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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第三部 沈む沼。溢れる湖
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第97話 悲嘆の虜囚



 ネネランは、まだ多くの清廊族たちが戦う混戦の中に。

 ラッケルタとネネランの戦いは非常に目を集めて、味方には勇気を、敵には恐怖を与える。


 ミアデは逃げたバシュラールを追う。

 英雄には劣るがかなりの使い手で、この砦では上位の指揮官。逃がすわけにはいかない。

 群がる敵を文字通り蹴散らしながらその背中を追う。


 人間の兵士には、既に逃げ腰の者もいた。

 武器ではない何かしらの荷物を手にして、砦の外へと駆けていく姿も見える。逃げられて人間の町に情報が伝わるのも良くないが、そこまで手が回らない。



 とにかくバシュラールという男をまず片付けようと追って行くと、立派な中央の建物ではなく、別のかなり粗末な小屋へと入っていった。


 何か武器でもあるのだろうか。あるいは罠か。

 中で多数の敵が待ち構えている可能性も、と。


 わずかに逡巡したその間に、バシュラールが再び建物から出てくる。

 その手に若い女性を引き摺って。



「く、ぅっ!」

「貴様らの仲間を殺す!」


 強引に引き釣り出された女性が苦悶の声を上げ、その襟首を掴んだバシュラールが恫喝した。


「こいつを助けに来たのだろう! 貴様らは」


 建物の中から、さらに複数の清廊族が出て来た。

 まるで重い病に苦しむかのような頼りない足取りで、その顔を苦渋に歪めながら。


 首には、黒い首輪を。それに――


残念だった(・・・・・)な、影陋族の娘」

「……」



 隷従の呪い。呪枷。

 ミアデやセサーカが首に巻かれていたものと色は違うけれど、用途は同じなのだろう。人間の命令に従わされる忌まわしい呪術の装具。


「あんた……」


 ぎ、と。

 握り込んだ爪が手の平に刺さる。

 震える。


「恥知らず……」

「何とでも言え。貴様ら影陋族など相手に、作法もクソもあるか!」


 別の生き物なのだから。

 守るべき最低限の礼節も、獣相手になら必要ない。


 わかってはいた。分かり合えない種族なのだと、わかっていた。

 だが、一軍の指揮官がこれほど見境のないことをするのを目の当たりにして、怒りに震える。



「そんなこと……無駄だよ。どうせあたしらが戦わなきゃ皆死ぬんだから」


 見捨てると、伝えた。


 この卑劣な男に対してではない。

 今、ミアデの目の前に並べられた清廊族の女たちに。


 見殺しにすると宣言した。本当にこの男が捕虜を殺すとしても、ミアデが戦うことを止めることはない。

 そう伝えた。



「……」


 引き摺られていた女が、ミアデを見つめる。

 言葉にはならない。余計なことを言う許可がないのかもしれない。

 ミアデもその呪いを受けて生きていた時期があったからわかる。自分の意思を捻じ曲げられてしまうのだから。


 ただその瞳には、彼女の意志があった。

 それでいい、と。



「ちぃ、お前たち! この女を殺せ!」


 命令が下された。

 黒い首枷を着けられた清廊族の虜囚――サジュの町の戦士だった者たちに、ミアデを殺せと。

 命令に逆らうことは出来ない。彼女らは、憎い敵の命令で、清廊族の為に戦うミアデに襲い掛かってくる。


 涙を零しながら。

 殺してくれと、目で訴えて。

 それでも彼女らは、持てる力を駆使して、全力でミアデを殺そうと襲ってきた。



「くっ、のおぉ!」


 躊躇った。

 わかってしまうのだから。

 彼女らと同じ呪いを受けたことがあったから、わかってしまう。どれだけ悔しい気持ちなのかと。


 最も嫌悪する人間の意のままに、望まぬことを強いられる。

 その心中を思えば、躊躇わずにいられるはずがない。



「っ!」

「ふっ!」


 だが、彼女らはサジュの戦士なのだ。

 氷乙女と共に、長く西部で人間の侵攻を食い止め戦ってきた熟練の戦士。

 ミアデとて手加減をして戦えるような相手ではないのに、それが複数。


 見捨てるだけではなく、殺さなければならない。

 ミアデの手で清廊族を。



「絶対に」


 歯を食いしばり、涙を堪える。


「あの男を」


 まずひとつ、掌底で弾き飛ばした。

 手加減をしていないから、内臓がひっくり返るような痛みだっただろう。


「人間どもを!」


 次を、足甲の牙で相手の太腿裏側を深く切り裂いた。大量の血が溢れる。すぐに止血しなければ助からない。



「皆殺しにするから!」


 約束して、振り抜く。

 体勢の問題もあり、最後は心の臓を拳で突くしかなかった。

 装甲もない薄布の胸部をミアデの拳で突けば、それは致命傷になってしまう。



 仕方がない、とは言わない。

 ミアデの手に残る感触は、ミアデが救えなかった命だ。もっと自分が強ければ、彼女らをまとめて相手にしても手加減出来るくらいに強ければ。


 悔恨と、憤怒と。



「終わりだ!」


 三名の戦士を相手にしていた隙に、バシュラールはミアデの死角に回り込んでいた。



 本来ならこの男、正面から戦ってもミアデに劣らぬ戦士だったのだろう。

 躊躇いながら、悔みながら、襲い来る清廊族の虜囚と戦っていたミアデにとって、圧倒的に不利な状況で。


 躱せない。


 バシュラールが振り下ろすのは小振りな棍棒のようなもの。魔術杖であり、鈍器としても使える。

 魔術杖は、刃の形状では役目を果たさないという。魔法は物語を紡ぐが、刃を手にしていては糸を紡げないから。

 棍棒のような形なら問題ない。



(相打ちでも)


 それでも、この男は絶対に殺す。

 ミアデはその一撃を躱すことをやめて、拳に全ての力を込めることだけに集中した。


「セサーカ、ごめんね」


 後方で、他の清廊族の戦士たちを支援しているはずの顔を思い出して。


 大切な彼女を泣かせてしまう。それは心残りだけれど、きっとセサーカだってわかってくれるはずだ。

 呪いの首輪をつけられた清廊族を道具として使ったこの男に対する怒りを。



 ――ガガアアアァァッッ!



 激震が、ミアデを襲った。



  ※   ※   ※ 



 激震。

 立っていられないほどの、爆音と激しい揺れ。


 揺さぶられたのはミアデだけではない。ミアデの脳天を粉砕しようとしていたバシュラールもまた、突然の凄まじい振動に揺さぶられ、姿勢を崩す。

 目の前に落雷でもあったかのような轟音と、波打つような大地。



「なっ、地震か!?」


 ミアデを殴り損ねたバシュラールが大地に手を着く。

 バランスを崩して、動きにくい鎧に足を取られて。


 ミアデは、倒れない。

 バランス感覚と身軽さがミアデの天性だ。ネネランのような多様な道具を作る力はないけれど、我が身一つ扱うことに関してミアデは仲間の誰よりも得意だと思っている。



「お前だけは!」


 ミアデの左足が、バシュラールの腹に突き刺さった。


「おぶっ」


 腹に足甲が突き刺さり、勢いでその身が浮く。

 そのまま宙に蹴り上げる。



「絶対に!」


 右足が、浮いた体の股間から中心に向けて突き刺さった。


「いぎぃあ!」


 やや高い、耳に障る悲鳴が漏れた。



「殺す!」



 ミアデの両の拳が嵐のように降り注ぐ。

 二度の蹴りで浮いたバシュラール。その顔を何度も連続で殴り、その鎧を砕きながら両側の肺を潰した。


 鋼のような硬さの拳で、忌まわしい男の命を粉砕して、だけど怒りは消えない。



「人間は全部殺す!」

「ミアデ!」

 

 我に返った。

 呼ばれて、我に返り、血で染まる自分の拳を止めた。


「あ……セサー、か……」


 仲間の戦士たちと、セサーカの姿が。



 どざっと、地面に落ちる肉塊。

 既に原型を留めていない、かつてロベル・バシュラールという人間だった血肉の塊。

 ミアデの拳も、金属の鎧ごと殴り潰していたせいで傷を負っていた。



「もう死んでいるから」

「……うん」


 ミアデに囁くセサーカと、虜囚とされていた女性たちに駆け寄る仲間たち。



「こんな……」

「まだ中にも、います」


 言葉を失いかける同胞に、太腿からひどく血を流している女性が建物の中にも囚われている者がいると言った。


 命令に、逆らえないのではないだろうか。

 主である男を倒したからなのか、人間に反するような言葉を口にした。


 ミアデの知っている呪いの首輪は、主が死んでも人間に反抗的なことは出来ないはずだったのだが。そういえば首輪の色が違う。



「……こんなもの」


 建物の中の虜囚を助けに向かう者と、死にかけている女性から黒い呪枷を断ち切る者と。

 ぶつりと切られた黒い首輪は、首から外れると砂のように崩れて風に消えてしまう。


「……ごめ」

「ありがとう」


 謝罪の言葉を口にしようとしたミアデに、彼女は静かにそう言った。


「……」

「ありが、とう……」


 その言葉が最期だった。



 殺したのはミアデだ。

 手加減している余裕はなかった。三対一でなければ何とか出来たかもしれないが、あの状況では。

 けれど彼女にとっては、ミアデの行為こそが救いで、だからありがとうと。



「いけない! くぅぅっ」

「ぐぁ、うぅ……」


 切羽詰まった声が走り、苦悶の声を上げる戦士。


「なにっ!?」


 敵かと見れば、それらしい様子はない。

 最初にあのバシュラールが引き摺ってきた女の呪枷を外そうとした戦士が倒れ、その女もまた苦しそうに顔を歪めている。



「な、んで?」

「呪枷は……主が生きている限り、外せません……」


 苦し気な様子での説明。

 先ほど息を引き取った女戦士は、バシュラールを主としていたから、主が死んで外せたのかと理解した。


 この女性はバシュラールの奴隷として呪われているのではない。呪枷の主が生きているから、まだ呪いが外せない。

 そういうことになる。



「……ミアデ、覚えていますか?」

「なにを?」

「ルゥナ様に呪枷を外していただいた時のことです」


 セサーカに言われて思い返してみる。


 最初の時。

 ミアデとセサーカは、主である人間の商人のいる前で、呪枷を切ってもらった。もう奴隷ではないと。

 あの時、まだ主の息はあったように思うけれど。



「……そう、だね」


 何か違っていたのかもしれないが、どこか確信めいた気持ちがある。

 ミアデが彼女に近付き、そっとその首筋に手を触れる。


「やめ……」

「ううん、たぶん大丈夫」


 黒い忌まわしい首輪に指を掛けた。



 ぷつり、と。

 僅かな感触と共に、呆気なく断ち切られた首輪は、やはり塵となって風に消えていく。



「な……んで?」


 理解できない声を上げる彼女に、ミアデは困ってしまってセサーカを見上げた。

 ミアデにも、何となく出来るような気がしてそうしただけなので。


「おそらくこれも、アヴィ様の恩寵なのでしょうね。直接恩寵をいただいた私たちにしか出来ないようですが」


 アヴィの恩寵。

 親愛の唇を、直に。


 アヴィの力の根源は、濁塑滔と呼ばれる伝説の魔物から授かったのだと聞いている。

 あらゆる力を飲み込む魔物。

 本来、人間を殺しても得られないはずの無色のエネルギーを吸収できるのも、その力の一端なのだろうと。


 薄く恩寵を受けた他の者には出来ないようだが、ミアデ達であれば、呪いの装具に使われている力も無効に出来るらしい。


 忌まわしい人間どもの呪いを消し去る力。

 そうだ。それが始まりで、ミアデ達は陰惨な奴隷という苦境から抜け出すことが出来た。



「あ、びぃ……?」

「うん、アヴィ様。あたしたちの大事な……お姉さま、かな?」

「大好きな、でしょう」


 まだ信じられないというように首を擦っている彼女に、アヴィのことを伝える。



「あの建物にまだ清廊族がいるんだよね。あたし、行かないと」

「待ちなさいミアデ」


 走り出そうとしたミアデだったが、セサーカに止められる。



 ミアデと戦わされた清廊族の戦士たち。


 胸を突いた者は、即死だ。最後に態勢が崩れた状態で、本当に手加減も何も余裕がなかった。

 太腿を裂いた者は、礼の言葉を残して息を引き取った。


 最初に掌底で腹を打った者は息がある。かなりの苦痛だっただろうが、仲間の戦士に介抱されて命に別状はなさそうだ。



「……忘れていませんか。まだいるはずなんですよ、氷乙女が」


 忘れていた。


 そうだ。今の戦いには出てこなかったが、虜囚の中には氷乙女がいるはず。

 先ほどの相手の中にいたとしたら、ミアデでは適わなかっただろう。出て来なくて助かった。



「忘れていましたね」

「あの人間が氷乙女に命令しなくて助かった」


 今更ながらに冷や汗が溢れる。

 呪枷をつけた氷乙女と戦わされた可能性だってあったのだと。



「いえ」


 ミアデに呪枷を外された彼女が、ゆっくりと首を振る。


「それは出来ません」

「?」

「この黒い呪枷は、主の命令しか受け付けないので。人間に対する攻撃は最初に禁じられますが……」



 黒い呪枷。

 ミアデ達が付けさせられていた白い呪枷とは色が違う。効果も違ったらしい。


 白い呪枷は主の家族を中心に、人間からの命令に逆らうことは許されなかった。

 黒い呪枷というのはそうではなくて、主の命令しか効力がないのだと。



 氷乙女はあの男の奴隷となっていなかったから、だから命じられなかったのか。

 なら良かったとセサーカを見ると、偶然でしょうと少し呆れた顔で溜息を吐く。


 知っていたわけではないけれど、まあ運も良かった。

 そういえば今ほどの地震も、運よく助かった。あれもきっと魔神様の恩寵だ。



「どちらにせよ早く氷乙女を」

「そのことは心配いりません」


 急かそうとしたセサーカに向けて、彼女は地面に倒れたまま首を振る。

 バシュラールに引き摺られ、ここに投げられて。そのまま地面にずっと倒れているけれど。立ち上がれないのは仕方がない(・・・・・)



「私が、その氷乙女。ティアッテですから」


 地に伏せたまま、口惜しそうに俯いて。


「情けない。助けに来ていただいて、こんな……」

「そんな……」



 ――こいつを助けに来たのだろう! 貴様らは。


 ロベル・バシュラールは、そう言った。

 そして、


 ――残念だった(・・・・・)な。


 そう言っていた。



「こんな……そんな、こと……」

「……」


 セサーカの震える声と、ミアデの声にならない怒り。


 地に伏せる元虜囚。氷乙女ティアッテ。



 その美しい右足は、膝から下が失われていた。

 巨大な刃で断ち切られたように、失われていた。



  ※   ※   ※ 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 呪枷の存在が許せないですね
2020/03/16 15:25 退会済み
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