疑念 その4
ふたりが案内された所は、甲板からひとつ下りた所にある船倉だった。
先程、出迎えた三人の男達も後に続く。
階段を下りたシロリオは、思わず息を止めた。
ご多分に漏れず、長年船に染み付いた海の臭いと長期航海を潜り抜けて来た船員達の酸い体臭がない交ぜになり、酷く鼻に突き刺さる。
公爵家で辛酸を舐め続け、心の内を表に出さないよう無意識に癖付けられて来たシロリオは辛うじて無表情を貫き通せたが、ノイアールには難しかったようだ。
ノイアールの僅かな表情の変化に気付いたマタレバが面白そうに言った。
「初めての人間には、この臭いは厳しいかな? ちなみに、これより下の居住部分は、もっと楽しい事になっていてな。後で案内してもよろしいが?」
ノイアールは、意地悪そうな笑みを見せているマタレバを見下ろしながら、言葉少なに返した。
「いや。それはいらん」
そんなノイアールを見て、マタレバと男達は、肩を揺すりながら声を出して笑った。
「お望みの品は、ここにある。じっくり確認するがいい」
言いながら、マタレバが頑丈な一枚板の扉を開けると、やや天井が高い広い船倉が目に入って来た。
その船倉に、様々な船荷が山積みにされているのが見えた。
「どうじゃ。フィレル、カナシラ、フィエリレス、ユービ、ユナイア、その他遠国から掻き集めた珍品、秘宝揃いじゃ。貴族のお偉方には、喉から手が出る程夢中になる物ばかりじゃ。手に入れるのは大変だったぞ。抜け目の無いフィレルやカナシラの商人と喧嘩腰になったり、ユービの海獣に追われたり、フィエリレスの盗賊組合に攻め込まれたり、お前さん達には想像もつかん経験をして来たんだ。安くは無いぞ」
マタレバは、言いながら大袈裟に両手を広げた。
マタレバの言葉を後に、部屋の中に進むと、ノイアールは手近の船荷を破り開けた。
中から、奇妙に曲がった黄色い果物が現れた。
ノイアールは、遠慮無くその果物を手に取り、鼻を近付ける。
「それ、美味しいぞ。バナナというんだ。食べて見ろ」
マタレバもノイアールの横に並び、バナナを取り出し、シロリオにも一本渡した。
「こうやって食べるんだ」と言いながら、バナナの皮を剥き、口に頬張る。
それを見たシロリオもバナナを縦に横に眺めて、見た通りに皮を剥いた。
ノイアールは、バナナには興味無さ気に手でもてあそんびながら、マタレバに体を向けた。
「確かに、なかなかの量を集めたようですね。これなら、上のご陽気な連中も満足するでしょう」
「ほほ……。言うねえ。気に入った」
マタレバは、バナナを口に頬張りながら笑った。
「だが……、私が見たいのはこれでは無いのですが……」
ノイアールは、意味有り気にマタレバを見て、バナナを元の船荷に投げ入れた。
「先程のお言葉に甘えまして、下の船室も拝見させて頂きたいと思います」
シロリオがバナナを食べようとした時だった。ノイアールの言葉にマタレバの表情が変わり、入口で様子見していた男達が腰の剣に手をやるのが聞こえた。
「どうしてです? さっき言った通り、下はさらに酷い状況になってますよ。あなた達に我慢出来るような場所ではありません。それに、公爵のご希望の品は、これこの通りここにあります。他に何がご希望なのです?」
マタレバの言葉にシロリオは反応した。
「公爵? それはどういう事だ」
「……ふむ」マタレバは、不穏な笑みを見せながらノイアールとシロリオから遠ざかった。
それと同時に男達がふたりに足を進める。
「口を滑らせたな。さっきといい、今といい……」
「くふ……」
ノイアールが言うと、マタレバが反論する。
「お前達の反応を見て見たかったのだ。どうせ、お前達は、ここから生きて出られないのだ。大体、このわしを甘く見過ぎておるぞ。商売柄、こういう仕事に携わっているとな、ここが……」とマタレバは自分の頭を指差した。「大層賢くなってな。どーも、お前の顔をどこかで見た事あるなと思っていたら、何の事は無い、そちらのお友達は、国王警備隊の副長ではないか」
シロリオは、唇を噛んだ。面が割れている可能性はあったが、まさか、海外を回る商人にも知られているとは思わなかった。
「驚いたか? 噂の裏切り者の子供めが……」マタレバは、シロリオを指差した。「いいか、お前が思っている以上に、お前は有名人なんだぞ。それを知らなかったとは、お目出度い奴だ。地獄の父君も大層悲しんでいる事だろうな」
「船底に見せたくない物があるのだな」
マタレバの言葉を無視してノイアールが睨み付けながら言うと、マタレバはカカカと笑った。
「そんな事を聞いてどうする? お前達は、最早あと僅かな人生なんだ。ほれ、膝まづいて命乞いをしてみるがいい」
「どうして、偽物の使者だと分かった?」
「ひっひっひ。聞きたいか? いいだろう。わしの名前じゃ。マタレバは、フィリアの言葉で月の神という意味だ。いいか、月の神とくれば、イェオヤが来るに決まっとるだろう」
「合言葉か……」
さすがに、タンバルはそこまで残してなかった。いや、もう少し調べていれば分かったかもしれないが……。
ノイアールは、「成程ね」と言いながら面白そうに顎を掻いた。
「強がりもここまでだ……」
マタレバが合図を送ると、船倉の扉が開いて、さらに数人の男達が手に手に武器を持って入って来た。
シロリオとノイアールが剣に手を掛けながら奥に下がると、最後の男が船倉の扉を厳重に閉じた。
「有難い。そうしてくれたら、そっちの応援が入って来れなくなる」
ノイアールが笑みを浮かべながら言った。
「負け惜しみを言いおって……」
マタレバは、楽しそうに体を揺らした。
「わしを騙そうなんざ、十年早いわ。……いや、何年でも早いわ。いいか、もう命乞いは聞かんぞ。たっぷりと痛み付けてやる」




