逃走車両を追って
楠警部と桐生が社員通用口から外に出ると、警部の車の横に警察車両が並んでいた。そこから小津崎が降りてきた。
「楠警部、犯人が乗っていると思われる逃走車両は、ここから県道1号線を西へ向かい、5キロさきにある高速道路に入っていったようです。映像を見ますか?」
「いちおう見てみるか」
小津崎は運転手席に、楠警部は助手席、桐生は後部座席に乗りこむ。小津崎はカーナビ画面になっている画像を、防犯カメラの映像に切り替えた。画面には、県道1号線と思われる映像が映った。時刻は21時16分。車の数はまばらだった。ある車が映った時、映像を止めた。
「おそらく、この黒いミニバンが犯人が乗ってると思われる車です」
警部は画面に顔を近づける。
「小津崎、もうちょっと画面を拡大できないか?」
小津崎が拡大のボタンを押す。逃走車両が拡大される。
「もう少し大きく、それともうちょっと時間を進めてくれ」
車はさらに大きくなり、車の後方が映った。
「中の様子は分かりませんね」後部座席から桐生がつぶやく。
「うーん、あと少し大きくできないか」
画面がほんの少し大きくなった。
「警部、これ以上は無理です」
「ナンバーは、『わの5881』か。ん?これはレンタカーじゃないか」
「そういえば、そうですね。わナンバーはレンタカーです」小津崎はナンバーが中央に映るように操作する。
「犯人はレンタカーを使ったのか。このミニバンがどこに向かったのか分かってるのか?」
「他の防犯カメラの映像も送ってもらって調べました。『海岸入口』から高速道路に乗り、西方面に向かい、『旧市街』で降りたようです。そこからの足取りはつかめていません」
「それだけ調べたら十分だよ。後はオレと桐生に任せろ。おまえは帰って休め。行くぞ、相棒」
楠警部の運転する車はエリクシールを出ると、逃走車両と同じように、県道1号線を西へ向かった。時刻はもうすぐ0時になろうとしていた。この時間は走ってる車はほとんどがトラックだった。エリクシールを出てから間もなく、小雨がぱらついてきた。『海岸入口』から高速に入る。高速はもっとすいていた。
「相棒、ちょっとダッシュボードを開けてくれないか」
「はい」桐生は正面にあるダッシュボードを開ける。
「中にコンビニの袋が入ってるだろ。袋の中に食いもんがあるから好きなの食っていいぞ」
袋の中には、板チョコが3枚、栄養ドリンク、おにぎり3つ、メロンパン、から揚げ串、みたらし団子3個入りが入っていた。
「けっこう甘党ですね。じゃあ、おにぎり1個いただきます」
「相棒、栄養ドリンクを取ってくれ」警部は手渡された栄養ドリンクを一気に飲み干す。
『旧市街』は『海岸入口』から2つ目の出口で、その間にはパーキングエリアもサービスエリアもない。逃走犯が立ち寄れる場所はなにもない。警部は出口をめざしてスピードを上げていった。しばらく無言が続いたが、桐生が話し出した。
「なんか変わった事件ですよね、全体的に」
「なんか気になることがあったか?」
「そうですね、まず、エリクサーっていう薬が変わってますよ。変わってるっていうか、すごい。死んだ人を生き返らせることができるんですから。それが実用化されたら社会が根本的に変わっちゃいますよね」
「おまえはその薬が手に入ったら、誰に使いたい?」
「手に入ったらですか、そうですねえ、去年死んだグレコを生き返らせたいな。メスネコなんですけど、老衰だったんです。それから、おばあちゃんかな。ミステリー小説が好きなおばあちゃんで、ぼくのミステリー好きも、彼女の影響なんです。おばあちゃんの部屋の本棚にはぎっしり本があって、ほとんどが、なんとか殺人事件とかそういうタイトルだったなあ」
「おばあちゃんか、オレは子供のころに飼ってたウーパールーパーかな」
「なんですか、そのウーパーなんとかって?」
「相棒は知らねえか、昔、流行ったんだよ。こいつだよ」警部は携帯の待ち受けを桐生に見せる。携帯には、警部が撮ったウーパールーパーが写っている。
「うわあ、なんですかこのへんな生き物は」
「オレも詳しい生態は知らないが、ペットで飼うのが流行ったんだ」
「へー、なんか楽しそうですね」
「他に何か今回の事件で気になったことがあったのか?」
「他には、あのドアの爆発ですね。犯人はなんでドアを爆発させる必要があったのか。ドアを開けることのできるカードキーはセキュリティルームにあって、そのカードは持ち出された形跡がある。持ち出したのは、おそらくは犯人だろうと思いますけど、それならば、そのカードキーを使ってドアを開ければ済むじゃないですか。でも、実際にはドアは破壊されている」
「そう言われればそうだな。犯人はなぜカードキーを使わなかったんだ。なにかドアを破壊する理由があったのか。そうか、確かさっきの話だと、警備会社に通報がいったのは、そのドアが破壊された時だよな。爆発した時の煙を検知したんだったな。犯人はわざと爆発させて、その時間に犯行が行われたと思わせようとしたんじゃないか。実際には、犯行はもっと前に行われていた。たぶん、時限式の爆弾を使ってドアを破壊したんじゃないか。その時には犯人はすでに遠くに逃げてるってわけだ」
「考えられますね。あと気になったのは、爆発に巻き込まれて死んでいた人間なんですが、1人は全然私物を身につけてなかったじゃないですか。それが不自然なんですよね」
「身元を分からなくしてるみたいだよな。確かに変わった事件だ」
前方に『旧市街』出口5キロという標識が現れた。
「あー、そうだ。ナビ画面をネット検索画面に切り替えてくれないか。切り替えたら、『旧市街、レンタカー』で検索してみてくれ」
桐生は言われた通りに画面を操作する。画面には数百件の検索結果が表示された。桐生はとりあえず、1番目に出てきたサイトを選ぶ。
「レンタカーはけっこうありますね」
「高速の出口に近いところはあるか?」
「3店あります」
「1番近いのはどこだ?」
「青空レンタカーです」
「じゃあ、そこのナビモードにしてくれ」
警部の運転する車は高速を出ると大通りに入った。さっきよりも雨脚が強くなってきている。大通りには人の気配はおろか、車の往来もほとんどなかった。
青空レンタカーは、通りを北方向に1キロほど走ったさきの交差点を左に曲がってすぐにあった。店舗の間近に来る前に、明かりが消えているのが見てとれた。外から中の様子をうかがっても、誰もいないのがわかる。店舗入り口の看板には、営業時間7時から23時までと書かれている。
「終わっちまったみたいだな」
入口にはロープが張られている。警部は車を路上に駐車した。
「黒いミニバンがあるか、見てくるか」
2人は車から降りて、ひっそりとしたレンタカーの敷地に入っていく。中には、十数台のレンタカーが置いてあった。1台ずつ確認していくが、黒のミニバンはなかった。
「ここじゃないのか」警部は車に戻って来る途中で、もう一度店内を見るが、やはり人の気配はない。
「それとも、まだ戻ってないかもしれないですね」
「どっちにしても、ここにいてもしょうがねえから次に行くか」
警部は車に乗ると、ナビモードから再び検索画面に切り替えた。次に高速道路から近いところは『コンビニレンタカー』という名前だった。場所は今いるレンタカー店から直進して2つ目の信号を右折したさきにある。警部は車を発進させた。交差点を曲がってすぐ、店が見えた。最初の店と同様、すでに明かりは消えていた。警部は店の前の道路に車を停めた。
店の前の営業時間を見る。8時から23時。
「ここも誰もいないようだな」警部はレンタカーが置いてある敷地に向かう。歩いていくと、すぐに警部が立ち止まった。
「黒いミニバンが停まってるぞ」
2人はその車に駆け寄っていく。ナンバーは『わ5881』だった。
「これだ」
警部は中を覗く。車内には誰も乗っていない。警部は車の周りをぐるっと一周する。
「店の人がいれば話が聞けるんだがなあ。よし、このまま店が開くまで、ここで待機するか」
「待機って、どこで寝るんですか?」
「車の中だよ」
翌朝7時30分。楠警部は携帯のアラームの音で目を覚ました。眠気覚ましに缶コーヒーを飲んだ。ふと、助手席を見ると桐生の姿がない。
「あれ?どこに行ったんだ」
缶コーヒーを飲みながら、メロンパンをほおばっていると、通りに桐生の姿が見えた。桐生はコンビニの袋を持っていた。
「朝飯を買いに行ってたのか」
「実は、あそこのネットカフェにいたんです」
「ネットカフェ?どうしてまた」
「ここじゃ眠れなかったんです」
「相棒は車で寝るの慣れてないか」
「それもあるんですが…」
「他にも寝れない理由があったのか?」
桐生は言いにくそうに言った。
「その、いびきがうるさくて」
「いびき?オレのか?」
2人が車内で朝食を摂っていると店の方に歩いてくる男がいた。男は鍵を使ってドアを開け、店内に入っていった。
「店員が来たようだ。行くか」
警部と桐生が店内に入ると、男はこんな早い時間にめずらしいという表情をした。
「いらっしゃいませ」
警部は自分たちが警察関係者であること、昨日あった事件について簡単に話した。
「そうですか、ちょっと待ってください」店員はデスクから数枚の用紙を出した。レンタカーを借りる際の契約書だった。
「これですね。ええと、名前は松本疾風さん」
店員は警部に契約書を見せる。契約書には免許証のコピーが貼りつけられている。
「松本疾風か。年令32才。住所はT県、M市。ちょっとこれをコピーしてもらえませんか」
コピーを受け取ると、警部はそれを上着のポケットにしまった。
「あと、2、3お聞きしたいんですが、昨日この人の接客をしたのは誰ですか?」
「たぶん、櫛田さんだと思うんだけど、もうそろそろ来ると思うんですが」
入口のドアが開いて、女性が入ってきた。
「おはようございます」
「ああ、来た来た。櫛田さん、ちょっといいかな」男の店員は女性に事情を説明した。
「2、3お聞きするだけですから。昨日、あのミニバンを借りた男はどういう風貌でしたか?」
「こちらへどうぞ。なにかお飲物はいかがですか」女性店員は警部たちを窓際のテーブルに案内した。
「いえ、けっこうです」
女性店員はレンタカーの契約書を持って椅子に座った。
「風貌といっても、そのお客様はニット帽をかぶって、顔にはマスクにサングラスをしていたものですから、顔はよく見えませんでした」丁寧な口ぶりで答える。
「私が風貌についてお訊きしたのは、この免許証が偽造されたものかもしれないと思ったもんですから。この松本という男は1人で来たんですか?」
「はい、1人でいらっしゃいました」
「レンタカーの使用目的はなんて言ってました?」
「友人とドライブすると言っていました」警部は手帳にメモしていく。
「何時頃に返却されたんですか?」
「22時30分ごろです」
「返却された車は、いろいろチェックするんでしょうね。中の状態とか傷とか。何か異状はなかったですか?」
「昨日、調べた時は特に異状はありませんでした」
この後、雑談しながら2、3質問したが、有益な情報は得られなかった。警部はちょっと失礼と言って席を立ち、携帯で誰かと話をした。戻って来ると、
「念のため、その車をちょっと調べたいんですがね」
「わかりました」女性店員は席を立ち、車のキーを持ってきた。
「相棒、車を調べるぞ」
警部は車の周囲を回ってからドアを開けた。目視した限りでは、外装に異状はない。車に乗る前に警部は手袋をした。桐生にも渡す。車内にも目につくような異状は見当たらなかった。桐生がカーナビに目をとめた。
「ナビの記録を見れば、どういうルートを通ったか分かるんじゃないですか?」
「電源を切ったりしてなければな。いちおう聞いてみるか」
警部が車から降りようとすると、店に面した道路から1台の乗用車が敷地に入ってきた。警部の見慣れた車だった。車から星出鑑識官が降りてきた。
「わるいな、星出君、他の連中に頼んだんだが都合がつかなくて」
「大丈夫ですよ、私もこの事件に興味あるし。おはよう、桐生君」桐生に向けてウインクする。
「あ、おはようございます」桐生はなんだか胸がドキドキした。
「この車をざっと調べてくれないか」
「まかせといて」
星出が作業している間、警部はカーナビの記録が残ってないか、店員に確認させた。記録は残っていなかった。30分ほどで、星出は作業を終え店内に入ってきた。
「どうだった?」
「私物なんかは見つからなかったけど、何人かの毛髪と指紋が検出されたわよ」
「毛髪と指紋か。でも、それは必ずしも昨日の連中のものとは限らないんだよな。なんせレンタカーだもんな」
「指紋なんだけど、右側のミラーの上部についてたの。ミラーって、たいがい使用した後に拭くわよね。もしかしたら、昨日の人のかもしれないじゃない」
警部はなるほどという感じでうなずく。
「そうか、だめもとでデータベースと照合してみるか。じゃあその指紋のデータを科捜研に送ってみてくれ」
科捜研からの応答はすぐにきた。警部の携帯が鳴った。
「どうだった?うん、うん。本当か?分かった」警部は科捜研からの報告を手帳にメモした。
「どうでした?」星出も気になるようだ。
「だめもとのつもりだったんだが、犯罪データベースで、その指紋と一致する人物がいたようだ。名前は坂上宗太郎。36才。前科は今から3年前に起こした傷害罪。現在はU市に在住。職業は薬剤師。とりあえずは、こいつに会ってみるか」