Ⅷ
次の日、警察署につくとイーブンはすぐに署長に呼び出された。何かやってしまっただろうかとヒヤヒヤしながら向かうと、小さい鞄を手渡された。
どうやら今朝、オッドがなんらかの用事で署長のところに顔を出した際に、忘れていってしまったらしい。
(全く、手間をかけさせるわね)
イーブンはそれを受け取ると、オッドのいるだろうテレビ局に向かった。
(ここ、かな……)
イーブンは建物を見上げる。大きなテレビ局だ。きっとたくさんの楽屋やスタジオがあるのだろう。
(ここにsunshineがいるのね)
そう考えてイーブンははっとした。
(そうだ、オッドがいるってことは、もしかしてライも……)
鞄を届けに行ったらライに会えるかもしれない。
(オッドが鞄を忘れてくれて助かったわ)
イーブンはさっきとは打って変わってオッドに感謝していた。そして、sunshineの楽屋にどきどきしながら向かった。
警察の制服を着ていたためか、不審者と思われるどころか警備員だと思われたようですんなりと楽屋の前まで行くことが出来た。
sunshineと書かれているのを見て、鼓動が早くなるのが分かる。
(ここに、ライが……)
そう思って高ぶる胸を押さえつつ、イーブンは扉をノックした。
「はい」
中から声がして、どきりとする。
「あ、すいません。オッド……さんに忘れ物を届けに来たのですが……」
いい終わる前に扉が開いた。そして、オッドが顔を出す。
「……え、警部補?」
「ああ、あんたいたのね。はい、これ忘れ物」
そう言って鞄を手渡す。オッドはお礼を言って受け取った。
「もう、しっかりしなさいよね。私には迷惑かけてもいいけど、ライにはかけないでよ」
母親のように言うイーブンにオッドが苦笑する。
「心配しなくてもそんなことしていませんよ」
「そう、ならいいけど」
そう言いながらオッドの肩越しに楽屋内を覗く。
「あんた以外誰もいないの?」
オッドが頷く。
「ええ、皆色々と忙しくて」
それを聞いてイーブンはがっかりした。ライには会えなさそうだ。
そんなイーブンを見ていたオッドが不意にはっとした。そして焦ったように
「警部補、もう帰ってください」と言った。
イーブンが首をかしげる。
「なんでよ?別に少しくらい長居したっていいじゃない」
そう言うもオッドは首を振り、イーブンを階段の方へ押しやろうとする。
「あなたにはあなたの仕事があるでしょう。途中まで送っていきますから」
無理矢理帰らせようとするオッドにムッとして、イーブンが何か言おうとしたとき、
「あれ?オッド、その子は誰?」と声がした。
(あ、この声……)
イーブンは息をのみ、感動で固まる。オッドがその声の主を見て苦い顔をした。
「ライ……」
イーブンがそう呟いて振り返るとライが立っていた。彼はイーブンを見てにこりと王子様スマイルを作った。
(嘘……)
イーブンは気が遠くなりそうなのを抑えてライを見る。テレビ越しにも伝わるアイドルオーラは、実際に見ると比べものにならないくらい強かった。まるで彼自身が発光しているかのようだ。
ライは自分にみとれているイーブンに近づくと、恭しく手をとった。
「こんにちは、お姫様。そんな風に見つめられると恥ずかしいな」
イーブンがはっとして顔を真っ赤にし、手を引っ込める。
「あ、ご、ごめんなさい!」
慌ててお辞儀をすると後ずさりした。その様子を見てライはくすりと笑う。
「別に謝らなくていいんだよ。ただ、君のように可愛い子に見つめられるのは慣れていなくてね」
ライに言われ、「そ、そんな、私可愛いくなんてないです……」とイーブンが顔を真っ赤にして俯く。
「そんなことを言わないで。君は十分魅力的だよ」
そう言って微笑むライは、まさにどこかの国の王子のようだった。イーブンは自分の右手を見つめて感動と喜びに震える。
(もうこの右手、絶対洗わないんだから!)
すっかりメロメロになってしまっているイーブンをオッドが複雑な顔で見つめる。ライはそんなオッドに目を移し、首をかしげた。
「ところで、オッド。彼女は誰?」
ライに尋ねられオッドが少し黙ったあと口を開いた。
「彼女は……知り合いです」
その言葉にイーブンがぴくりと反応する。そしてオッドを見た。
「へえ、君には警察の知り合いがいるんだね」
ライの言葉に「ええ、まあ」とオッドが言いにくそうに言う。
オッドの様子を見て、なんだかイーブンは嫌な気分になった。
(私のことは、あまりライに言いたくないのね)
ライはイーブンとオッドを見比べる。
「じゃあ別に恋人ってわけでも……」
ライが言い終わる前に「もちろんです」と素早くオッドが言う。
(何よ、そんなにはっきり否定しなくても……)
オッドの言動にイライラを感じつつ、
(きっとオッドは警察署のことを思い出したくないんだわ)とイーブンは思った。
彼にとって警察署での生活はつまらなく苦痛なものだったのだろう。やっと自分の好きな仕事につけたのだ。警察署を思い出させるような人間にテレビ局で会いたくないだろう。
そして、自分が警官だったことも今の仲間には言いたくないようだ。
「……」
面白いほどすっかり気持ちが萎えたイーブンはオッドに
「私、帰るわ」と言い踵を返した。
「警……。……」
オッドが途中で言葉を止めたのにも苛立つ。
(何よ、そんなことも言いたくないわけ?)
なんだか腹立たしさの中に悲しさも混じってきて、イーブンは逃げるようにその場を立ち去った。ライとオッドが何か言う声が聞こえたが、イーブンは決して振り返りはしなかった。
ぼんやりとオフィスのソファに腰掛け、イーブンは天井を眺める。
今日テレビ局でオッドに会ったときのことを思い出していた。またイーブンの腹が立ってくる。
警察署にいるときにあまり良い思い出がなかったのは分かるが、思い出すのを拒否するくらいのことだろうか。確かに、イーブンは彼のことを振り回してはいたが……。
(だからって、そこまでオッドに悪いことをした覚えなんかないわ)
イーブンはそう主張するが、向こうはそうは思っていなかったらしい。もしかしたら、嫌々イーブンの補佐を務めていたのかもしれない。
「……」
確かに、多くの人間がイーブンの補佐になるのを渋った。自分が変わり者であるのは薄々承知している。オッドのようなきちんとした人間に、イーブンの補佐が務まることの方が考えがたかった。
イーブンはため息をつくと、背もたれにもたれかかった。
その日、再び署長に呼ばれイーブンは顔を出した。署長はにこにこしながらオッドのことを尋ねた。
「楽しくやっているみたいですよ。ええ、それはとっても」
とげのある言い方をするイーブンに署長は首をかしげた。
「そうか、それならいいんだが……。……イーブン、君は彼の先輩なんだから、たまには様子を見に行ってやってくれ」
(もう先輩なんかじゃないのに)とイーブンは内心思いつつ、署長の言葉に頷いた。
再びオッドの家を訪れたとき、イーブンは出迎えたオッドに目も合わせず台所に向かった。
前来た時から二日しか経っていないからだろう、リビングはそれなりに片付いていた。イーブンは少々適当に料理を作り、余った分をタッパーに詰めると冷蔵庫に放り込んだ。そして今日は特に会話をすることなく軽く掃除をした。
オッドは何も言わずイーブンの様子を眺めたあと、帰り際にお礼だけはきちんと言った。イーブンはそれに返さずさっさと家を後にした。
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