疑念 その8
シロリオは、ノイアールが持つ蝋燭の光を頼りに薄暗い船底の奥に入って行った。
空気がますますどんよりと重くなって来て、少々呼吸し辛い。
ノイアールは、布地の束が積まれている場所で待っていた。
「どうしたんだ?」
シロリオが聞くと、ノイアールは横の布地の山を軽く叩いた。
「これだ」
「これ? 別に珍しくも無いじゃないか」シロリオが見た所、それは只の布地の束だった。「逆に布の密輸なんて初めて聞くぞ」
そう言うシロリオの前に、ノイアールは一枚の布を引きずり出した。
「ちょっと、場所を開けてくれ」
シロリオが少し下がって、布を広げる場所を作ると、ノイアールは布の端をシロリオに持たせた。
ふたりして布を広げて見る。
それを見て、シロリオは目を見張った。
蝋燭の朧げな光に照らされたそこには、大きくシェザールの国章であるラメの香木の図柄とロクルーティ公爵家の紋章が組み合わされた絵が描かれていた。
「これは……」
シロリオは、通り一遍の反応をした。
シェザールでは、国旗はシェザールの命であるラメの香木と王家の紋章を組み合わせて作られる。その為、王家が代替わりする毎に国旗の図案も変わって行くのだ。
所が、この布にはラメの香木とロクルーティ公爵家の紋章が組み合わされている。
それが意味する所は、ひとつしか無い。
シロリオは、言葉が出なかった。体が凍り付いていた。
その目は、布に描かれた絵から動かなかった。
自分の目の前に、有り得ない物が存在している。
普通では、生まれる筈の無い物だった。
この絵は、当然の事ながら、決して人の目に触れさせてはならないものだった。
もし、この絵が流布してしまえば、公爵家は断絶、一族は女子供に至るまで死は免れない。
つまり、この絵の存在は、セーブリーの謀反を指し示すものだった。
ノイアールは、しばらくシロリオの様子を見ていた。
シロリオがこの衝撃から立ち直る時間を与えないと、自分の話を落ち着いて受け入れてくれないだろうと思った為だった。
「……反論する余地はあるか?」
シロリオは、小さな声で言った。
「これは……、この旗は、公爵様に恨みを持つ奴らが、公爵様を貶める為に作ったもので、やはり公爵様は無実なんだという可能性はあるか?」
ノイアールは、まだ身動きもしないシロリオを見て、優しく返した。
「お前がそう思いたい気持ちは良く分かる……。しかし、お前自身が信じ切れなくなってしまった気持ち、それが全てを物語っている」
ノイアールの言葉に、シロリオは辛そうな表情で目を瞑った。
シロリオにとって、セーブリーは正に恩人だ。
父母を亡くし、孤児として行き場の無かったシロリオを拾ってくれたのがセーブリーだ。
感謝してもし切れない程の恩義がある。
その恩人が密貿易に手を染め、あまつさえ謀反を計画しているとは……。
「それで……、どうしたらいい?」
「まさか、公爵につく訳ではないだろう?」
シロリオは、頷いた。
シロリオとて、シェザールの一員である。セーブリーへの恩義はあるが、それ以上に国王、国家への忠誠は厚い。
セーブリーが道を誤ってしまったからには、それを自分が正さなくてはならない。
「ああ。……謀反は、決して許されない事だ。今からでも、この事を陛下の耳にお入れして、公爵様の身柄を確保しなければならない」
シロリオは、決心していた。
「ラーエンス総督に報告する。ノイアールも一緒に付いて来てくれ。お前から言ってくれた方がいいだろう」
シロリオは、腰を上げて、今にも駆け出しそうになっていた。
それを、手を上げてノイアールが止めた。
「待った、待った。全く、気が早い奴だな」
「何だ? 急がないと、いつ公爵様が決起するか分からないじゃないか」
「そう焦らなくても、公爵はまだ動かないわ。だから、俺はお前だけ呼んだんじゃないか」
「は?」
ノイアールがそう言っても、シロリオは腰を浮かしたまま信じようとはしない。
「いいか。ひと言謀反をすると言っても、それを実行するには大変な手間がかかるものだ。分かるだろ? 協力してくれる仲間を集めなければならないし、実行するにはまとまった兵が必要になる。なにより、その為には、大きな金がいる」
ノイアールは、手元の船荷を軽く叩いた。
「これらは、その為の物だ。こいつらを売りさばいて、ようやく大金を手にする事が出来る。それに、この旗だ。公爵は、謀反が成功したら、この大量の旗を街のあちこちに掲げて既成事実を作るつもりだったんだろう。民衆を煽って、その支持を取り付ける事で、新国王の地位が盤石になるんだ。そうすれば、不満を持つ者も簡単には抵抗出来無くなる。その為には、各所に旗をばら撒いておかなくてはならない」
「そしたら、まだすぐには行動しないという事か」
「そうだ。予定は、まだ数日先の事だったんだろう。そして、俺達がこの密輸品を押さえた事で、さらにこっちに猶予が与えられた筈だ」
シロリオは、ノイアールに向き直ると反論した。
「それがどういう事になるんだ? どっちにしても、早く伝えておいた方がいいだろう?」
ノイアールは、そう言うシロリオを可笑しそうに見た。
「そこが、お前の素直な所なんだな。いや、悪い意味で言ってるんじゃないぞ」
シロリオは、ノイアールの反応にイライラしていた。国家の危機が迫っているというのに、どうしてこうも余裕かましていられるのか。腹立たしい感情が波打って仕方無い。
「そういきり立つなって。いいか、冷静に聞いてくれ」
「分かった、分かった。聞くから、早く言え。時間が無い」
「俺の話を聞き終わった頃も同じ言葉を吐けるかな」
ノイアールは、シロリオに座るように手で指示した。
シロリオは、最初は抵抗しようとしたが、何とか我慢して無造作に腰を下ろした。
「まず、クオーキー伯爵殺害の件だ。公爵が謀反を起こすとして、一番邪魔になる存在がクオーキー伯爵だった。何たって、シェザール軍の頂点に立つ方だ。あの人がいるだけで兵士の士気が数倍変わると言われていた。公爵は、その伯爵を消す事で最大の抵抗勢力を排除した訳だ。そして、死妃の娘捜索の協力を理由に、自派のレイトーチ伯爵の兵を街に引き入れる事に成功した。こんな事、クオーキー伯爵が生きていたら反対していた筈だからな。只、肝心の自分の兵は、まだ入れられてないがな」
それは、理解出来る。シロリオは、頷いた。
「タンバルを消した理由は、恐らくタンバルが真相に気付いたか、ただ単に秘密に近付き過ぎたかだろう。伯爵の遺体発見役、そして、何故か直ぐに警備隊に知らせを出さない不自然さ。幾ら長年ロクルーティ派の汚れ仕事に携わって来たとは言え、今度は天下の大罪を犯そうとするんだ。今まで通り、タンバルに取り引きを任せてしまうのは不安に感じた。いつでも首切りが出来ると思っていたから、タンバルを使い続けていただけだ。だから、今回はタンバルをその座から降ろして、信用出来る他の者に任せようとしたのさ。その他の者が出る出番が無かっただけの事だが」
シロリオは、黙って聞いていた。ノイアールの話の内容は、確かに筋が通っている。口を挟む余地が無い。
「そこへ、俺が運良く割符を手に入れる事が出来たから、この秘密に辿り着いたのさ。勿論、そうなると、謀反を止めさせないといけない。だが、俺は、それを先延ばしにしようと考えた」
「どうしてだっ? どうしてそうなる?」
「お前の想い人の為さ」
ノイアールは、焦るシロリオを見てニヤリと笑った。
「モアミと言ったか? あのカワイ子ちゃん」




