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死妃の娘  作者: はかはか
第四章 疑念
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【 閑話休題 『竜騎士オーシャ』 】

 鋭い山嶺が幾重にも重なり、稜線の遥か彼方に霞みに隠れるはフィリアの広大な沃野。谷間を緑濃い針葉樹林が密生し、丈低い植物が限界線を迎える所。そこより上には、天にも届く永遠の白い頂、カムレイ山脈の急峻な山肌が羽を持つ者以外の来訪を寄せ付けない。時折、雲が眼下を流れ、鷹やとんびが眼前を流れ移る。

 竜騎士ダンピスは、カムレイの断崖に口を開けている《南の牙》の入口に飛行竜を着地させた。山々を斬り裂く強い気流がカムレイの山腹に衝突して巻き起こす乱流が竜を翻弄する為、離陸時と着陸時は特に慎重を要するが、ダンピスが乗る飛行竜シレーグは、老練の域に達した技を操り、風を読み、巧みに位置と速度を整える。

 ダンピスは、シレーグから身軽に下りると、軽くシレーグの頬を叩いて《南の牙》の奥に足を早めた。若い見習い竜騎士達が駆け寄り、ダンピスの装具を外していく。飼育員がシレーグを《巣》の中に連れて行く。ダンピスが声を張り上げて、足元の保温を忘れないように声を掛ける。ここで働く者は、無駄口を叩く事は無いが、《巣》の奥からこだまする声に負けないようにしなければならない。

 右腕に少々痺れが入っている。飛んでいる間は長槍ながやりを構えている為、筋肉の筋が痙攣して夜も引かない事が多くなった。ダンピスも三十を過ぎる年齢になる。十代前半から気力体力を酷使する竜騎士の中では古参に入る時期だ。もうそろそろ現場を離れて、次の若手に席を譲る事も考えないといけない。只、三十を過ぎても現役を続けている騎士もいない事は無い。

 竜騎士の人数は、飛行竜の頭数により決まる。とは言え、出産数にさほど大きな増減が無い竜族だ。竜騎士の数が大きく増えたり減ったり事も無い。限られた枠を実力で勝ち取らなければならない世界だ。例え若くても力を見せれば先輩よりも早く騎士になれる。

あいつのように……。

 ダンピスは、振り返って大きな口を開けた《南の牙》から外に目をやった。丁度、次の竜騎士が着陸に入っている所だった。

 《巣》の誰よりも竜と心を通じさせる乗り手は、まだ三回の経験しか無い若い竜を巧みに制御して、難なく乱気流を乗りこなして着地した。

「相変わらず上手いな」

 ダンピスの後ろで見ていた見習い騎士が仲間に呟いた。

 この飛行竜は、まだ体が育ち切ってなく、翼も物足りない。大気の影響をまともに受ける上に、それを乗り切る体力も心許ない。生まれた時から成長が遅く知能も不足気味。はっきり言って、飛行竜としては烙印を押されてもおかしくない個体だった。それを強引に譲り受けたのは、単なる同情なのか、それとも自分と同じはみ出し者としての匂いを感じたのか……。

 若い竜から軽やかに下りた騎士は、優しく竜を撫でながら飼育員に細かい指示を与えていた。「藁を増やして体を温めるように」「疲れているから固い食事は避けて」「少し左の翼の動きが弱かったから、確認をしておくように」等々……。

 竜はその間も興奮冷めやらず、甲高い声を洞内に響かせている。その行為も許されるものでは無い。飛行竜たるや、超然と落ち着いていて、何時如何なる時も静寂を旨としなければならない。

 どうやら、先が長そうだな。

 ダンピスはその様子を見ながら、騎士が来るのを待った。

 小柄で華奢な体格、流麗な身のこなしと長く豊かな黒髪。竜騎士の代名詞である長槍を軽々と持ち上げ、一枚物の白い布地をまとうだけの格好。有り得ない程の薄着は、竜の血の成せる技なのか。

「オーシャ。見事だ」

「ありがと。嬉しいわ」

 言いながら、オーシャと言われた騎士は無表情で返す。

「やっぱり、あの竜は諦めた方がいいんじゃないか?」

 ダンピスが言うと、オーシャは鋭い眼差しで見返した。

「あなたに指図される言われは無いわ。放っといて頂戴」

 相変わらずの寒い対応。ダンピスは、苦笑した。

「トラ=イハイムまで行っていたのか?」

 オーシャは長槍を預けると、見習い騎士から渡された布巾で体を濡らした水滴を拭き取り始めた。

「いいえ。東に山沿いを飛んでいただけよ。あの子が……」と言って、竜を指す。「人間のいる所に不時着しないように」

「ああ、それは寒そうだな」

 言って、ダンピスはオーシャの薄着を見た。そうそう、この女に寒暖の差は通じないのだ。

「でも、久し振りにお姉さんの居所が分かったんだ。顔を見に行きたいだろう?」

 オーシャは、布巾の隙間からダンピスを睨んだ。

「私達から逃げている奴らよ。会いたくも無いわ」

「そうか……」

 ダンピスは、雰囲気を和らげようと肩を竦めた。

「それは、冷たいな。同じ竜の血を引く家族だと言うのに」

「家族?」

「そう。家族だろ」

「家族なら、向こうから会いに来るべきじゃない? 竜の子だという自覚があるのなら、ここに来るべきよね。なのに、何が嫌で人間と一緒に暮らしているのよ」

 背の低いオーシャがダンピスを見上げる目は、本気の怒りで彩られていた。

「そんなにカッカするな。スーシェル達は、人間に洗脳されているだけだ。一度ここに来れば、きっと気に入ってくれるさ」

 オーシャは、幼い頃神竜に連れられて来た為、外の世界を知らない。

 ダンピス達竜騎士が家族同然の生活を営んで来たのだが、やはり心の傷は埋めようが無かった。

 時折、オーシャはみんなから離れてひとりで時間を過ごす事がある。そんな時、オーシャが何を考えているのか、誰にも分からない。自分の気持ちを他人に打ち明ける事が無かったオーシャだった。

 只、竜騎士としての才能は他を圧してずば抜けていた。竜の血の力は、彼女に竜に匹敵する力を与えてくれたようだ。強靭な体力と素早さ、何にも動じない精神、竜と意志を通わせる感応力。まさに、それは竜そのもの。当然、オーシャに敵う竜騎士はひとりもいなくなっていた。

「来るかしら?」

 オーシャは、誰に聞くともなく呟いた。

 神竜は、オーシャを連れて来てからは、スーシェルに対して何の接触も行動も起こそうとしなかった。そのオーシャにしても、育てるのは竜騎士に委ね、全く口出しせず任せ切りだった。

「今まで、近付く素振りも見せなかったのに」オーシャは、ダンピスに視線を投げながら言った。「もう、私の事なんか、忘れてるわよ。きっと」

「……」

 オーシャの投げ遣りな言葉にダンピスは返す事が出来無かった。

 オーシャは、視線を落としたダンピスをその場に残して、ひとり《巣》の奥に歩いて行った。

 オーシャ自身、竜騎士になりたくてなった訳では無い。他の騎士は、幼い頃から竜騎士に憧れて、竜騎士になる為に厳しい訓練を乗り越えて来たが、オーシャは竜騎士になりたいなどと思った事は一度も無かった。しかし、《巣》に閉じ込められ、《巣》の中で生活する為には、《巣》の外の世界を垣間見ようとするならば、竜騎士にならざるを得なかったのだ。

 自分は、ここに閉じ込められた存在なのだ。

 竜騎士として、何度も外を回る内に、オーシャは自分が置かれている特異な環境に疑問と鬱屈を感じるようになっていた。

 竜騎士達は、自分を尊敬し、敬意を表し、時には崇拝すらもしてくれる。

 しかし、そんな状況を楽しんだ事は一度も無かった。

 竜の子供として羨ましがられ、《竜の巣》に住み、後々竜騎士を率いる長としての人生を約束されている自分をみんなは率先して支えてくれ、期待してくれている。

 それが一体何だと言うのか。

 オーシャにとっては、外の世界で好きに生きているスーシェルこそが羨ましかった。自分だけ、こんな状況に置かれている事を知らず、自分に会いにすら来ない、自分を救いもしないスーシェルに対して、オーシャは憎しみさえ感じる事がある。

 きっと、スーシェルに会えても、自分は喜びを感じないだろう。もうひとりの私は、竜の一族である事実を捨て去ったのだ。恐らく、初めて相まみえる時は、友好的な邂逅かいこうは望むべくも無いに違いない。


 自分がここにいる限り。

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