捜索 その46
もう陽も落ち、街が闇に包まれようとしている夜ひとつの刻だった。
タンバルの葬式も終わり、慌ただしさもひと段落した頃、家の戸を叩く音がして、グレーベルは顔を出した。
そこに立っていたのは、細面の目の鋭い若者だった。
ラヌバイ男爵の使用人で、タンバルと共に仕事をしていたのだと言う。
そういう人間は、今日二度目だなと思いながら、グレーベルはその男と家の前で話をした。
聞く所によると、タンバルが無くなる前に、この男がタンバルの仕事を受け継いだらしい。それで、タンバルが持っていたある重要な品を取りに来たと言うのだ。
それを聞いたグレーベルが一瞬顔を引きつらせてしまったのを、男は見逃さなかった。
「それは、ロクルーティ公爵様からの大切な預かり物でして、その品を使ってタンバル殿は、ある重要な仕事を行っていたのです」
男は、グレーベルの顔からわざと目を逸らし、考える振りをした。
「もし、見付からなければ、私はラヌバイ男爵様に首にされてしまうのです。どうか探し物にご協力頂けないでしょうか?」
「え……と、そう言われましても、私は叔父の仕事については全く聞いていませんでしたので、その品物がどこにあるのやらさっぱり分からないのです」
「そうですか。では、ご家族に伺わせて頂きましょう。ご家族なら何か聞いているのかもしれませんので……」
男がグレーベルの脇を通ろうとすると、グレーベルは焦って男の前を塞いだ。
「いやいや。叔父は、仕事については何も口にしませんでしたので、みんなも知らないと思います」
男は、大袈裟に怪訝な表情をして見せた。
「それは、どうでしょうか。長年、男爵様の元で働いていたのです。自分の仕事内容について全然伝えないのもおかしなものでしょう。もしかして、あなたが知らない事を聞いているかもしれないですよ」
グレーベルの顔から尋常では無い量の汗が噴き出していた。
もし、この男が本物の使いだとしたら、ノイアールに割符を持ち出されてしまった事でお咎めがあるかもしれない。
しかも、家族のみんなには内緒でノイアールを家に入れてしまっていたのだ。自分の失敗のせいでみんなに迷惑を掛けてしまう。
グレーベルは、生きた心地がしなかった。
どうにかして、この場を切り抜けたかった。
「あ、そうだ。あなたは、本当に男爵様の使用人なら、証拠を見せて下さい。それが無ければ……」
グレーベルが最後まで言う間も無く、男は男爵家の契約書を見せた。
「ご覧の通り、男爵様の直筆の雇用契約書です」
そう言われても、グレーベルは字が読めなかった。
しかも、契約書なんか見るのは初めてだった。まるで、珍しい物でも見るように、グレーベルはまじまじと契約書を見た。
男は、グレーベルが字を読めない事に気付いて、さらに服の中を探り始めた。
「お疑いなら、これも見せましょう」
男が手にしたものは、ラヌバイ男爵家の家紋が入っている胸章だった。
「これはご存知でしょう。これは、どこの貴族の使用人かを表す印になります。如何ですか? これでご安心しましたか?」
その文様は、グレーベルも見た事がある。
さすがに下層民でも大体の貴族の紋章は知っているし、タンバルがラヌバイ家の紋章が入っている胸章を持っていた事も覚えていた。
ここで、グレーベルは観念してしまった。
自分は、何て愚かな事をしてしまったのか。ノイアールの言葉に巧みに乗せられて、取り返しのつかない事をしてしまった。
こうなると、正直に話すしかない。
それでも、自分だけの問題にしておきたいグレーベルは、ノイアールの時と同様に男を家の裏に連れて行った。
「実は、家族は何も知らないのです」
「何をですか?」
「割符の事です」
グレーベルは、男が自分を睨み付けた事に気付いていなかった。
「済みません。私は騙されてしまったのです。あの男が私に嘘をついていたのです。私は、てっきりあの男が本物だと思っていたのです」
「何を言っているのですか?」
男は、動揺を悟られないようにゆっくりと言った。
「こちらです」
裏口についたグレーベルは、男に答えずに扉を開け、タンバルの書斎に案内した。
その後ろでは、男がグレーベルに知られないように通りに顔を向け、周囲に合図した。
蝋燭の灯りに照らされた書斎は、炎の揺らめきの中、左右に形を変えている。
グレーベルは、ノイアールが去った後、床の板を戻していた為、ひと目では分からなくなっていた。
その為、男はおもむろに部屋に入ると、グレーベルに振り向いて聞いた。
「……で、どこに?」
グレーベルは、慌てて部屋に入ると、男の体を避けながら床板を指差した。
「そこ……、そこを破って……」
今度も男はグレーベルの言葉が終わらない内に床に跪いて確認した。
「ここにあった訳だな……」
男は、後ろでグレーベルが頷いた事を感じ取った。
「……誰が持って行った?」
「は……ええと……」
グレーベルがすぐに答えられずにいると、男は突然振り向いて、グレーベルの首を締め上げた。
「誰が持って行った?」
冷静で冷徹な声だった。
グレーベルは、ここに来て、ようやくこの相手が只ならぬ者だと気付いた。
「そ、それは……」
首を絞められたグレーベルは、軽々と持ち上げられていた。
気管が詰まり、声にならない声を出した。
「言え。……誰だ」
「ベ、ベニスンさんです……」
グレーベルは、声を絞り出しながら、ようやくひと言言った。
それを聞いた男は、グレーベルを投げ落とした。
「ベニスン……。ノイアール=ベニスンだな?」
グレーベルは、喉をさすり、落とされた拍子に打ち付けた尻をさすりながら頷いた。
「で、割符はどうした?」
喉に手をやって何度か咳をしたグレーベルは、若干睨み付けながら男を見上げた。
「……割符はどうした?」
男は、グレーベルの視線にも構わず重ねて聞いた。
「ベニスンさんが持って行きました」
グレーベルが憮然とした様子で言うと、男は目を剝いてグレーベルを睨み返した。
「どこだ? どこに行った?」
「そんなの知りませんよ」
「何か言っていなかったか?」
「何をですか? 覚えていませんよ」
「何でも良い。単語でも良いから」
男は、グレーベルに近付き、凄んで見せた。
そんなに睨まなくても……。グレーベルは、男の厳しい視線から目を逸らした。
「そうですね……。あ、密貿易がどうとか言ってました」
グレーベルが手を叩いて答えると、男はもう一歩近づいた。
「他には? 他に無いか?」
グレーベルは、溜め息をつきながら立ち上がった。
「無いですよ。記憶にございませんっ」
グレーベルの返事に、男は音も無くグレーベルの後ろに回り込んだ。
「あ……」
グレーベルが気付いた時には、既に鳩尾から短剣の刃先が姿を現していた。
そのひと突きは、静かで滑らかで無駄が無かった。
人の命を奪う事に何の躊躇いも感じない者しか見せる事の出来無い動作だった。
男は、何事も無かったかのように短剣を抜き取ると、振り返りもせずにさっさと部屋を出て行った。
「あ、あ……」
グレーベルは、何が何だか分からずに、噴水のように血が噴き出る腹を両手で押さえた。
何故か、痛みは無かった。どうして血を流さなくてはならないのか訳が分からなかった。どうすれば、この怪我を治す事が出来るのかを考えていた。
声は出なかった。叔母を呼ぼうにも腹に力が入らない。大きな物音を出そうにも体が動かない。移動しようにも足が前に進まない。その内に視界が霞んで来て、今自分が前を見ているのか天井を見ているのか床を見ているのか分からなくなって来た。
やっと、気付いたのは、このまま自分が死ぬかもしれない、という事だった。
グレーベルは、余計な事まで知っていた。
割符の存在と密貿易。それだけ知っていれば、命を失うには十分な理由だった。
ノイアール=ベニスン。
その名は、ゼラも知っていた。
文武に優れ、老若男女問わず人気が高かった若手貴族。
華やかな貴族社会を未練も残さずに飛び出した男。
それだけでも腹立たしいのに、庶民の中でも成功を収め、名を高めつつある。
表に出たゼラは、側に寄って来た仲間にノイアールの名前を伝えた。
「この男が割符を持っている。見付けたら俺に知らせろ」
この手で切り刻んでやる。
「どこにいるか分からないか?」
仲間の問いに、ゼラは止まった。
「……まずは、自宅だな」
しかし、手に持っている短剣の血を拭き取っている時に、ゼラは再びグレーベルの言葉を思い出していた。
「……この男は、密貿易の事を知っていた」
横に寄って来た仲間もゼラの言葉に頷いていた。
「ベニスンが何を狙っているのかは分からないが、只割符を盗んだだけでは済まない可能性があるな」
同感だ。ベニスンが誰かに雇われているにせよ、真相を明らかにするつもりなら、割符を使って謎を暴こうとするだろう。
ゼラは、仲間に笑みを見せた。
「港だ」




