともある。
被害者からすれば、斜め後ろに立っていた兵士が、猛烈な回転と共にぶつかってきたような感覚だっただろう。
濃さの極端に違う空気の渦に巻き込まれて死ぬ時に意識があったのなら。
「助かりましたルゥナ様! うりゃあぁっ!」
横取りしてしまった形だが、気にした様子もなく次の敵へと向かっていくミアデ。
「確かに」
ふっと笑って見せた。
「私は貴女より強いですね、グリゼルダ」
「……」
歯軋りの音が心地よく聞こえるのも珍しい。
「……そう、ですか」
「?」
続けて独り言を吐いたルゥナに、グリゼルダが疑念の色を浮かべる。
彼女はまだ見えていない。
見えていなくて当然だ。ルゥナにだって、それはまだ見えていないのだから。
確認できたのは別のこと。
ウヤルカが、ユキリンに跨り錐揉みするように空を横切った。
二度、三度と。
敵の攻撃を避けているとか、そういうことではない。
「……」
焦りはない。焦っても仕方がない。
エシュメノたちのお陰で冷静になっていなければ、さらに悪手を指していたかもしれない。
不利なことでも、想定していたことなのだから。焦る必要はないのだ。
(来ましたか)
ウヤルカの合図は、正体不明の巨大な敵の存在を知らせるものだった。
※ ※ ※
冒険者ライメダとライムンド将軍は、同じ地域の女性名と男性名ですが血縁ではありません。
すみません、名前の語感は直近で被らないようしていたのですがうっかりです。