第119話 使える手数(挿絵)
「トワは大丈夫かしら」
少し前に喧嘩をしてしまった友のことを考え、そんな場合ではないと首を振った。
今はとにかくやるべきことをしなければ。
仲間たちは、ろくに魔法の支援も受けられずに厳しい戦場に置かれているはず。
セサーカは自分を落ち着かせようと軽く胸を叩き、呼吸を整える。
遠くの空に、朝日に照らされる白い鱗が見えた。
細長く美しいあれは雪鱗舞だ。遠目だが、ウヤルカの姿も小指の先ほど確認する。
くるりと、町から見て南側に向けて一度、二度。セサーカから見て右回転で回った。
うまく行っているという合図だ。
状況により作戦に変更があるかもしれないと、ルゥナが合図を決めた。
声の届かない場所でも状況がわかるのはとても助かる。
「いい調子です」
言葉に出すと、自分も安心する。
聞いている者も。
「そのまま続けて下さい」
「はい、わかりました。次は……」
サジュの住民が、別の者から魔術杖を受け取って息を吸い込んだ。
「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」
セサーカから見れば強い力ではないが、白い冷気が道に伝わっていく。
既に凍り付いた大通りを、さらに凍てつかせて。
――なんだ、ドアが開かないぞ。
――何か引っ掛かって……うぉっ!?
あちこちから響いてくる声。
人間どもの声が聞こえる方に走る。
凍った足場でも走りやすいのは清廊族の特徴らしく、逆に人間どもはその足場に滑り、倒れる。
「なんで凍って――えぶぇっ」
「え、影陋族が何をじゅぶ」
見つけ次第それらを叩き殺していった。
十分な威力で、何度も続けて魔法を使える資質、力量を備えた者。
魔法使いとして戦えるだけの力を持つ者は少ない。
けれど、やや不足する力で、一度や二度の魔法を放てる者は?
そういう条件なら、割合は圧倒的に増える。
そして、ユウラに指摘されたルゥナの勘違い。
――人間の呪枷って、そんなにたくさん簡単に出来ないよ。
何となく思い込んでいたのだ。捕らわれた清廊族が隷従の呪いで自由がないものだと。
先の砦に囚われていた百の虜囚は、全員呪枷をつけられていた。あれは戦う力を持つ者だから、そうしていたのだと。
実際、捕虜からも確認した。
呪枷の無駄だからと、殺された戦士も少なくなかったと。
無駄だから。そんな理由で。
憤る気持ちもあるが、それも後にする。
ユウラやニーレは人間の牧場で生まれ育ち、呪枷という忌まわしい道具が安価ではないと知っていた。
五千ほどのサジュの住民が、全て呪枷を着けられているとは考えられないと。
占領してまださほど時を過ごしていない。
おそらく多くの住民は軟禁のような形で閉じ込められているだけではないか。
殺されていないかという疑問もあったが、人間は清廊族を奴隷として売り買いするような商品として見ている。
抵抗しなければ無闇やたらに殺したりはしないだろう。
町の中に味方がいる。
武器を奪われ、何をすべきか状況がわからないだろうが。
戦う力はあまりなくとも、ちょっとした魔法なら使えたりするのではないか。たとえば清廊族の得意な氷雪系の魔法とか。
魔法の詠唱は物語だ。
幸い、永劫の白霜という童話は清廊族ならほとんどの者が知っている。
知っている物語の魔法なら、一度手本を見せれば使える者も出てくるはず。
たとえ、一度二度で息切れしたとしても、サジュの住民の数は決して少なくない。
先日、砦を襲撃していて良かった。
使えそうな物資を奪ってきた。もちろん、予備の魔術杖や簡術杖も。
それらを背負い、ごく少数でサジュに侵入する。
大雨の中。セサーカの使う幻の魔法、幽朧の馨香を用いれば、魔術杖の束を背負った数名だけなら誤魔化しきれた。
土地勘のある仲間の案内で目立たない横口から侵入し、潜伏しながら住民と接触する。
魔術杖を渡して、戦いが始まったら交代で道を凍らせてくれと。
町全てを凍らせる必要はない。主要な大通りを中心にするだけでいい。
裏道などは、ここの住民ではない人間どもには不慣れなはず。大通りを通って目的の方向に向かうはずだが、その道が凍り付いていたら?
メメトハもうまくやってくれたらしい。戦いが始まる頃には足元は水浸しで、おかげで人間どもの注意も逸れた。
「――というわけです。あなた達も」
建物から出て来た兵士を片付け、中にいた清廊族にも簡潔に伝える。
見張りとして兵士が中にいる建物もあった。
ただの見張りではなく、交代で役得などとやっていた風もある。早く助けてあげたかったが、それで作戦が台無しになっては意味がない。ここまで我慢した。
戦うセサーカの邪魔にならぬよう、予備の魔術杖は解放した住民に持ってもらっていた。
それらを受け取ったのを確認してから、セサーカが唱える。
「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」
ああ、そういえば。
この魔法はアヴィたちと出会ってすぐの頃に使った魔法だ。幼い頃に聞いた微かな童話を思い出して。
「それならわかります。やれます」
手本として唱えて見せると、聞いていた者はすぐに理解したように頷いた。
「交代で、とにかく道を凍らせて下さい。魔法が使えない方はその兵士が持っていた武器で皆を守って下さい」
「わかりました!」
力強く頷く顔に安堵する。
この反攻作戦には彼らの協力が不可欠だが、戦士ではない者に出来るだろうか、と。
心配していたのだが杞憂に終わった。
それも違うのかもしれない。彼らは、サジュが占領されたことで追い詰められていたのだ。
いつもの当たり前の生活が奪われ、親しい者が理不尽な暴力に屈する。
その現実を目の当たりにして、恐怖と怒りで破裂寸前だった。
クジャから解放の為に来たというセサーカの話を聞き、彼らの狂気が溢れ出した。
人間を殺さなければ町が救えない。
戦わなければ、と。
そんな強迫観念を利用することに、少しばかり罪悪感も覚える。
(今は仕方がありません)
いずれ詫びる日もあるだろう。
だが今ではない。
ティアッテのように心折れてもらっては困る。今この時だけはがむしゃらにでも戦ってもらわなければ。
「次を!」
兵士どもの集まりは悪い。
飛び出して来たものの、履いている靴の硬さ、材質により特に滑るし、また別の道を探そうと迷う者も。
一般兵の数名程度までなら、まとめて相手にしてもセサーカの敵ではない。
魔法を使うまでもなく、鈍器で頭を殴り、膝が逆になるように蹴り砕くだけでも十分。
ミアデの足癖がセサーカにも感染したのかもしれない。
(ミアデ、大丈夫かしら)
正面の戦場に立っているはずの親しい彼女を思う。
戦いの初期に町を抜けていった兵士どもは素通りさせている。
少なくない数で、また中にはかなり腕の立つだろう相手もいた。強者はこういう時でも対応が素早い。
主力はもちろん東大門に押し寄せている。セサーカはあくまでごく少数の攪乱部隊だ。
兵士どもにまとまって行動させないよう氷の道で分断し、少数ずつ叩く。
それでも十数回繰り返せば、既にセサーカだけで百近くの敵を殺していた。
「セサーカさん、水です」
「ありがとう」
セサーカの支援をしようと申し出てくれた少女が、汗を掻くセサーカに水筒を差し出した。
周囲の気温は低いが、これだけ動き続けていれば暑い。
百の兵士を一度に相手にしたなら無理だっただろうが、別々に数名ずつなら問題ない。体力もまだ平気だ。
「すっごいですね、セサーカさん。氷乙女みたいですよ」
「本物はこんなものじゃないと思うけど」
皮肉なものだ。氷乙女に例えられるなんて。
(好きでもないのに)
さすがに口にしないだけの分別はある。
相手は褒めてくれたのだ。おそらく最上級の表現で。
思った以上に敵がばらばらだ。
いくら何でも個別の建物で寝入っていたわけではないはずなのに。
夜明け前のことだったので、飛び起きて準備が出来た者から次々に出てきているのだろう。
ドアが凍り付いていたり道が氷で覆われていたり、さらに混乱を深めて。
「きゃあぁ!」
「この影陋族が!」
しまった。
声を聞いて駆けつけるが、遅い。
魔法を使っていた者を見つけた人間の兵士が、守ろうとした男を切り捨て、別の兵士が女に槍を突き刺した。
「奴隷の分際で人間様に――」
「黙りなさい!」
駆けつけて、その兵士の肩を殴り潰す。
「うぎゃあぁっ!」
「なっなんだお前は!?」
「知らずに死になさい!」
女に槍を突き刺した兵士の鼻面を鈍器で殴りつけた。
「ぶぬっ」
二つ、兵士が転がる。
まだ息はあるが。
「この人間を殺して下さい!」
すぐ近くに、まだ他のサジュの住民がいた。彼らに叫ぶ。
「彼らの仇です!」
「あ、あぁ……よくもイェタを!」
「人間ども! 私たちは奴隷じゃない!」
セサーカの気迫に見ていた彼らが感化され、手にした何かしらで人間の兵士を殴り始める。
すぐに兵士は事切れたが、それにも構わず何度も。
やらせた。狂気の糸が途切れてしまわないように命じて、やらせた。
被害は出る。わかっていたこと。
だが怖気づかれては困る。少しでも人間の数を減らし、連中の行動を阻害しなければ。
当初の目論見通り、町の大通りを凍らせ行き来を困難にさせることは出来た。
今はそれ以上に、脇道にまで氷が張ろうとしている。それならそれで助かる。
途切れさせるわけにはいかない。
サジュの住民にどの程度犠牲が出たとしても、戦っている仲間たちの危険が減るのならば。
そう考えてしまう自分に笑みが漏れた。
セサーカにとっての優先度と、この住民たちのそれは違うのだろうに。
やはりいずれ謝罪は必要か。
協力を仰ぐのではなく、差し迫った感情を利用してしまっていることを、いずれ。
「……トワは大丈夫かしら」
共にサジュに潜入した別行動の仲間の気配を探す。
ある程度混乱させたら合流して、可能なら虜囚になっているはずの戦士たちを解放する予定なのだが。
そうした計画を思ってのことではなかったかもしれない。
ただ単に、利己的な自分への自嘲を許してくれそうな誰かと話したかっただけなのかも。
※ ※ ※
近くエシュメノ活躍予定なので、先行ラフ
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