座敷わらし
山深い里の鄙びた温泉旅館。
私は行く当てもなく各地を回り、この温泉地に行きついた。
そこで出合ったのがこの旅館。駅前の案内所で紹介されたのだが、そこが駅からかなり遠い。おんぼろバスに揺られて、1時間、そこから山道を歩いて・・・と、とんでもない行程だった。さらに最初見たときの印象。とにかく言葉を失うほどのオンボロ旅館だった。しかし、よく考えると風情があって、これはこれでいいように思えた。
中から出てきた仲居さんは美人とは言えないが、明るく好感のもてる女性だった。
出された料理も派手さはないが、山奥の田舎を感じさせる山菜や川魚といった旅館定番のものだった。でも、それがとても美味しかった。余計な小細工がしていない、素材の美味さを引き立てる料理というモノだろうか。女将が作った田舎料理でしかないと謙遜していた。そこがまた好感持てた。
そして温泉。古い露天風呂だが、掃除が行き届いていたし、お湯も温かく心地よかった。
しかし、私は浴場から部屋に帰るとき、奇妙な体験をした。踏み抜いてしまわないか心配になるような板張りの廊下を歩いていると、そこに自分の物ではない足音を私は聴いた。振り返ると誰もいない。このような古い旅館だから、廊下が軋むのだろうと自分に言い聞かせたのだが、再び歩き出すとまた聴こえた。
私は振り返り、そして、また誰もいなかった。
さらに進むとまた足音がついてくる。そして振り向くと誰もいない。
そんなことが何回か続いた。だが、もう一度正面を向けた頭をフェイントのように急に戻すと、誰もいなかった廊下に小さな男の子が立っていた。おかっぱの和装の男の子。まるで座敷わらしのような・・・・・。
まさか、と私は顔を顰めた。いや、この場合喜ぶべきではないだろうか?座敷わらしが幸運を呼び寄せる存在であるのは周知の事実だ。それを間近に見たのだから。ただ、こういうフェイントをして目撃するのはアリなのか?それは分からない。逆に座敷わらしの機嫌を損ねやしないかと心配になった。
気になると落ち着かないもので、私は部屋に帰る途中で仲居を捕まえて、先ほどの子供のことを訊いてみた。仲居は意外にも、「ああ、それはお客さん、運がいい。気配は感じられてもなかなか姿は見られないんですよ」と平然と笑っていた。どうやらそれほど不思議なことではないらしい。まあ、それなら問題がないのだが・・・・。ただ、最後に仲居が「機嫌がよければね・・・・」と漏らしたのだ。
座敷わらしの機嫌ってどういうことだ?まさか、私のフェイントで目撃したから、機嫌が悪くなったとかあるまい?しかし、私は座敷わらしのような少年が最後に見せた戸惑いの表情が忘れられなかった。まるで、私がズルをしたから、自分の姿を見られたと悔しがっている表情。こちらはそんな気はなかったのだが、子供はそこまで考えないだろう。
そんなことを考えながら、私は部屋へとたどり着いた。そして、深く考えずに扉を開けて、愕然とした。
部屋は散らかっていた。私がしたことではない。何か悪意を持つ者がした行いのように思えた。と言っても、子供じみた無邪気な悪戯心だ。鞄のモノは散乱し、部屋に出されていたお菓子は食い散らかされ、そして、部屋に泊った人が感想を書くノートは広げられ、「バーカ」と子供の字でデカデカと書かれていた。
私はしばらく唖然としていたが、不意に吹き出していた。機嫌を損ねたと言ってもこの程度なら可愛いものだ。私は「バーカ」と書かれた次のページに「さっきはごめんね。おかしあげるから、ゆるしてね」と書き、鞄から疲労回復のために入れていた板チョコを取り出して挟めた。
それにしても、あの子供、座敷わらしじゃなくて、座敷荒らしだな。私は苦笑しながら、散らかった部屋を片付けた。