断章
窓が無く空間を暗闇が満たした部屋の中で一人の男が小さな明かりを灯す。
だがその明かりは辺りを照らすために点けられたのではなく、ただ男が咥えていたタバコに火をつけるためのものだった。
闇の中で小さな小さな赤い灯火が揺らぐ。
「また、"あの人"に会いに行くので?」
男はポツリと誰に言ったのか言葉を零した。音は闇に吸い込まれる。
ただ消えるだけの問いだと思われたが、それに木霊する者がいた。
「……あぁ、この編纂の時にしか本当の意味で"あの人"には会えないからね……」
その声は少年のような、少女のような、どちらともつかない透き通った声をしていた。
聞くものを魅了するセイレーンの唄のごとく、否応にも耳につく声。
闇に紛れても尚その存在は激しく、静かに主張していた。
声の主は言葉を続ける。
「今回の事は、よくやってくれたよ。おかげで"あの人"が何処にいるのか分かった。流石と言うべきかな?」
声は男を労うような言葉を発した。それに男は苦笑しつつ答える。
「まぁ、多少骨は折りましたけどね。ですが見つけたのは偶然ですよ。今回でようやく」
「あぁようやくだよ。これでこのくだらない世界とも別れを告げれる」
今まで感情を見せなかった声が初めて人らしい怒りを見せた。
静かな怒り、いやこれは憎しみだろうか。
この声は何に対してこの憎しみを向けているのだろうか。自身の言う世界に向けたものなのか?
だがそれにしては明確な憎悪を放っている。
「……だが、上手く行ったと言っても全てがそうとは行かなかったね」
「はい、まさか"破壊"があんなにも簡単に片付けられるとは思いませんでした。あわよくば、とも思ったのですが」
「仕方ないよ。与えたと言っても彼は一からその為に造られたモノじゃないからね。限界はある」
声の言葉を聞き、男は一度タバコの煙をふかすようにため息をついた。
出来れば今回ので上手く行ってほしかった。そうなれば目的が叶えられたやもしれなかったのだ。そう男は思うもいや欲張り過ぎか、と自分を戒める。この男は飄々としながらも冷静で冷徹で冷酷であった。
そしてまたタバコを吸い、いつもの自分に戻す。それこそ煙のように掴みどころのない自分に。
「はい。……次は、どうされますか?」
男が神妙に声に指示を仰ぐ。この男が従う声は考える。
自身の持ちうる手段を、力を、駒を。
「…………"改変"を使うよ」
「分かりました。私はどのように?」
「いつもどおりでいいよ。ボクの代わりにいろいろ調べておいて頂戴。こっちの監視は、彼女に任せる」
声がそう言うと闇の中にもう一人の姿が浮かび上がる。
その姿は長い髪をした女性だった。
「ワタシの事です?」
「あぁ、頼んだよ"複製"。いざという時は」
「わかーってますよ」
女性は楽しそうに声を上げ軽い足取りでその場を後にした。
「では私も行きます。くれぐれも、お気をつけて」
男も恭しく声を掛け闇に溶けるように姿を消した。
残ったのは声の主一人だけ。
唯一の明かりであったタバコを咥えた男が消えたことで、部屋はまた完全な暗闇に戻る。濃厚な黒に身を沈めながら、声は誰に言うでもなく言葉を紡ぐ。
「あぁ、もうちょっとだから……待っていて…………」
そして声の主もこの部屋から姿を消した。
完全に無人となった窓のない部屋の中では、静かに、微かな機械の音だけが断続的に響いていた。




