警部、聞き込みをする
坂上宗太郎という男が勤めている薬局は、U市街にある駅から10分ほど歩いたところのショッピングモールの中にあった。近くには総合病院が見える。
警部が薬局の中に入ると、店内には、客が2人と女性店員が1人いた。警部は手帳を見せて簡単に事情を説明した。女性店員は、「ちょっとお待ちください」と言って、奥にあるドアに入っていった。すぐに、1人の男性を連れて戻ってきた。顔が日に焼けていて浅黒い。男性は警戒しながら警部を眺めた。
「何のご用で?」男の声はうわずっている。
「ここじゃなんですから、外に出ましょうか?」警部は店の外を指さす。
男性はしぶしぶといった感じで受付カウンターから出てきた。薬局を出ると、隣りにファーストフード店があり、外には食事用の長椅子が設置されていた。警部はそこに向かっていった。
「なにか食べますか?」
「いや、いらない」男性は腕時計を気にしながら断った。
「そんなにお時間はとらせませんよ。おーい、相棒、わるいがハンバーガーとポテトを買ってきてくれ」警部は桐生に紙幣を渡す。
「種類は何がいいですか?」
「おまえが食いたいもんでいいよ」警部は手帳を取り出して尋問を始めた。
「ええと、まずはお名前をうかがいたいんですが」
「坂上宗太郎」男性はぶっきらぼうに答えた。
「坂上さんですね。坂上さんは昨日、コンビニレンタカーという店に行って、レンタカーを借りませんでしたか?」
坂上と名乗った男は、警部をにらみつけるような表情をした。数秒の沈黙の後、
「いや、いってない」と答えた。
「本当ですか?」
「ああ」テーブルの上にあった坂上の右手の指が細かく震えていた。
「では、あそこでレンタカーを借りたことはありますか?」
「うーん、どうだったかなあ。1回だけ借りたことがあったかな」坂上はあいまいな言い方をした。
「いつですか?」
「もうだいぶ前だったかな」
警部はため息をついて、科捜研から送られてきたデータを見せた。
「あそこにある車の一台から、坂上さんの指紋が検出されました。場所は右側のミラーです。これはどう説明します?」
「だから、1回だけ借りたことがあるって言ったろ」
「店員さんの話だと、使用されたレンタカーはそのつど、念入りに洗車をするそうです。もちろん、ミラー部分も。だから、だいぶ前の指紋がついたままなんていうのはおかしいんですよ。それに、県道1号線にあるカメラには、『わの5881』という車が走ってるのが映ってました。坂上さんの指紋が検出された車です。うそをついても、いずればれますよ」
坂上は口を歪めて考えていた。しばらくして、
「そういえば昨日、レンタカーを借りたよ」と認めた。
桐生が両手いっぱいに袋を持って戻ってきた。警部はポテトをつまみながら尋問を続ける。
「レンタカーを借りてどちらに行かれました?」
「いろいろ行ったな」
「エリクシールっていう会社に行きましたね」
警部からその言葉が発せられた時、坂上の顔が引きつった。
「まあ行ったかな」
「何をしに行ったんですか?」警部はダブルチーズバーガーを頬張る。
「オレはよく知らないんだ。いっしょに行った連れが中に入っていったのを待ってただけで」そう言って警部から目をそらす。警部は研究所の廊下に横たわっている2体の死体を思い出した。
「3人で行かれたんですかね」
「4人だった」
「ちょっと、その方たちの名前を聞かせてもらえますか?」警部はペンを取り出す。
「高部エミリー、片瀬剣、澤英太」
その名前を聞いて、廊下の死体は片瀬剣と澤英太だなと警部は判断した。
「正直に答えてください。2人も死んでるんです。昨日の21時ごろ、あそこの研究所で何があったんですか?」
警部が質問した後、15秒くらいの沈黙が続いた。それから坂上は鋭い視線を警部に向けた。
「いろいろ調べてるようだから、もう知ってると思うが、あのエリクシールって会社が開発した新薬を盗み出そうとしたんだよ。それで、あそこの研究室のドアを小型の爆弾で爆発させたんだ。その時に、片瀬と澤が爆発に巻き込まれちまった。オレと高部で部屋の中に入って、新薬があるっていう場所を探した。でもなかったんだ。本当なんだ、信じてくれ」
警部は坂上の発言を吟味している。いちおう辻褄はあうようだが。
「それからどうしたんです?」
「火災報知器が爆発の煙を検知してサイレンが鳴ったから、オレと高部は急いで外に逃げた。片瀬と澤は一目見て死んでるって分かったから、2人には申し訳なかったけど、そのままにしちまった。外に停めておいたレンタカーに乗って、県道1号から高速に乗って、旧市街で降りて車を店に戻した」
「まあ、カメラにも映像が映ってたから、その通りなんでしょう。ちょっと今、疑問に思ったんですが、あの研究所にはどうやって入ったんですか?」
「そこのところはオレはあまりよく知らないんだ。でも、澤が誰かと話してたのは見た。その後で、社員通用口のドアが開いて入れるようになったんだ」
警部はアイスコーヒーを飲んで一息ついた。
「あと、2、3質問に答えてもらいます。そのエリクサーを盗み出すっていうのは誰が計画したんですか?」
「片瀬だ」
「あなたたち4人はどういった関係なんです?」
「超常現象研究会っていう、主にネットで意見交換したり、交流したりしてる仲間で、あの3人とは特に親しくしてたよ。世界の超常現象をネタにしておしゃべりする集まりさ。やっぱりハンバーガーを1つもらうよ」
警部は袋からハンバーガーを取り出して坂上に渡した。それから警部は隣りで大きな口を開けてハンバーガーに食らいついている桐生に目を向けた。
「相棒、おまえから何か訊きたいことは?」
「もぐもぐ、え?質問ですか?ええと、そうだなあ。昨日、小型の爆弾でドアを爆発させたってことですけど、誰が爆弾を作って誰が起動させたんですか?もぐもぐ」
「片瀬だよ。あいつが作ったんだ」
「そうなると、もぐもぐ、坂上さんは住居侵入の罪だけになるんですかね?あ、そうだ。それと、免許証の偽造か」
「盗み目的で研究所に入ったんなら、窃盗未遂にもなるかな」警部が脅すように言う。
「おい、オレを警察に連れてこうってつもりじゃないだろうな」坂上は身構える。
「軽い罪でも、犯罪には違いないからな。まあ、あんたの発言が真実なのが明らかになったら、オレがなんとかしてやるよ」
「それと、坂上さんって、海外生活をしてたんですか?なんか英語の発音がいいですよね。もぐもぐ」
「あ、事件のことじゃねえのか。そうだよ、オレは帰国子女なんだ。生まれはアメリカで14才で日本に来たんだ」
「そうですか、ぼくの質問はそれだけです」
「それだけか、もっとましなこと聞けよ。まあいいや」警部は食べ終えたハンバーガーとポテトの包みを丸めて、立ち上がった。携帯を取り出して、小津崎と話をした。
「ここに小津崎っていう刑事が来るから、そいつと署にいってくれ。それから、高部っていう女性の居場所を教えてくれないか」
坂上はふてくされたような仕草で携帯を出し、警部に高部の勤務先の住所を教えた。
「行くぞ、相棒」
高部が働いている心療内科はU市の隣りにあるM市にあった。坂上の話では、高部はそのクリニックを開業した院長らしい。M市の繁華街から少し住宅街に入った静かで緑の多い環境に、その建物はあった。外観は他の内科などと同じような作りで、色調は淡いブラウンで統一されていた。警部は辺りに視線を走らせながら中に入っていく。警部は受付に立っていた30代前半くらいの女性に事情を話した。
「私が高部です。あとちょっとで午後の診察が終わりますのでお待ちいただけますか」高部は落ち着いた口調でそう言った。
それから20分後に、高部が受付にやってきた。さっきまでポニーテールだった髪はほどいてあった。微かに香水の香りもしている。潤んだ大きな瞳は人をひきつける魅力を持っている。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」高部は大きな扉の方へ案内する。
2人が通された部屋は8帖ほどの広さがあり、正面の窓からは駅前の高層タワーが見える。窓のそばに高部が座る椅子とデスクがあり、その前に診察を受ける人間が座る椅子が置かれている。高部が座る椅子の背後には本棚がある。他にはなにもなく、すっきりとした清潔な印象を与える部屋だった。ごく低くクラシック音楽が流れている。
「もう一脚椅子が必要ですね」高部が椅子を取りに出ようとすると、
「けっこうです。そんなにお時間はとらせません。こいつは立ったままで大丈夫です。な、相棒」
「はあ」
楠警部は座り心地の良さそうな椅子に腰をかけると、尋問を始めた。警部は坂上と会ったことを話した。坂上から聞いたことはすべて話さずに、2人の証言が合っているか確かめようと考えた。もちろん、2人の間で口裏合わせをすることは十分考えられる。
坂上と同じような質問をしてみたが、高部の答えはおおむね坂上の証言と一致していた。レンタカーを借りたこと。そのレンタカーでエリクシールに行ったこと。超常現象研究会のメンバーであること。片瀬という男が計画を立てたこと。研究所のドアを破壊するために爆弾を使ったこと。それによって2人が死んだこと。警部ははっきりしない点を確かめることにした。
「坂上さんの話だと、セキュリティルームにいたロボットの破壊については知らないということなんですが、高部さんはどうですか?」
「私も知りません。澤さんと片瀬さんが先に研究所内に入っていったんです。私たちは片瀬さんからの電話を受けてから中に入りました」
「じゃあ、セキュリティルームにあるカードキーも知らないですね」
「知りません」
「ところで、彼らはどこから入ったんでしょうか?」
高部は警部から視線をそらし、記憶をさぐっている。
「社員通用口からです。私たちが車で待機していると、そこに、ある男性の方が来られて、そこを開けようとしたんです。澤さんはその男性を見つけると、車から降りて近づいていきました。2人でなにか話した後、その男性の方は帰っていきました。それを見て片瀬さんも車を降りて、2人で研究所に入っていきました」
「それからどうしました?」
「片瀬さんたちが入って数分後に、私は同じ通用口から入りました。研究室に向かって歩いていると、廊下を曲がる手前で大きな爆発音が聞こえました。ドアを破壊した音だと思って駆け足で向かうと、そこに片瀬さんと澤さんが倒れていたんです。人目見て生きてないことが分かりました。
私がドアの前で立ちつくしていると、坂上さんがやってきました。私が坂上さんに事情を説明すると、少し悩んでから、2人だけでエリクサーを持って行こうと言い出しました。私たちは研究室に入って、エリクサーを探したんですけど、どこにもありませんでした。そのうち、火災報知器が鳴りだしたので、いそいで逃げ出しました」高部は潤んだ目を警部に向けた。信じてくださいと訴えているような目だった。
「その爆弾は片瀬が作ったと聞きましたが、彼はその道の専門家だったんですかね?」
「いえ、彼は爆弾を作るのは初めてだと言ってました」
「じゃあ、設計ミスでもしたのか」
「あのー、私、逮捕されるんでしょうか?」
「まあ、署でもう少し詳しい話を聞かれることになるとは思いますが、あなた方の証言が真実ならば、そんなに罪は重いもんじゃないんで、なんとかなるでしょう。事件についてはこれくらいで。いやあ、いい眺めですねえ。ここで開業して長いんですか?」警部は椅子から立って窓を眺めた。
「2年前です」高部は事件についての尋問が終わってほっとしたような表情に変わった。
「心療内科ってたいへんでしょう。人間の心を相手にするんですから」
「そうですね、けっして楽な仕事ではありませんが、患者さんがよくなっていくのを見るのはとても嬉しいし、やりがいもあります。今はけっこう良い薬もたくさんありますし」
「オレもいつか心の病にかかったら、ここでお願いしようかな、なあ相棒」
桐生は壁にある本棚の前に立っていた。置いてある本を物色している。
「ここにいろいろな翻訳の本が並んでるんですけど、高部さんって英語の仕事もしてるんですか?」
「そうなんです。ここの仕事の合間に、空いた時間で翻訳の仕事もしてるんです。少しですけど」
「へー、すごいですね。ぼくなんか洋画を観る時は、必ず吹き替えですよ」
「小さい頃から母親に、強制的に勉強をさせられてましたから」そう言って、ちょっと微笑んだ。
桐生が見たところ、本棚には他に、難しそうな心理学の本や開業医として成功するための本、料理関係の本、アニマルセラピー、副業マニュアルなどが並んでいた。
「高部さんって、英語を話すのもペラペラなんですか?」
「まあ日常会話くらいなら話せます。ここには外国の方もいらっしゃるので」
「相棒、何か事件について聞きたいことはないのか?」
桐生は、廊下に横たわっていた死体のうちの1体が、爆発が起きた時間よりも1時間も早く死んでいたという鑑識結果を話した。高部はそれを聞いて驚いたようだった。それについて聞かれると、
「私が知ってることは全部お話ししました」とだけ答えた。
桐生は、1時間も早く死んでいた事実を解明する答えが聞けると期待していたが、さらに謎が深まった。高部の証言が本当ならば、死んだ2人は爆発が起きる直前まで生きていたことになる。
「確認しておきたんですけど、廊下に倒れていた死体は、本当に片瀬さんと澤さんだったんでしょうか?遺体はかなり損傷が激しかったですけど」
「私はそう思いました。当日着てた洋服も彼らのものでしたし」
「ぼくが聞きたいのはそれだけです」
「仕事の邪魔をしちゃまずいから、私たちはこれで失礼します。あっ、そうだ。その死んだ2人の住所か勤務先なんて知りませんかね」
「知ってます」と言って、メモ用紙に片瀬と澤の自宅と勤務先の住所を書いて警部に渡した。
「助かります。じゃあ行くか」
桐生は名残惜しそうに本棚から離れた。