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よみがえる薬にご用心  作者: 滝元和彦
2/11

警部、事件現場に向かう


 警部の運転する乗用車は、『プレイワン』の駐車場を出る直前に、パトランプを取り付けて緊急車両に早変わりした。サイレンを鳴らしながら、県道123号線に入っていき、追い越し車線を法定速度を超えるスピードで走っていく。前方に先行する車がいる時は、『道を譲ってください』というアナウンスを流したり、半ば強引に車線変更して前車の前に出る。そんな楠警部の少々荒っぽい運転に、新人の桐生は助手席でシートベルトにしっかりつかまって遠心力や加速、減速に耐えている。

 前方の道路が渋滞しているのを見た警部は、

「なんでこんな時間に混んでるんだ、しょうがない、高速を使うか」とののしると、最寄の高速入口に向かって車を走らせる。高速も多少の渋滞はあったものの、一般道に比べて30分は短縮できた。警部の運転する車は高速を降りると、そのまま海岸線沿いに伸びる県道1号を進む。県道1号からは、海岸に立ち並ぶ無数の工場や企業のオフィスを眺めることができる。深夜なので、稼働している工場は少ないが、それでも、きらびやかなネオンは幻想的な雰囲気を出している。

 高速を出てから5分ほど走らせたところに、一際巨大な建物が見えてきた。建物の上部には、こちら側に向けて『エリクシール、Elixir』という社名がでかでかと取り付けられている。車は1号線から、その敷地に向かって進路を変える。

「なあ、相棒、さっきから何をしてるんだ?」楠警部は、助手席でうつむいて、なにやら操作している桐生に話しかけた。桐生は、『相棒』という言葉が自分のことだと認識するまでに、ちょっと時間がかかった。

「えっ?ちょっとエリクシールっていう会社を調べてたんです。ぼくは知らなかったんですけど、製薬会社みたいですね。いろいろな新薬を開発してるみたいです」

「オレも名前は聞いたことがねえな。新薬を開発してるか。髪の毛がふさふさになる薬でも開発してもらいたいもんだな」

 車は工場の入り口と思われる場所にやってきた。辺りに人の気配はない。入口近くまで車を進ませて停めると、警部は運転席から様子をうかがう。

「爆発事故っていうから、黒煙がたちこめてるのを想像してたんだが、なんかひっそりとしてるな。降りてみるか」

 2人は車から降りて入口に進む。自動ドアの向こうで、こちらに手をふっている人影が見えた。警部たちがドアを抜けると、男が走ってきた。

「楠さん、お休みのところお呼びしてすみません」

「いや、いいんだ。これが仕事だからな」

 2人のもとに走ってきた男は、警部よりも長身で、純日本人とは思えないような彫りの深い顔だちをしている。体型はどちらかというと痩せ型で、引き締まっているというより、栄養不足な感じを与える。男は大きな目を桐生の方に向けた。

「ええと、楠さん、こちらの方は?」男は不審人物を見るような眼差しを桐生に向ける。

「こいつは今日からオレのもとで働くことになった、桐生っていう新人だ。相棒、こいつは小津崎だ」

「よ、よろしくお願いします、桐生整と申します」

「新人さんですか、よろしく」小津崎は桐生に握手しようと手をさしのべる。桐生は震える手を前に出して、小津崎と握手する。

「小津崎、現場に案内してくれ」

「分かりました、こちらです」

 建物内はひっそりと静まり返っていて、警部たちの廊下を歩く足音だけが聞こえるだけだった。空調設備が停止しているためだろうか、空気が肌寒い。照明は省エネのためだろう、まばらにしかついていない。小津崎は自動ドアの正面にあるエレベーターに向かっていく。ボタンを押してドアを開け、2人が乗るのを確認すると、2階のボタンを押す。

「爆発で死人も出てるんだって?」

「ええ、さっき、星出さんたちが到着して鑑識をしています。もう終わるころかな」

 エレベーターが2階に着いてドアが開くと、なんとも言えない、焦げ臭いような、何かが溶けだしているような臭いが警部たちの鼻を刺激した。桐生は臭いに耐えられずにポケットからハンカチを出して鼻にあてた。

「うっ、すげえ臭いだな」

「こっちです」小津崎はドアを出て、左に伸びる廊下を指さす。廊下を10メートルほど歩いたところで、右側にも廊下があり、小津崎は右側にある廊下に曲がっていった。廊下を曲がってすぐのところに、数人の人間の姿があった。その中の1人は、警部のよく知っている人物だった。警部は、しゃがみ込んで作業をしている人物の横に立った。

「よお、久しぶりだな、星出君」と声をかけた。

 警部に声をかけられた女性は、作業に没頭していたのか、警部が近づいてくるのに気づかなかったようだ。警部に気づくと、険しい表情ながらも笑顔を見せた。

「楠警部ですか、びっくりさせないでくださいよ」女性は足がしびれたのか、ゆっくりと立ち上がる。

「どうだ、鑑識は順調か?」警部は星出鑑識官と握手しながら聞く。

「まあ、だいたいは終わりました」星出は奥の廊下の隅で、こちらをじっと見つめている桐生に気づいた。

「警部、あそこにいる若い子は知り合いですか?」

「あー、あいつはオレの相棒さ。おーい、そんなとこにいないで、こっちに来いよ」

 桐生は警部の呼びかけに応える様子がない。ただじっと、警部たちの方を見ている。警部がもう一度呼びかけてみても、桐生が動こうとしないので、強引に腕をつかんで、引っぱろうとした。すると、桐生が大きな声をだして抵抗した。

「ぼ、ぼく血を見るのがだめなんです」

「血だって?どこにあるんだ?」警部は辺りをキョロキョロ見回す。

「そこですよ、そこの壁」桐生は向かって右側の壁を指さす。そこには確かに血のような赤黒いしみが流れるようについていた。

「これか、星出君、これは血なのか?」

「そうね、さっき調べたけど、それは被害者の血で間違いないわ」

「相棒、おまえ、血が怖いのか?」

「グリーンピースの次に嫌いなんです」震える声でうったえる。

「なんだよ、それは。じゃあしょうがねえな、おまえはそこで見てろ」

「なんか、変わった子ですね」

「あいつは新人で、今日からオレと組むことになった、桐生っていうんだ」

「あの子、刑事なんだ。全然、それっぽくないわね」

「ところで、現場はここなんだな。死人が出てるらしいが、もう搬出したのか?」

「いいえ、まだそこに置いてあるわ、いちおう警部が来るまで、なるべくそのままにしておこうと思って」

 星出鑑識官は廊下の奥に視線を向けた。そこには、死体が2体、廊下に沿って並べられていた。離れたところから見ても、死体の損傷が激しいことが認識できる。楠警部はゆっくりと死体に近づいていく。

「こりゃあ、ひでえな」

 2体とも、爆発によって、着ていた服は黒焦げになっていて、ところどころから皮膚が露出していた。警部の手前にある死体は、顔が火傷によって生前のおもかげが認識できない状態だった。奥にある死体は顔は認識できる程度の火傷だった。

 警部は一通り死体を眺めると、星出鑑識官に向き直った。

「星出君、今までに分かったことを話してくれないか」

「爆発があったのは午後9時前後ね。おそらく、そこのドアを爆弾で破壊しようとしたのね」

 ドアと聞いて、警部は星出が指さす方向を見た。そこには、爆発で木っ端微塵こっぱみじんになったドアの残骸があった。

「爆弾は誰でも作れるような初歩的なものね。でも、火力が強すぎたみたいね。2人は爆発の巻き添えになったと考えられるんだけど…」

「なにか疑問でもあるのか?」

「うーん、手前にある方の死体は爆発による全身火傷と、爆発の衝撃によって、壁に飛ばされたことによる頭がい骨骨折で間違いないんだけど、もう一体の方がちょっとヘンなのよ。全身火傷はいっしょなんだけど、火傷や傷の状態を見ると、どうももっと早い時間に火傷をしたみたいなの」

「どのくらい早くなんだ?」

「そうね、1時間から1時間半近く早いわね」

「1時間?それはどういうことだ」警部の眉間が険しくなる。

「私の推測でしかないけど、奥に横たわってる方の死体は、ここの爆発に巻き込まれたんじゃないわね」

「別の場所で火傷したってことか?」

「たぶんね。それから手前にある死体は、いくつか私物を持ってたけど、奥の死体には、1つも私物がなかったの。手前の死体の私物はそこに置いてあるわ。今のところはそんなとこね」星出は右側の壁にきちんと並んでいるものを指さした。

 警部は私物に近づいていく。そこには、腕時計、財布、小銭入れ、たばこの箱、ライター、携帯電話、ボールペン、リップスティックがあった。警部は星出に触っていいかどうか許可を取ってから、1つずつ手にとっていく。腕時計は割れてはいたものの、警部の時計と同じ時間を示していた。財布には、何枚かの紙幣が入っていたが、爆発ですっかり焼けてしまっていた。運転免許証が入っていたが、焼けていて名前と住所は分からない。携帯電話は壊れているのか電源が入らなかった。

「これじゃあ、身元が分からねえな」警部はため息をつきながら立ち上がる。

「これがただの爆発事故だったら、警部を呼んだりしなかったんですけど」

「そうだな、なんかあるなこれは。星出君、この2体は搬出していいぞ」

「じゃあ、連絡するわ」星出は携帯を取り出した。

 壊れたドアの横で、警部と星出のやりとりを黙って見ていた男性が警部に近づいてきた。

「あのー、警部さんでいらっしゃいますよね。わたくし、ここの責任者をしております、秋元という者です」

 秋元と名乗った男は、年齢50才前後、中年太りな体型で、年齢のわりには、かん高い声を出す。はげ上がった頭をなでながら、切れ長の目で警部を観察している。

「そうですか、責任者の方で。どうやら爆弾でドアをぶち破ろうとしたようですが、自分らまで巻きこまれたようですね。ところで、あの死体に見覚えはないですか?」

 責任者は首を横に振る。

「全然知らないですよ。と言っても顔が焼けちゃっててよくは分かりませんが」

「奥にある死体はどうですか?」

「知りませんね」責任者は死体に一瞬だけ視線を向け、またすぐにそらした。

「そうですか。あそこに横たわってる死体はこのドアをぶち破ろうとしたようですが、ドアの先には何があるんです?」

「ここは創薬研究所なんです。うちは製薬会社でして。さっき、中を調べたところ、どうやら犯人は我が社が全力で取り組んでいる研究の資料とそのサンプル薬を盗んでいったようなんです」

「でも、犯人はそこで死んでるじゃないですか?」

「それが、犯人は複数いたようなんです。たぶん、爆発に巻き込まれなかった者がいたんでしょう。資料とサンプルはなくなってますから」

「複数いたのか」警部は廊下に横たわっている死体を見つめた。

「それで、さっき防犯カメラの映像を見ようと思って、セキュリティルームに行ったんですが、カメラの映像が今日の分、全て消去されてました。それだけではなく、セキュリティルームに常駐している警備ロボットが2体とも破壊されていました。犯人は事前に周到に計画を立てていたようです」

「警備ロボットが2体もやられたのか」

 警備ロボットは、大手セキュリティ会社が数年前に開発した人型ロボットで、見た目は人間そっくりで一見すると人間と区別できない。力は人間の4、5倍で、銃弾や火、水にも強く、特殊な電池で最長1週間は可動し、大量生産で値段も安価になったので、警備の現場では徐々に増えてきている。楠警部も何度か直接見たことがあった。

「じゃあ、犯人たちは、そのセキュリティルームで、カメラの映像を消して、ロボットを破壊した。さらに、ここで爆弾を使ってドアを破ろうとした。しかし、犯人たちの2人は爆発に巻き込まれちまった。残った連中は中に入り、資料とサンプルを盗んでいった。こういうことですね」

「まあ、そう考えられますね」

 警部は左右に伸びる廊下を交互に見る。

「ところで、犯人はどっから侵入したんでしょう。私たちと同じとこからですかね?」

「おそらくそうだと思います。所内には2か所の入り口があるんです。1つは警部さんたちが入ってきた社員用の通用口、もう1つは一般の入り口。一般の入り口の方は、この時間は固く閉ざされていますから、やっぱり社員用の出入り口からだと思います」

「あそこは、そんなに簡単に入れるもんなんですか?」

「社員が働いている昼間だったら、わりと簡単に入れますね。いちおう身分証で本人確認はしますけど。でも、工場が終わると、あそこから入れるのは特定の業者だけですね」

「なるほどね」警部は話が一区切りつくと辺りを見回した。新人の桐生は依然として廊下の陰から、こっそりとこちらを見ている。

「おーい、相棒、もう壁の血は拭き取ったぞ。こっちに来てみろ」

「は、はい」桐生はナマケモノが動くようなゆっくりした動作で近づいてくる。

「おまえ、そんなに血を見るのが怖いのか。このさき、さんざん見ることになるんだぞ」

「ちっちゃいころからだめなんです。トラウマっていうんじゃないんですけど、血を見ると、ぼくの血の気がひいていくんです」

「困った性質だな。おまえ、話は聞いてたよな。おまえから何か聞いておきたいことはないか?」

「その前にちょっとトイレに行ってもいいですか?」

「早く行ってこい」

 5分後に桐生はトイレから戻ってきた。その間、警部は死体の私物をもう一度チェックしたり、破壊されたドアを観察したりしていた。

「なんか聞きたいことがあるか?」

「そうですねえ、あのー、ここで爆発があったことはどうやって知ったんですか?」

 責任者は桐生をまるで子供を見るような眼差しで見つめた。

「爆発で煙が発生したことで、防火装置が作動したんです。それで、警備会社に通報がいったんです」

「つまり、警備会社が異変に気づいたのは、セキュリティルームで警備ロボットが破壊された時じゃなかったわけですね。なるほど。それから、夜間に社員用の通用口から出入りできるのは、業者だけってことでしたが、具体的にどんな業者なんですか?」

「警備ロボットは特殊な電池で動いているって説明しましたね。その電池は充電式なんですが、ここじゃ充電できないんです。それで、メーカーの人に来てもらって充電してもらうんです」

「約一週間もつんでしたね」

「だいたい一週間です」

「それと、盗まれた資料とサンプルなんですけど、それはどういう薬なんですか?」

 責任者が口を開こうとすると、彼の横でおとなしく話を聞いていた若い女性が一歩前に出てきた。女性はコートを羽織っていたが、コートの下から白いものが見えていた。おそらく白衣だろう。女性は30代の前半くらい。心配そうな表情の中にも、知的な雰囲気を醸し出している。メガネの奥の目が桐生に向けられている。

「それは私から説明します。私ここの研究員の速水メイと言います。このドアの奥が研究室ですので、そちらに行きながら説明しましょう。どうぞ」

 研究員は壊れたドアの奥に歩いていく。桐生と楠警部は後に続く。研究室は見たところ爆発や破壊されたような形跡はなかった。創薬研究ということで、イメージした通り、デスクの上にはビーカーやフラスコなど、警部が学生時代に化学の授業で見たような器具が並んでいる。壁側には家庭の冷蔵庫をもっと大きくしたようなものが2台置いてある。女性はあるデスクに近づいていった。その上に置いてあるプリントを手にした。それから突然、2人に質問した。

「刑事さん、人類の究極の薬って何だと思います?」

 いきなりの質問に警部たちは戸惑った。

「えっ?究極の薬ですか?ええと、がんを治す薬かな」桐生が答える。

「オレは頭の毛がいっぱい生える薬だな」警部も答える。

 速水研究員は、警部の答えに少し笑みを浮かべながら続ける。

「おふたりのおっしゃったことは正しいと思います。ふつう薬っていうと、なにか体の病気なんかを治すものですよね。私たちの研究している薬は、それよりももっと根源的なものなんです」研究員はいったん言葉を切った。それからまた続ける。

「私たちの研究は、死者を生き返らせる薬なんです」

「えっ?」

「びっくりするのも当然だと思います。私自身も信じられませんでしたから。私たちはこの薬を社内で『エリクサー』と呼んでいるんですが、この研究は他の研究から偶然に見つかったんです。いまだにその理論的なことはよく分かっていません。でも、動物実験では、高い確率で死んだ生き物を生き返らせることができました。動物実験の結果をふまえて、最近、人間での臨床実験を始めたところでした」

「死者を生き返らせるっていっても、どんな状態の人間でも生き返らせることができるってわけじゃないでしょう?」警部が疑問を口にする。

「もちろん、生命を維持するのに必要な器官がそろってることが前提です。頭部とか心臓とか。それらがそろっていれば、たとえ、心臓が止まってしまっても生き返ることができるんです」

「それは画期的な薬だな。それが一般に広まれば医学が根本的に変わっちまうな。その薬はもう実用化されるんですか?」

「あと、いくつかの臨床を経れば、実用化される予定でした」

 桐生はデスクの上にある器具をかってに触っていた。顔をあげると質問した。

「その薬はどういうタイプの薬なんですか?服用するんですか、注射するタイプですか?」

「いろいろあります。静脈に注射するのもありますし、服用するのもあります。今回、盗まれたのはドリンクタイプです。そのまま飲むことができるんです。ここに置いてありました」速水研究員は、壁に沿って設置してある一番大きなデスクに近づいた。デスクに来ると、備え付けの引き出しを開けた。

「ここに、サンプルと研究資料を入れておいたんです」

 楠警部と桐生は中を覗きこむ。中には、他の研究資料と思われるものや、文房具やサプリメントなどの私物が無造作に置かれていた。

「そんなにすごい薬の保管場所にしては、ちょっと頼りないですな」

「あくまでもサンプルでしたので。それに、いちおう鍵はかけておいたんですけど」

「鍵はどこにおいてあったんですか?」

「私の白衣のポケットに入れておいたんです。白衣は入口近くのロッカーに収納してありました。用心が足りないって思われるかもしれませんが、そもそも、この研究所のセキュリティはしっかりしてるので、そこまで私たちが防犯に気を使う必要はないと思ってたものですから」

 速水研究員の話を聞きながら、警部は天井を見上げた。

「ここにも防犯カメラがあるようですが、やっぱり映像は消去されてたんでしょうね」

「秋元さんはそう言ってました」

 警部は天井からデスクに並んでいる研究器具に目を移す。

「サンプルと資料以外で荒らされたり、なくなってるものはないですか?」

「さっき、一通り調べてみました。他になくなってるものはありませんでした」

「犯人はピンポイントでサンプルを盗んでいったのか、内部の事情に詳しいやつなのか」警部は考えながら室内を歩き回る。警部はあごに手をあてながらドアの前に立った。

「このドアはどうやって開けるんですか?鍵で開けるんですか?」

「ドアはカードキーを使って開けるんです。今はたぶん、セキュリティルームにあると思います」

「そのカードキーは誰でも使えるんですか?」

「ええ、許可を取れば誰でも使えます」

 警部は振り返って桐生の方に向き直った。桐生は大きな冷蔵庫を開けて、中の様子を観察している。

「おーい、なんか見つけたか?」

 警部の呼びかけで、桐生はドアを閉めた。振り返った桐生の眉が冷気で白くなっていた。

「なんか、すごいですね、理科の実験って感じで」桐生は2人がいるデスクの前に歩いてきた。その途中で、桐生の足になにかが当たる感触があった。

「おっと、あれ?これは何だろう?」桐生は床にあった円盤状の黒い物体を手に取った。それは直径30センチ、高さ10センチくらいのものだった。

「あれ?それはリンダちゃんですね。お掃除ロボットです」

「お掃除ロボットって、自動で床の掃除をするやつですよね」桐生はひっくり返して裏を見る。確かに裏には吸引口がついていた。

「でも、おかしいですね」速水研究員は掃除ロボットを見ながら、そうつぶやく。

「ロボットがどうかしましたか?」警部が聞く。

「リンダちゃんは本当なら、この部屋にはこないんです。あっ、そうだ。このドアが爆発で開いた状態だったから、廊下から部屋の中に入ってきたんだわ。でも、そのまま出て行かなかったみたいね」

 桐生は掃除ロボットの側面についているスイッチらしいものに気づいた。スイッチはオンになったままだった。

「たぶん、充電が切れてるみたいですね。それで、ここで止まっちゃったんじゃないですか」

「リンダちゃんは1回充電すると、3時間はもつんだけど。たぶん、桐生さんの言う通り、ここで切れたんでしょうね。私が後で充電できる部屋に持ってくので、そのへんに置いといてもらえますか」

 桐生は掃除ロボットを目の前のデスクの上にのせた。警部はロボットから再びドアの残骸に目を向けた。

「犯人どもはなんだって、こんな派手な方法でドアをぶち破ったんだろうな。カードキーを使えば済むものを。速水さん、確か、カードキーはセキュリティルームにあるってことでしたね。ちょっとそこに案内してもらえますか?」

「セキュリティルームには、私が案内しましょう」ドアの前に立っていた秋元が言った。

「速水くんは、帰って休みたまえ。明日も早いんだろうから」

「じゃあ、所長、お願いします。警部さん、失礼します」研究員は警部たちに一礼して立ち去った。

「セキュリティルームはこちらです」秋元は、警部たちがやってきた廊下を進む。突き当たりを右に歩いていく。そのまま真っ直ぐ進み、突き当たりの左右に伸びる廊下を左に曲がる。曲がってから左にある2つ目のドアの前に立った。そのドアは開いていた。

「いちおう、現場はそのままにしてあります」

 警部が部屋に一歩足を踏み入れると、ドアの近くに人が倒れていた。警部は一瞬驚いたが、切断された部位を見て、すぐにそれが警備ロボットであることに気づいた。右の肩から斜めに腰の辺りまで切断されていた。そのロボットを踏まないように気をつけながら部屋に入っていく。部屋は6帖ほどの大きさで、入って正面の壁には、カメラの映像が映ると思われるモニター画面があるが、今は1つも映っていない。左手にはコントロールパネルが並んでいる。右の方には、ロッカーやデスクが置かれていた。警部は、部屋の奥にもう1体ロボットが倒れているのを見つけた。そのロボットは頭部を切断されていた。

「いくらロボットにしても、ひでえことしやがるな」

「星出さんによると、これはプラズマカッターを使ったようです。つまり、はじめから警備ロボットを破壊するつもりだったんでしょうね」

 プラズマカッターは、生命を傷つけることはもちろんできるが、ロボットのような硬質の金属の切断に適した道具である。警部も何度かその道具を見たことはあった。

「相棒は警備ロボットなんて見たことないだろ。あれ?相棒!」

 桐生は廊下から中の様子をうかがっている。

「どうしたんだ、入ってこい」

 桐生は倒れている警備ロボットの切断面をじっと見ている。

「あのー、ロボットは血なんてないですよね?」

「はっ?血なんて出るわけねえだろ」

 警部の言葉で安心したのか、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。入るとすぐに、ロボットを観察する。

「プラズマカッターって、すごい切れ味ですね。この傷が致命傷になったんですね」

「私も詳しいことは知らないんですが、おそらくそうだろうと思います」秋元所長が答える。

 警部はコントロールパネルに並んでいる大小さまざまなボタンを眺めている。

「カメラの映像の管理はここでやってるんだな。秋元さん、映像を消去するボタンはどれですか?」ボタンはどれも似ていて表示もない。

「そこの一回り大きなボタンです」秋元はパネルの右端から3つ目のボタンを指さす。

「ぱっと見ただけじゃあ、これが映像を消去するボタンだっていうのは分からねえな。星出君はここの指紋なんかは調べたのかな」

「さっき、彼女の部下が調べていきました。関係者以外の指紋はなかったようです」

「当然、手袋はしてただろうな」警部はパネルから部屋の中央を振り向く。桐生が、もう1体の警備ロボットの前で、何かささやいていた。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」

「相棒、だからそれは人間じゃなくてロボットなんだよ。そいつらには天国とかあの世は関係ねえんだ」

「でも、さっきまで自分の意志で動いてたんですよね。じゃあ魂はあるんじゃないですか?」

「ロボットに魂なんて聞いたことねえぞ。でも、おまえの言うのも、もっともかもな。外見は完全に人間だもんな」2体のロボットは体格や姿は似通っているが、顔はまったく別人だった。ロボットと言っても、そのあたりの個性はあるらしい。

 秋元研究員はデスクのある方に歩いていく。デスクの引き出しから一冊のファイルを取り出した。

「この中に、各ドアのカードキーが入ってます」秋元はあるページを開いた。そこには片側に8枚、計16枚のカードキーがきちんと収納されていた。その中から1枚のカードを取り出す。桐生も警部の背後から覗きこんでいる。それぞれのカードはすべて白色で統一されていた。大きさも同じだった。

「これが創薬研究所のカードキーです」カードを警部に手渡す。そこには『創薬研究所1』と書かれている。

「ちゃんとどこのカードか分かるように名前が書いてあるんだな」裏返してみるが、裏にはなにも書いてなかった。

「秋元さんが来た時には、これはここにあったんですか?」

「はい、そのデスクの中に入ってました。いつもその中に入れていたようです」

「やっぱり指紋はなかったんですね」

「なかったです」

「ふーん」そう言って、カードキーをファイルに入れようとすると、桐生が背後から声をかけた。

「楠さん、ちょっと待ってください。カードを入れる向きが逆さじゃないですか?」

「向きが逆だって?いいや、この向きで入ってたぞ。そうでしたよね、秋元さん」

「そうですね、確かにその向きでしたね。あれ?でも、おかしいな。そうすると、他のカードキーと向きが逆になってしまう」

「楠さん、ちょっと右手で隠れてるカードキーを見せてもらえませんか」

 警部の右手の下には、『休憩室』と書かれたカードが入っている。そのカードも『創薬研究所1』のカードと同じ向きに入っていた。

「これも逆になって入ってるな。他は全部同じ向きだ」警部はファイルをめくって他のページもチェックする。

「秋元さん、この休憩室って、どういうところなんですか?」桐生がたずねる。

「文字通り、社員が休憩するところです。喫煙スペースとか冷蔵庫なんかも置いてあります」

「ちなみに、このファイルは誰が管理してるんですか?」

「警備ロボットです。紛失したり、盗まれたりすれば、すぐに私のところに報告するようになっています。ロボットたちの仕事は完璧です。カードキーの向きだって、こんな感じに逆にすることはないです」

「そうすると、カードキーをここに戻したのは、人間ってことになりますね」そう言って、桐生は真剣な様子で考えこんでいる。

「ここに侵入して、警備ロボットをぶっ壊したやつは、休憩室にも何か用事があったのか。秋元さん、ここの社員は何時ごろまで働いてるんです?」警部はカードをていねいに戻す。

「特別の理由がない限りは、6時には全員ここを出ますね」

「6時ねえ」

 警部がそう言って、ファイルをデスクに戻そうとした時、警部の携帯が鳴った。ディスプレイには小津崎と出ていた。

「どうした?うん、そうか。じゃあ今行く。秋元さん、ありがとうございました。ここはもうけっこうでです。相棒、外に出るぞ」

「なにかあったんですか?」

「小津崎が、県道沿いに設置されてる防犯カメラの映像を送ってもらったそうだ。ここから猛スピードで出ていく車が映ってたそうだ」


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