桐生と楠警部の出会い
T県K警察署のパトカーが、総合アミューズメント施設『プレイワン』の駐車場に着いたのは、すっかり夜も更けた午後10時5分前だった。目の前にはプレイワンが不夜城のごとく煌々と照らされている。午後10時だというのに、駐車場は車で埋められていて、空いている場所を探すのも一苦労だ。1か所空いてるスペースを見つけると、パトカーは我さきにと駐車の体勢をとる。そのスペースを狙っていた乗用車は、相手がパトカーだと知ると別のスペースを求めて離れていった。
駐車場に停まったパトカーから、50才後半くらいの男性が運転席から降りてきた。体格はがっしりしているが、いくぶん、ぜい肉がついていて、運動不足であるのを物語っている。身長は180センチほどだが姿勢が良いせいか、もっと高く感じられる。眼差しは鋭く、射抜くような視線を前方の建物に送っている。男性は運転の疲れをほぐすように背すじを伸ばすと、開いているドアごしに助手席に向かって声をかける。
「おーい、早く降りろ。行くぞ」
男性が声をかけてから少しの間を置いて、助手席から、
「は、はい」という子供のような、か細い声が聞こえてきた。男性は助手席側に回り込んで出てくるのを待っているが、いっこうに出てくる気配がない。
「どうしたんだ、早く降りてこい」
「それが、そのー。どうやってドアを開けたらいいんですか?」
「はっ?ドアについてるボタンを押すんだよ」男性はため息をつきながら教える。
助手席のドアがためらいがちに開いた。そこから出てきたのは、身長170センチほどの細身の男で、年齢は20代前半くらい。警察の制服を着てるので、いちおうは刑事だと思われるが、顔が異様なほど青白く、どこかおどおどした表情をしている。寝癖なのか髪の毛が1か所、ピンと立っているところがある。
先に外に出ていた男性は、ひ弱そうな青年の肩をポンと叩いた。
「ここにお前の上司の楠君がいるはずだ。いくぞ」
助手席から降りてきた青年は、まぶしそうな顔をしながら、前方のキラキラと輝いているアミューズメント施設を眺める。
「その方はここで何をしてるんでしょうか。事件の捜査ですか?」2人は建物に向かって歩き出す。
「捜査じゃない。ボウリングだよ。彼の趣味らしい」
「ボウリング?」
年配の男性は、駐車場に停まっているある車を指さした。
「あれが楠君の車だな、後ろに貼ってあるステッカーを見れば分かる」
青年がその車を見ると、確かにステッカーが貼ってあった。そこには、『Bowling is my life』と英語で書かれていた。
施設内は若者で賑わっていた。受付カウンターでボウリング場のフロアを確認すると、急ぎ足で向かう。青年もその後に続く。
制服姿の警官が入ってきたことで、一瞬、沈黙して張りつめた空気になったが、自分たちには関係ないらしいことが分かると、若者たちは再びおしゃべりを始めた。
ボウリング場は若者から家族連れ、お年寄りまで幅広い客で溢れていた。目当ての男性はすぐに見つかった。年配の警官は、背中に楠という名前が入ったユニホームを着た男性に声をかけた。
「おーい、楠君」
楠と呼ばれた男は手を振ってこたえる。
「成瀬さん、とうとうボウリングデビューする気になりましたか?」男は嬉しそうな表情で2人に近づいてくる。男のユニホームは汗でにじんでいて、今までそうとうプレイしていたようだ。
「ははは、今日はボウリングじゃないんだ。前に言ってたろ。新人の面倒を見てやってくれって」
「新人の面倒?ああ、そういえばそんなことをおっしゃってましたね。その新人を連れてきたんですか、どこにいるんです?」楠はタオルで顔の汗を拭きながらたずねる。
「こいつだよ」男性は横にいる青年の肩に手をのせる。
「えっ?きみが新人?」
「よ、よろしくお願いします」青年は伏し目がちにあいさつする。
「成瀬さん、冗談じゃないですよね」楠は青年をまじまじと観察する。
「オレがわざわざ、こんなところに来て冗談なんか言いはしない。しばらくの間、よろしく頼むよ」
「そりゃあいいですが、K警察署も人材不足ってわけですか?」
「署長からの推薦らしい。見た目は頼りなさそうに見えるが、頭は切れるらしいぞ」
「へえー、そうですか。きみ、名前は何ていうの?」
「桐生整です」
「桐生か、オレは楠亮平だ。よろしく。ところで、顔色が悪いようだが、気分でも悪いのか?」
「いえ、なんともないです」
「こいつはいつも青白い顔をしてるんだ。オレも初めて見た時は、病人じゃないかと思った」成瀬の言葉がかき消されるほどの歓声が隣のレーンからあがった。どうやら、ストライクをたて続けに出しているようだった。
楠警部は桐生を新種の生き物を見るような感じで眺めている。
「でも、警官っていうよりも室内でフラスコを触ってる研究者っていう感じだな」
「ははは。まあこれから、たくましくなっていくさ。桐生、おまえの得意の推理を披露してやったらどうだ?」
「えっ?推理ですか、急に言われてもなあ。うーん」桐生はぼさぼさの髪をかきむしる。
「間違ってたらごめんなさい。楠さんは結婚されてますね。娘さんが1人いる。それから、楠さんの誕生日は12月11日、ラブリっていう犬を飼っていて…」
「ちょっと待て。ここに来る前に、オレの情報を仕入れてきたんだろ。オレの『楠くんのずぼら日記』っていうブログでも見たのか?」
「ブログとかは見てません。さっき、駐車場に停めてあった楠さんの車の中をちょっと覗いたんです。後部座席には、プレゼント用だと思われる、きれいに包装された包みが2つ置いてあるのが見えました。包装の感じとか、リボンからすると、その包みはたぶん、時期的にクリスマスプレゼントじゃないかって思ったんです。それも、女性にプレゼントするような、可愛らしい包みでした。その1つには、『いつもありがとう』ってメッセージが書いてあるカードが添えられていたので、それは奥さんにあげるものだと思うんです。もう1つは娘さんですね。誕生日については、警部が履いているシューズは若者に人気のあるものですね。そのシューズを警部が自分で選んで買ったとは、ちょっと思えないです。たぶん、娘さんに買ってもらったものだと思うんです。シューズを見ると、ほとんど新品みたいに新しい。最近買ってもらったんだろう。父親が子供に何かを買ってもらう時は、たいてい誕生日でしょう。すると、警部は最近、誕生日だったはずです。具体的にいつ誕生日かは分からないと思ったんですけど、ふと車のナンバープレートを見たら、1211っていう数字になってたんで、間違い覚悟で12月11日って言ってみたんです。そしたら当たっちゃいました。ラブリっていう犬がいることは、警部の左の手首にしているリストバンドに『ラブリ命』って書いてあるじゃないですか。娘さんの名前ではなさそうなので、これも犬かネコか迷ったんですが、犬って言ってみただけです」
「ふーん、なるほどな。そう言われれば、そうかもしれない。おまえ、なかなかやるじゃないか。よし、これからいっしょに仕事をするんだ。ちょっとボウリングにつきあえ」警部は有無を言わさぬ口調でボウリングに誘う。
「ボウリングですか、やったことないですよ」
「なあに、簡単さ。10本のピンを倒すだけだからな。ちょっとこのボールを持ってみろ」楠警部は自分が投げているボールを桐生に渡す。
「お、重い。もっと軽いのないですか」
「じゃあ、これでいいか」警部は1番軽いボールを持ってきた。
「まずはオレが手本を見せるから見てろ」警部は慣れた手つきでボールを握ってレーンの前に立ち、深呼吸してから、ボールを投げる。ボールは吸い込まれるように、ピンに向かって進んでいき、快音を響かせて10本全てなぎ倒した。
「じゃあとりあえず、投げてみろ。後でいろいろアドバイスしてやる」
桐生は両手でボールを持ち、へっぴり腰でレーンに立つ。よろめきながらも助走をつけ、思い切ってボールを投げた。ボールはすぐに右側のガターに入っていった。桐生は照れながら振り返る。
「まあ、最初はそんなもんだ」
「じゃあオレはそろそろ帰るよ。桐生君をよろしくな」成瀬が立ち去ろうとした時、楠警部の腕時計型携帯の着信が鳴った。
「小津崎からか、こんな時間にめずらしい。もしもし、どうした?」
楠警部が携帯で話している間、桐生はもう一度チャレンジする。今度は慎重にボールの軌道をイメージする。
「えいっ」
ボールはガターすれすれを進んでいって、右端のピンを1本だけ倒した。ボールを投げた直後、桐生は右肩をおさえて、痛そうにしている。
「そうか、じゃああと40分くらいでそっちに向かう。現場は保存しておいてくれ」
「事件か?」成瀬がたずねる。成瀬は携帯を車の中に置いてきたことを思い出した。
「N市にある『エリクシール』っていう会社で爆発があったようです。なんでも、その爆発で死者が出ているようです。おい、大丈夫か」警部は、肩を痛そうにおさえている桐生に近づく。
「だ、大丈夫です。けっこう難しいものですね、ボウリングって」
「今からN市に行くから、いっしょについてこい、えーと名前は何だっけ?まあいいや、相棒でいいよな」
「あいぼうですか、はあ」