捜索 その43
ひと通り街を回ってネスターを見送った後、シロリオは警備隊本部で幾つか指示を出して監獄塔に向かった。
今日は、ネスターが朝一で顔を出した為、まだモアミに会っていなかった。
当然、普通なら頻繁に罪人に会いに行く事は無い。
監獄塔にぶち込んだら、後は看守に任せる。
監獄塔の中で何が行われているか気にするような事は無い。
しかし、モアミに関しては、辛い思いをしていないか、今どんな思いでいるか頭から離れなくて仕方が無い。
どうして、こういう気持ちになったのだろう。
モアミがまだ子供だから守ってあげたいという感情を持っているのは確かだ。
しかし、モアミが無実であって欲しいという希望を抱くのは、ノイアールの言う通り、あの子に恋しているからなのか。
確かに、モアミにはどこか魅かれる気持ちがある。
一緒にいて、気持ちの昂ぶりが抑えられない。
どうしても、あの子を監獄から助け出して自由にしてあげたいと思う。
クオーキー伯爵殺害の件をノイアールに頼んだのも、どうしても無実の証拠を見つけ出してあげたいからだ。
本当なら、ノイアールも忙しいし、わざわざ自分の仕事に巻き込むような事はしたくない。
親友だからこそ、そう思う。
だが、モアミは助けてやりたい。
どんな事をしても救ってあげたい。
シロリオは、その一心だった。
今の状況は、モアミにとっては厳しいものである事は間違い無い。
だから、シロリオは、ノイアールに頼み、ネスターと仲良くなってフォントーレスに渡りをつけようとしている。
それでも駄目なら……。
シロリオは、最後の手段も考えていた。
己の立場なら、決して考えてはならないモアミを助ける究極の一手。
やはり、ここまで覚悟を決める事が出来るのは、モアミが自分にとって大切な存在だからだろうか……。
まだ、出会って二日しか経っていないというのに。
シロリオがある特定の人物の手助けをしたいと思ったのは、モアミで二度目である。
ひとり目は、レニーだった。
広い公爵家で家族がいたのに、レニーはいつもひとりぼっちだった。
しかし、レニーへの気持ちは、モアミとは違っていた。
あの時は、レニーの支えになってあげたいという感覚だった。
その時その時に落ち込んでいるレニーの気分を癒してあげる事が出来るならという感情であり、そこからその屋敷から助けてあげたいという気持ちにはならなかった。
まだ、シロリオも子供だったからとも言えるが。
シロリオが夕陽に照らされる監獄塔を見上げて視線を前方に戻すと、入口の前でフォンバーリとふたりの森の民が話し合っているのが見えた。
頭を突き合わせて、真剣な表情で言葉を交わしている。
死妃の娘の件をネスターに頼んでいた事もあり、フォンバーリに何を思われているか、緊張しながら近付いて行ったシロリオだったが、何か問題が起こったのか、フォンバーリは、シロリオを見て軽く頭を下げただけだった。
どこかいつもとは雰囲気が違っていたな、と思ったシロリオだったが、監獄塔に入り、階段を上った所にいる筈の森の民と異獣の姿が見当たらなかった事で、ようやく何か只ならぬ事が起きたのだな、と感じた。
「詰め所に居る筈の森の民はどうした?」
尋問部屋の前でモアミの監視をしている部下達に聞くと、部下も首を傾げながら答えた。
「いやあ、僕達もよく分からないんですけど……。聞いた所によると、夕べそこにいた異獣が何かおかしな事になったみたいなんです」
「おかしな事?」
「はい。僕達人間が近付くと、いつも唸り声を上げていた異獣が急に大人しくなって、逆に怯えてしまうんです」
「怯える? 本当か?」
「ええ。森の民と一緒の時は今までと変わらないのに、人間相手の時だけ変な反応をするんです」
「それで、入口の前でフォンバーリ殿が話し合っていたのか……」
「はい。まあ、そのおかげで今は何の不満も無く、監視させて頂いていますけどね」
そう言って、監視のふたりは顔を見合わせて笑った。
人間相手におかしな反応を見せた……。
「体調でも悪かったのか?」
シロリオが独り言のように呟くと、部下は楽しそうに答えた。
「今日、アイバスさんも言っていたんですよ。何か変なものを食べたんじゃないか。人間の食うもんを拾い食いしたけど、口に合わなかったんじゃないかって」
確かにここは森とは違う。体調を崩してもおかしくない。
それにしても、あそこまで顔を突き合わせて話し合う程のものだろうか。
シロリオは、再び笑い合うふたりを残して、尋問部屋に入って行った。
モアミは、入って来たシロリオを見て、「また来たの?」と言った。
「ご挨拶だなぁ。一応、容疑者の状況確認も仕事の内なんだぞ」
大嘘である。
監獄塔に放り込んだ容疑者に対して、そこまで気を使う者はいない。
身内や近しい者が捕まったり、明らかに無実の罪だと同情に値する者くらいは、どういう扱いをされているのか心配する事はあるが、基本的に罪人の味方をする素振りを見せてしまうと、自分にも余計な火の粉が降り掛かりかねない。
自分の身が可愛いあまり、こういう事には余計な口出しをする者が少ないのが現状だ。
「……まあ、いいけどね。暇潰しにはなるからね」
モアミは、分かっているのかいないのか、意味有り気な表情を見せた。
「どうだ? 辛いか?」
シロリオは、モアミの前に座り込みながら聞いた。
「空腹がって事? まだ、へっちゃらよ。二日や三日くらいどうって事ないわ」
モアミは鎖をジャラジャラ言わせながら両手を上げて見せた。
「という事は、お前達は、別に食べ物が無くてもしばらくは平気なのか?」
「うーん。どうだろうね。実際、そんなに断食みたいな事はした事無いから分かんないけど、あんた達人間よりかは、我慢出来ると思うよ」
「モアミだって、十分人間じゃないか」
シロリオは、間髪入れずに言い返した。
そのシロリオに対して、モアミは平静に言い返した。
「言っておくけど、あたしは竜の子でもあるのよ。同じだと思わないでね」
シロリオは、あれ、と思った。昨日の少し馴れ馴れしい感じが消えていて、親し気に話している風だが、どこか一線を引いているような感じがした。
「それは、何回も聞いた」
「いいえ、分かってないわ。ウイグニーさんは、どうしてもあたしを同じ人間だと見なしたいようだけど、あたしとウイグニーさんとで似ている所は、見かけだけなのよ。中身も同じだと思ってもらっては困るわ」
「いいや、モアミは俺達と同じ人間だ。何故なら、人間の女から生まれているからだ。その女が死んでいたとしても人間から生まれたんだから人間さ。この事実は、誰にも変えられない事だ」
シロリオは、ムキになって言った。
どうしても、自分はモアミを人間以外の者として認めたくなかった。認めてしまえば、モアミが自分の手の届かない所に行ってしまいそうな気がしていた。
しかし、生まれてから今まで、所謂人間らしい生活を送って来なかったモアミにとって、シロリオの主張は、単なる自己満足の世界でしか通用しないものだと身に染みて分かっていた。
例え、見た目は同じでも、人間は人間の枠内で上下を作りたがる。上に立って偉そうにしたい者達、それなりの位置で適当に生きたい者達、自分の苦しみが嫌でそんな生活しか送れない自分が嫌で自分より下の境遇にいる不幸な人々を見付けたい者達、他者とは異質な存在の為同化するのを許されない者達等々……。
生まれた境遇、住む場所、周囲の環境等、きっかけひとつで天と地程も異なる人生を歩む人間達。
他者に思い遣る心を持つ事は難しい。さらに、他者の気持ちに寄り添う気持ちを備える事はもっと難しい。
今のシロリオには、モアミの存在を己と同等に見詰める度量はあったが、モアミの心に寄り添おうとする細やかさに欠けていた。
シロリオがモアミを想う気持ちはあくまで自分本位のものだった。
「……人間って、何だろうね」
シロリオは、興奮のあまり、モアミの呟きを聞き逃しそうになった。
「それは、どういう意味だ?」
「人間の世界に自分の居場所を見付けるのって、意外と難しいものなんだよね」
「……」
シロリオは、モアミの言葉を自分の中で消化し切れずにいた。
生まれてから当然のように人間として生きて来たシロリオと、人間になろうとしてもなり切れずにいるモアミ。
ふたりの意識にズレがあって当たり前である。
「分かんなくていいよ。ウイグニーさんは、あたしとは違う世界に生きてるんだからね。あたしがいる事で足引っ張っちゃったらいけないもんね」
「そんな事無いっ。モアミは、俺とここにいるじゃないか。もし、ほんとにどこか違うとしても、お互いに話し合えば理解し合えない事無い」
シロリオは、モアミの目の前に顔を突き出して力説した。
「ほとんど、そうじゃないか? 好きだの嫌いだのって、互いをどれだけ理解し合えているかで変わって来るだろ? 違うか?」
シロリオは、モアミと自分の関係しか見えてなかった。モアミが置かれている現状にまで目が行ってなかった。
そんなシロリオをモアミは見通していた。
……筈なのだが。
モアミは、そんなシロリオを見て、思わず吹き出してしまった。
「あっはははっ。もう、ほんとにそんなんだからっ」
シロリオは、自分の肩をバンバン叩くモアミに驚いた。突然のモアミの変わり様について行けない表情をしている。
「あたしね。あんたみたいな人初めて見た。何を言っても、諦めようとしないんだもん。人間も捨てたもんじゃないなって思ったわ」
シロリオは、にこやかに話すモアミを見て、ほっとした。
「そうさ。その通りさ。諦めたら負けなんだからな。諦めない限りは、まだ勝負はついていないんだから、望みはあるんだ」
シロリオは、モアミの目を見てひと言ひと言噛み締めるように言った。
「そうだよね。何をするにも、諦めたらお終いだよね」
モアミもシロリオの言葉に反応したのか、視線を落としながら言った。
「そうさ。今まで、良い事が無かったとしても、これから幸せになっていけばいいんだ。分かるだろ?」
シロリオが力強く言う。
「そうだね。これからだよね……」
モアミは、シロリオの声が耳に入っているのかいないのか、じっと足元を見詰めていた。




