ⅩⅠ
数日たち、イーブンはオッドの部屋を訪れていた。日にちを重ねるごとに、オッドと顔を合わせるのが辛くなってきていた。
オッドと軽く挨拶を交わすと台所に上がる。
オッドは仕事と家事の両立が出来るようになったようで、リビングに服が散らかることも、台所にカップ麺のごみが並ぶこともなくなっていた。(もう来なくてもいいかもしれない)なんてイーブンは考える。
夕飯のあと、帰ろうとしていたイーブンにオッドが話しかけた。
「警部補、これをどうぞ」
不思議に思って振り返れば、オッドはライのサインを差し出した。どうやらイーブンの命令通り、頼んで貰ってきてくれたらしい。
「……ありがとう」
イーブンはお礼を言って受け取ると、鞄にしまった。喉から手が出るほど欲しかったライのサインが手に入ったのにもかかわらず、イーブンの気分は沈んでいた。
「あんまりうれしそうではないですね」
イーブンの表情を見て、オッドが意外そうな顔をする。
「……こう見えて喜んでいるのよ」
とは言ってもそれは嘘だとオッドには分かっている。イーブンは嘘がつけない人間なのだ。思ったことが全て顔に出てしまう。
「……」
オッドは少したって口を開いた。
「……警部補。あのときのことなら気にしなくていいんですよ」
イーブンは黙り込む。
「私は当然のことをしたまでです。あなたが気に病むことは全くありません」
「そうだけど、」とイーブンが顔を上げた。そしてオッドの顔を真正面から見据える。
「あんたが私を守る筋合いはなかったじゃない。あんたのデート相手は別にいたんだもの。あれは私が彼女達を煽ったからいけなかったのよ。あんたが代わりにジュースを被る必要なんてなかった」
そう主張するイーブンをオッドは黙って見つめた。
イーブンは視線を避けるよう俯く。
「私のことなんて、もう守らなくていいのよ」
(もう私の補佐じゃないんだから)と心の中で付け加えた。そして体調に気をつけるようオッドに言うと家を後にした。
家に帰ってライのサインを飾る。あーでもないこーでもないと試行錯誤をして、なんとかいい場所が決まった。
「これでよし」
イーブンは一仕事終えたと息をつく。そしてソファに座り満足げにサインを見た。
サインの中にライの二文字を見つけて、イーブンはデート企画の事を思い出す。
ライに抱きしめられたのを思い出して、体がかっと熱くなった。
(あれはかなり恥ずかしかったな……)
そのときのことを思い出してうっとりしながらも、その後のことが付随して頭に浮かび、苦い顔をする。
あのとき、イーブンがライの元から逃げ出さなかったら、あんなことなど起こらなかったのだ。ライの演技を真に受けてしまった自分が悪い。
(でも、あれは真に受けちゃうよ……)
(ライは演技もうまいからなあ)と思いつつ、録画してあったライ主役の恋愛ドラマを見返そうとイーブンはリモコンを取り上げた。
「ねえ、イーブン。あんた、今度のsunshineのコンサートチケットとれた?」
同期に尋ねられイーブンは頷く。
「ええー、いいなあ。あたしに譲ってよ」
「やだよ。高いお金払ってるんだもん」
イーブンがそう言ってそっぽを向いた。
sunshineには公式のファンクラブがあり、そこに属しているとコンサートのチケットが格段にとりやすくなる。年間費は高いのだが、イーブンはコンサートに行くためにずっと入り続けていた。
同期がそれを聞いてため息をつく。
「なによ、ケチ。もちろんお金は払うわよ。それに大体、あんたこの前ライに会ってたじゃない」
デート企画のことを言われ、イーブンが顔を赤くする。
「それとこれとは別なの!sunshineのコンサートはすっごくいいんだから!」
それに、とイーブンが続ける。
「今回はコンサート後に握手会もあるんだから!しかも写真撮影もオッケーなのよ!」
そうテンションの上がるイーブンを見て、「だから前、直接会ってデートもしてたじゃない」と同期が鋭くつっこむ。
「う……。そ、それとこれとは話が……」
苦しそうに弁解しようとするイーブンに同期がため息をついた。
「あーあ。今回はオッドくんも出るから行ってみたかったのになあ」
同期の言葉にイーブンはどきりとする。
(そっか、今回はオッドも出るんだ……)
どうなることやら、と不安になる。オッドのことだからそつなくこなすとは思うが……。
イーブンはいまだぐちぐち言う同期を置いて席をたった。
コンサート会場は熱気に包まれていた。メンバーの名前が書かれたうちわを持った女性があちこちにいるのが見える。オッドの名前が書かれているうちわも作られているようで、多くの人がそれを持っていた。
イーブンは前のデート企画の時に知り合った女性と待ち合わせをし、お喋りをしながらホールに入った。オッドファンの女性はイーブンよりもさらにわくわくしているようだった。
「オッドくんの歌声を聞くのがとても楽しみ」
そう女性が弾んだ声で言う。
(オッドの歌声、ねえ……)
イーブンは彼の声を想像しようとして、すぐに諦めた。
考えてみれば、イーブンはオッドが歌ったところを見たことがない。一度、ジャンクファミリーが経営していると噂されているカラオケに偵察に行った際も、イーブンだけが歌いオッドは一度も歌わなかった。
(あいつ、歌えるのかしら)
そんなことを思いつつ開演までイーブンはおとなしく待った。
ふっとホール中の電気が落とされ、真っ暗になった次の瞬間、七色の光がきらめいた。
それと同時にsunshineが舞台に現われる。ファン達が一斉に声をあげた。
イーブンは必死になって隙間からライを目で追う。ライが曲の途中でひざまずく仕草をすると、黄色い歓声が多く上がった。
まだ新作の曲ではないため、オッドは出ていないようだ。イーブンはオッドがとんでもないことをしでかさないか不安に思いながら曲を聴いていた。
一曲目が終わり、観客の興奮が冷めやらぬなか、ライがマイクを構えた。
「さあ、次は新しく僕達の仲間になったオッドの登場だよ」
ライがそう言って指をならすとステージの奥側から白い煙があふれ出した。そして、閃光と共にオッドが現われる。
一際高い歓声が上がった。イーブンは目を見開いてステージ上のオッドを見る。
オッドは他メンバーと同じ、スパンコールをちりばめた衣装を着て、おしゃれな帽子を身につけていた。
観客に向けてにこりと笑うオッドは、アイドルだと言っても頷けてしまうほどオーラがあった。補佐をしているときとは大違いだった。
「皆さん、初めてコンサートに出演させていただきます。よろしくお願いします」
そうオッドが言うと数人の女性がオッドの名前を呼んだ。
全員が配置につくと新曲が流れ出す。そして始まった一糸乱れぬ息の合ったダンスからイーブンは目が離せなかった。
(あいつ、あんなにうまく踊れるの……?)
オッドも初期メンバーに劣らないほど踊りがうまかった。イーブンは驚きで言葉をなくす。
歌が始まるとオッドがマイクを構えた。観客がオッドの声を聞き漏らさないよう耳をそばだてる。
ホールに響く五人の声の中にオッドの声を見つけて、思わずイーブンは目を見張った。
透き通るような綺麗な声だ。普段は男らしく低音で落ち着いた声の彼だが、歌うと耳に心地よい高さの声になるようだ。
観客がざわざわと「オッドくん、歌うまくない?」と騒いでいる。
スポットライトの下、踊り歌うオッドからイーブンは目が離せなかった。そこにいるのは『皆のアイドル』オッドであった。
非常に衝撃的なコンサートに、イーブンはホールを出ても夢うつつだった。
オッドは完全にイーブンから遠く離れたところに行ってしまった。どこか自分のものだと思っていた彼は、とうとう皆のものになってしまったことに気づかされたのだ。
これから彼はもっと忙しくなるだろう。オッドは二度と警察署に戻ってこないに違いない。
(あーあ、また補佐を探さないとな……)
そう思いながら握手会会場に行くと、既に長い列が出来ていた。ライはどこだろうと探すと、一際長い列の先にいるのが見えた。
(これは長くかかりそうね……)
うんざりした顔をすると共に視線を巡らせれば、一番端にオッドが座っているのが見えた。オッドの列はライより幾分か短かった。
オッドの家に行かない限り、彼と会うのはこれで最後になるかもしれない。イーブンは最後に顔を付き合わせて話しておきたかった。
イーブンはこれ以上列が伸びる前に素早くオッドの列に並んだ。
(C)2019-シュレディンガーのうさぎ




