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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第三部 沈む沼。溢れる湖
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第106話 欠けた穴、埋める穴



 思ったよりも被害が大きい。

 備えていたとは言え、上空からの魔法というのは慣れないことだったし、また氷雪の威力が思いの外強かった。


 影陋族と何か密約があるのであれば、こうした攻撃もあるだろうと予測していた。だが、中位の冒険者に届く水準の魔法を使える影陋族が百ほどとは。


 想定を上回る魔法攻撃に怯み、魔物の攻勢に耐え切れなかった。

 カナンラダの魔物は氷雪に強いものが多い。逆にこちらは凍てつけば動きが鈍る。


 鎧下に防寒を仕込んでいたが、金属そのものが冷えて時間と共に中へと伝わってしまうのはどうにもできない。

 体を温めるようにナドニメを中心とした呪術師、呪い士が用意していた薬の効果にも限界があった。


 戦いの最中に、数に限りがある治癒の魔法薬も半分ほどは消費してしまった。

 混戦になってしまえば治癒の魔法をすぐに受けられるわけではない。高価で数の少ない薬だが、団員の命よりは安い。

 団員の命よりは。



「五番隊ルトヘル隊長は……」

「ルトヘルのお陰で戦線を持ち直した。彼の貢献については戻ったら私が奥方に伝えよう」


 空襲を受け、崩れかけた防衛線を奮戦して維持してくれたのは、五番隊の隊長ルトヘル。

 それがなければ、もっと多くの被害が出ていただろう。


「あいつは独断で命令を聞かないことも多かった。今回もそうだ」

「仲間想いの熱血漢でした。最後まで」


 暑苦しい男で、ビムベルクとは割と仲が良かった。どちらも冒険者出身の隊長だったからということもあるだろう。

 ビムベルクがいないことで、自分が奮起しなければと思ったのかもしれない。



「二番隊コンラット副隊長も戦線復帰は不可能です。見てしまった一般兵も数名、戦える状態ではありません」

「人間相手の戦場とは違うということか」


 巨大な熊の魔物に腕を食い千切られたコンラットは、その状態で戦い続けた。

 痛みで狂乱していたのかもしれない。


 人間の腕を食らう魔物の姿を見て、一般兵の中には恐怖に囚われてしまった者もいる。


「戦力にならないのなら、コンラットに付き添わせてレカンに戻らせる」


 陣内に残して置く方が悪影響だ。重傷を負ったコンラットと共に町に帰らせた方がいい。



「……主力の被害割合が予想より大きいな」


 一般兵の死者重傷者は三百を超えている。正騎士の被害もあるが、隊長、副隊長といった主力が抜けるのは穴が大きい。


「身を惜しまぬ立派な騎士であろうと、隊長たちはそれを示しているんですよ」

「時には部下を盾にしても生き延びねばならんのも指揮官だが……いや、愚痴だな。忘れてくれ」


 ボルドの顔に苦い表情が見えた。あまり感情を表さない男だが、さすがに疲れている。


 上に立つ者が前線で死んでは、より多くの被害を出してしまう。ボルドの言うことは正しい。

 だが、騎士として、隊長として。誰よりも危険な場所に立つ者もまた間違ってはいない。


 ボルドが団長になってから、我が身を可愛がるような人間を隊長の座に就かせることはなかった。その結果であり、成果と言ってもいい。

 ビムベルクだって、自分勝手で我侭ではあるけれど、いざ戦いとなれば一番危険な場所に立つのだから。あれは好きでやっている部分もあるにしても。



「……」


 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

 ビムベルクがいれば、と。


 わかっている。ツァリセが言うまでもなく、ボルドが誰よりもそんなことはわかっている。

 こんなことを口にすれば、それこそ愚痴にしかならない。



「人数だけで言えば想定の範囲内です。むしろ被害は少ないくらいかと」

「予想以上にあれ(・・)が利いている」


 愚痴の代わりに好材料を言葉にしたツァリセに、ボルドの返答は皮肉気だった。

 あれ。



「勇者、ですか」

「私も勇者級の力量だと言われるが、やはり本物は違うものだな」


 本物の、勇者。



 冒険者の中で、極めて高い貢献を果たす戦士の称号。多くの人々の賞賛を受ける憧れの存在。

 古くは名誉的な呼び名だったが、そのうち強さの基準とされるようになった。


 勇者級の力量だと言われる軍人はいくらかいる。人の限界を超えた力を有するだけの戦士として。

 その勇者すら上回る力を持つ者を英雄と呼ぶ。


 勇者級の力量があっても、冒険者ではない軍人を勇者とは呼ばない。勇者から転籍して軍人になる者もいるが。

 民衆にとって勇者というのは、町の脅威となるような魔物を退治したり、未知の魔境を踏破するようなものを呼ぶのだ。


 だから、実力的には似通っていたとしても、本物の勇者は違う。



「こと魔物相手なら私よりもずっと上だ。あれほどとは思わなかった」

「ちょっと壊れちゃってますからね、彼は」


 勇者と言ってもその実力には差があるだろうし、得手不得手も違う。魔法使いの勇者もいれば剣士もいる。呪術師だっているかもしれない。


 死を恐れぬ魔物の群れに対して、心がどこかに飛んでしまっている勇者シフィーク。

 戻ってくるとあちこちに浅くはない傷も作っているので、あれも無敵なわけではない。怪我をしても気にしていないだけで。



「遊撃隊として……隊じゃないですけど、案外と機能していますね」


 単騎なので隊ではない。あれと肩を並べて戦うのは、実力的な意味と、精神的な部分とで難しいところがあった。


 本体の防衛陣から横に逸れていく魔物もいる。敵の作戦なのかただの暴走なのかはわからない。

 後ろに回られては厄介なので、左翼にシフィークを、右翼にチャナタとチューザを配置していた。


 他にも予備部隊も備えているが、ほとんどは彼らが仕留めてくれている。後方では休息中の部隊がいるのでこうした配置も必要だった。



「思った以上に強い。既に勇者の域を超えているかもしれん」

「そういうのは僕にはわかりませんけど……」


 実力が違いすぎてわからない。そのシフィークをビムベルクが捕えたわけで、その時点では明らかにビムベルクが上だったとは思う。

 ボロボロだったし、臭かった。あの時は万全の状態ではなかったのかもしれない。



「味方で良かったですよ、とりあえずは」


 この状況で予想外の戦力は有難い。言葉にはしないが、仮に命を落としたとしてもあまり気にしなくてもいい。


「味方、とも言い切れんが」


 ボルドの言う通り、呪枷で従わせている状況なのだから味方だとは言えない。



「向かってくる魔物を殺してこちらを守れ。まあ妥当な命令ですね」

「命令を拡大解釈されて勝手なことをされても困るからな」


 呪枷により、主に逆らうような行動はしない。通常、影陋族の奴隷の場合は、最初に人間に対する敵対行動を禁ずる命令をしておくのだが、シフィークの場合は違う。

 曲がりなりにも彼は人間であり、一時的な特別措置として黒い呪枷を着けているだけだ。ルラバダール王国では人間の奴隷は禁止されている。


 まさかエトセン騎士団の団長という立場の人間が、公に法を無視するわけにはいかない。あくまで人としての扱い。


 一応は魔物を敵と見做して行動するので助かっている。呪枷についても、あまりに無体な命令を強いて恨みを買ってしまうのも後々面倒なので、最低限の命令しかしていない。


 まともな思考が働いているのかわからないが、魔物を殺すほかは食って寝るだけ。

 凶悪な魔物を使役している気分だ。アトレ・ケノスの飛竜騎士というのはこんな感じなのだろうか。



  ※   ※   ※ 



「敵の戦力はおよそ知れた。あの異様な呪術師。そして件の灼爛(やけただら)は姿を見せていないが」


 漆黒の天翔騎士と戦った際に現れた増援。灰泥のような呪術師と、ボルドの部下を飲み込んだ紅い粘液状の魔物。


「灼爛……伝説の魔物ですが、こんなところに?」

「溶岩のような姿だという伝説の通りではあった」



 作秋にボルドが遭遇したという魔物、灼爛。

 ロッザロンドの伝説に残っている。火山地帯の窪みに潜み、その姿の通り凄まじい高熱を持つ粘液状の魔物だと。


 百年前の伝承にあるだけで、実物を見たと言う人間はいない。ボルドと同行していた騎士以外には。



「私とて溶岩を間近に見たことがあるわけではないが」

「普通はそうでしょうね」


 カナンラダに、現在活発な火山はない。ロッザロンドにはいくらかあるが。

 ボルドもロッザロンドで見たのだろう。カナンラダとの間に、いつも火を噴いている島もあるという。



「溶けた鉄のようだとか」

「その通りだ。敵と相対している時に足元からあれに噴き出されては、対処は非常に困難だ。それだけではない」


 粘液状の魔物なので、小さな隙間に潜り込むことが出来る。思わず今立っている地面を見てしまうが、それらしい亀裂はなかった。


「戦うにしても粘液状だ。中心核などが見えればまだ対処のしようもあるが、あの灼熱の体の中のどこにあるかなど」

「無敵じゃないですか」


 粘液状の魔物なので動きは速くないはず。それくらいが救いだけれど。



「刺した剣もどろどろになりそうですね」

「氷雪の魔法が有効だろうが」


 残念。その手の魔法は影陋族の得意分野であり、人間はあまり得意としていない。

 相手と同じようにこちらも影陋族の奴隷でも使ってみればと考えてみても――



「そういえば……?」


 昨夜の襲撃で、予定外に被害を出してしまった原因に疑問が湧く。

 敵の戦力を低く見積もった。もちろんそういう話ではあるのだが、それにしても。


「どうした?」

「いや、あれだけの数の影陋族の魔法使いなんて想定していなかったと」


 ふむ、と。ボルトも思索を巡らす。



「トゴールトが影陋族と通じていた可能性は考えていたが。確かに」


 通じていたと考えてはいたのだが、どうも違う。

 倒した影陋族の首には呪枷の痕があった。外したのかと思えばそれだけではない。


 ナドニメに確認してもらったところ、白い呪枷は外したものの、首筋に刻まれた隷従の呪術は有効だったという見立てだ。

 上空から落ちて即死だったので話は聞けなかったが、あの影陋族の集団はトゴールトの何者かに命じられて戦っていたことになる。



「大断崖アウロワルリス。それを越えて影陋族の戦士団でも応援に来ていたのかと考えたが、違うか」


 向こうから進んで奴隷になりに来るはずはない。

 また、あれだけの戦力がむざむざ奴隷になるとも考えにくい。それなら西部で戦っている戦線に応援に行くだろう。



「元々トゴールトにいた奴隷……廃墟になっていたというマステスの港にいた者も含まれているのかもしれませんね」

 

 だとしてもおかしい。

 奴隷にあれだけの力があるはずがない。

 どうやって力をつけたのかと考えれば、魔物を操る力があるというのだから、それを利用して魔物狩りでもさせたのかもしれない。


 それにしたってどれだけの数を。数千、数万の命が必要になるだろうに。

 多くの個体が生息していたとしても、密集して暮らしているわけでもなし。かなりの労力と時間が必要になると思うのだが。



「……」

「考えても仕方がない。今は敵を打ち破ることに専念する」


 答えの出ない疑問に見切りをつけ、ボルドが首を振った。


灼爛(やけただら)が現れたら私か二番隊隊長ヴィルップを呼ぶよう全員に指示しろ。どんな戦況でも構わん」


 特殊な敵に対処できるものは限られる。遠慮や甘い見積もりは被害を大きくするだけだ。


「私の持つ〈割れた爪の薬指〉(メディキナリス)か、ヴィルップの〈尻叩き〉(コクサ・ポエナ)ならば、形がない魔物でも倒せるだろう」

「女神武具ですか」


 それなら魔物には特に効果が高いと言われる。

 鉄製品の武器に対しては強度が高いだけの武器だが、魔物の肉を切れば大きな苦痛を与えることが出来る。


 女神レセナの遺物が武器の形を取ったもの。

 ボルドが左手に構える歪んだダガーが割れた爪と呼ばれるメディキナリス。

 二番隊隊長ヴィルップが振るう大槌は、真偽は不明だが女神の尾てい骨から出来たと言われるコクサ・ポエナ。


 もう一つ、エトセン騎士団では保持している。今回の戦いには持ち出していないけれど。

 女神の糸切り歯、濡牙槍マウリスクレス。ビムベルク愛用の武器だ。


 ビムベルクが完全戦闘装備をする場合には、他にも千年級の魔物から作られた武具を身に着ける。その状態のビムベルクは間違いなく大陸最強と呼べる。



 ビムベルクがいれば。やはりそう思わずにはいられない。

 エトセンの町がほぼ空っぽ状態だ。町には当然のことながらアトレ・ケノス共和国などの密偵もいるだろう。


 ビムベルクが町に残っていて、牢の鍵はボルドとエトセン公ワットマが管理している。アトレ・ケノスが手薄なエトセンに妙な動きをする可能性もある。

 そういう意味では、単騎でも一軍以上の脅威であるビムベルクは楔になっているとも言えた。



「このままならもう数日もかかるまい」


 珍しくボルドが楽観的な言葉を吐いた。

 ツァリセの苦い心情を察したのかもしれないし、ただ単に自身に言い聞かせたかったのか。


「脅威を排除して憂いを断つ。本国からの情報ではコクスウェル連合はイスフィロセとの戦いに敗れたとも聞く。私たちの手で、奴らの歴史に終止符を打つとしよう」


 やや芝居じみた大仰なセリフを口にするボルド・ガドランの顔には、疲れの色が濃く残っていた。



  ※   ※   ※ 


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