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死妃の娘  作者: はかはか
第三章 捜索
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捜索 その44

 そこは、手荒に切り出された大小の岩石で造られた細長い部屋だった。


 部屋には窓は無く、間隔を置いて掛けられた蝋燭がぼんやりと全体を照らしている。


 石壁の隙間からは、水が染み出し、石畳の床を一部濡らす。

 時折、黒ネズミが我が物顔で通り過ぎて行き、糞や小便を撒き散らす。


 空気が籠り湿気が高く、息をするのも躊躇ためらわれる程の臭気が漂う中、ゼラは頭を垂れて片膝をついていた。


 突然の呼び出しはいつもの事だ。

 何か重要な指令は、ここ『フラクスナ神の間』で申し渡される。


 全知全能の独り神フラクスナ。

 闇に覆われ、暴力と絶望に支配された世界で、その神の側だけ平安と安寧の時間を送る事が出来るという。

 それは、地に這う不幸な者共の救いの女神。

 その女神を守る為に、『影』の輩は泥水をすすり、土くれをんででもおのが身を捧げ尽くす。


「ゼラよ。こちらへ」

 フラクスナ神の子らであるマグルブを始めとした『新しの父』達が一段高い場所に並んでいる。

 『落とし子』達が『影』に入るには、この新しの父を我が父として仕えて行かなければならない。

 親子の繋がりは如何様にしても断ち切る事は出来無い。

 もし、『影』を抜け出そうものなら、己の命に賭けて決意しなければならない。


 ゼラが覚えているのは、破れた布切れを身にまとい、川辺に生えていた草花や飛び回る昆虫を追い掛けていたある日、ひとりの真っ黒の外套を頭から被った男が自分に声を掛けて来た時の事だった。

 あれはどこの町の事だったのかさえ分からない。

 大戦により、家族を失った孤児達は、目の前で動く、文字通り腹に入りそうなもので手当たり次第に命を繋いでいた。

 当然、栄養も無く、量も乏しい。

 身を守る家も持たず、ただ飢餓に追われ続ける子供は、いつ道端のむくろに成り果ててもおかしくは無かった。

 選択肢は無かったのだ。

 只、生き延びる事が出来れば良かった。

 その誘いが自分をどういう運命に導いてくれるのかは関係無かった。


 ゼラは、顔を伏せたまま新しの父達の元に近付いて行った。

 新しの父達は、自分を救ってくれた存在。

 その教えは絶対であり、その命令は命に代えても成し遂げなくてはならない。


 ゼラの後ろでは、数人の仲間が二列に並んで端然と立ち尽くしている。

 共に死の訓練を生き延びた者達。

 食事と死の教育を与えられるだけの日々。それは仲間と言って良いのだろうか。

 過酷な訓練で命を失った者は数え切れず。さらに補充された者達は、新たな競争相手としてだけの存在。

 殺人が倫理的な意味を持たなくなり、嘘や詐欺が正義として教えられ、己の命が神の前では鴻毛より軽いと知らしめられた。


「……ゼラよ。ラヌバイの件は覚えておろうの?」


 マグルブの言葉にゼラは、さらに頭を下げた。

 全身を緊張が支配する。只の一語も聞き漏らす事は許されない。聞き返す事は、即ち死。いや、死よりも恐ろしい事が待ち受ける。


「はっ」

 腹の底から声を出すゼラ。


 その時、床に置いた左手にマグルブの杖が突き立てられた。


「!!」


 只の木の杖というのに、それは焼けるように熱く、痺れるように痛かった。

 全身を貫いて悪寒が走った。


 それは、『死のとばり』だった。

 『影』が作り上げた毒薬のひとつ。

 それを使えば、激しい痛みと共に肉は溶け、骨を砕き、神経を破壊し、死に至らしめる。

 暗殺よりは拷問向きの薬品である。


 ジリジリという音と肉の焼ける臭いが重なり、ゼラの耳に届く。

 ゼラは、思わず右手で左手の手首を掴み、声を上げるのを我慢した。

 ここで、左手を引く事は許されなかった。それは心の弱さを表し、組織から追放される。

 噛み締めた唇からは血が滲み、額からは大粒の脂汗が流れ、小刻みな震えが収まらない。


 後ろでそれを見ていた仲間達も、思わず息を呑む光景だった。


「ゼラよ。左様ならば、お主は見事に騙された事になるのう」

 マグルブはそう言うと、ゼラの前に割符を投げ出した。


「偽物じゃ」


 マグルブの言葉に、ゼラは恐怖した。

 命令を完遂し損なえば命は助からない。それが『影』の掟だ。


 ゼラの脳裏に怯えたタンバルの顔が浮かんだ。

 全身を投げ打ち、命乞いをした見すぼらしいじじいだった。

 ゼラの刃の前に割符の隠し場所を教え、鋭い切っ先に絶命したのは記憶に新しい。

 死を目前にした者が、それでも嘘の情報を口にする事があるのは良く分かっていた筈だった。しかし、あの目に浮かんだ怯えは本物だった……。


「お前が未熟だからだ」

 ゼラの心を読み透かすかのようにマグルブが言った。

「本来なら、別の者を呼び、お前は『お役御免』になる所だが、時間が無いのだ」


 ようやく、杖から解放されたゼラは、ゆっくりと左手を持ち上げた。

 その手の甲には、禍々しい焼け跡と鼻を突くような臭いが立ち上っている。


 そういう事か。ゼラは、マグルブが何故利き手では無い方を攻めたのか理解した。


「もう一度、お前に機会を与えよう。今度こそ、本物の割符を手にするのだ」


 という事は、余裕は無いのだ。一日、いや半日も掛けていられないだろう。

 もし、割符が他の者の手に渡り、積荷を奪われでもしたら、今度はマグルブの命に関わって来る。

 何としても、割符を手に入れなくてはならない。


 ゼラは、恭しく頭を下げた。

「フラクスナのしもべとして……」


 ゼラの消え入るような声の後で、新しの父達と仲間達が同じ言葉を唱えた。

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