捜索 その39
巨大な城壁と広い水堀が延々と続き、その前にラメの香木の若木が絨毯のように敷き詰められている。
巨大都市トラ=イハイムの外。
フォルエナは、森の民と異獣が多くの天幕を張っている小高い丘に立ち、シェザールの兵士が警戒する城壁を忌々し気に見ていた。
「何て目障りなの。あいつらをひとり残らず始末したいわ」
「物騒ですな。その言葉は、ここだけにして頂きたいものです」
森の民達に今日の死妃の娘捜索の指示を与え終えたフォンバーリが後ろで冷静に言った。
「あいつらとの信頼が崩れるからって言うの? 元からそんなもの無いじゃない」
振り返りもせずに腕を組んだまま吐き捨てながら言うフォルエナ。
「いけませんね。フォントーレス様は、その危うい関係の上に立って指揮を取られているのです。フォルエナ殿自ら、その梯子を外すような事はお止め頂きたいものですね」
「お黙り。私に口答えするんじゃないよ」
「口答えではありません。助言です」
いちいち口うるさい奴だ。
フォルエナは、フォンバーリに背を向けながら憎々し気な表情を浮かべた。
フォントーレスは、どうしてこの融通の利かない男を側に置いているのだろう。若手の中には、まだ他に使い易い者がいるというのに。
フォルエナが見てる間に、トラ=イハイムの城門から国王警備隊の一団が向かって来ているのが見えた。
今日の捜索の役目を負った国王警備隊員が森の民と異獣を連れにやって来ているのだ。
「いい? あいつらは、私達を恐れている。それに、恨んでいる。表向きは何でも無いって顔をしていても、心の中は不安に満ち満ちているわ」
分かり切った事だ。フォンバーリは、興味無さげな振りをして聞いていた。
「不安は、猜疑心を生み、猜疑心は嫌悪感を生む。何もかも悪循環でしかない。そして、不安という名の油にひとつ火がつくと、飛び火に飛び火を重ね、激しく大きく炎上してしまう。その火が全てを焼き尽くし、この世は再び戦乱に見舞われるのよ」
「お言葉ですが……」フォンバーリは、フォルエナに振り向いた。「そう思われているのなら、どうして彼らと良い関係を築こうとされないのですか? ネスター殿にはああ言っておきながら、私にはそのような事を言われる……。矛盾しているとしか思われませんが……」
「愚問ね」
フォルエナは、眼下に見える自分の部下達の天幕を指差した。
「あれをご覧なさい。私達弓の一族の天幕よ」
フォンバーリもフォルエナが指差す方を見た。
森の民達から少し離れた吹き曝しの場所で弓の手入れをしている者達がいる。
「人間からは恐れられ、あなた達からは蔑まれている可哀相な一族。その不運な生まれと卓越した弓の技術は、彼らを卑屈な存在に育ててしまっているわ……。分かるわよね? 幾らあなた達に近付こうとしても、手を差し伸べようとしても、弓の一族、殺しの狩人と虐げられ、普通の関係を築く事さえ許されないのが私達フォル一族なのよ」
フォルエナは、至って平静に話している。その心は激しく昂っていたとしても、そんな素振りは見せなかった。
「同じ森の民でも心を通わせるのが困難なのに、人間となら出来ますよ、なんてよく平然と言えるものだわ」
別にフォンバーリに怒りを向けている訳では無かった。ただ、自分の思いをたまたま吐露しているつもりだった。
「私達は、常にあなた達から距離を置き、あなた達の目を気にして生きて行かなければならない一生を背負わされている。その気持ちが分かるかしら?」
フォンバーリは、黙っていた。
森の民の中におけるフォル一族の立場は、確かに厳しい。
フォンバーリとて、幼い頃から『殺しの一族』という異名に不快感を持ち、フォル一族に対する偏見を持っていたのは事実だ。
フォルエナは、今度は他の森の民達の方に目をやった。
彼らは、それぞれ思い思いに支度をして異獣の調整をし始めている。
その中には、バブリカに手こずる森の民の姿もあった。
「あの猿獣……。大丈夫なの?」
フォンバーリも下に見えるバブリカの荒々しい動きを見た。
一応、手足は頑丈な縄で縛られているが、大人しくする様子は無い。
「誰の猿獣か知らないけど、よくもまあ、育て方を間違えたものよね」
フォンバーリは、フォルエナのその言葉に返事をしなかった。
あのバブリカがフォン一族のごくわずかな指導層の手によって『作られた』という事を知ってしまうと、また感情的なフォルエナの事、手に負えなくなってしまう。
フォンバーリは、フォルエナに対して軽く頭を下げると、死妃の娘捜索隊の割り当てを指示する為に丘を下り始めた。
フォルエナは、自分の一族について強い憤りを感じているが、実はフォンバーリも別の理由で自分のフォン一族について理解出来無い思いを抱いていた。
それは、バブリカについてである。
死妃の娘を倒すのに、異獣の力だけでは足りないのではないか、という心配は当初から指導者層の中で懸念されていた。
四百年前の記事では信憑性に欠けるとしても、レフルスの森の民と異獣が壊滅的な状態に陥った事実がある上、『シェプトアンヅマの攻撃』以降、全力でスーシェルとその仲間を追跡して来たにも関わらず、何度もあと少しの所で逃げられている。
森の民も異獣ももちろん強力な力を備えている。しかし、それでも死妃の娘には敵わないと見た指導者は、極秘に『ある異獣』の育成を行い始めた。
始まりは、前レフルス王テルファムの死妃が子供を生んだという情報を掴んだ時だった。
当時フォン一族の指導者の一員であったフォントーレスの父親が中心となって行った猿獣狩りにより、大きく強い猿獣を捕え、さらにその猿獣を掛け合わしてより強い猿獣を作り出そうとしたのだ。
無論、生まれて来る猿獣の子供が皆大きくなるという保証は無い。しかし、やはり大きな子供が生まれる確率は大きかった。
その中からさらに、体の大きい子供を選び、果てしなき競争を続けさせた。狭い餌場を作り、一日三度の餌の時間には一度に五頭しか入れないようにした。その代り、与える量は限度無し。そうする事で、勝ち抜く強さと他者を蹴落とす冷酷さを身に付けさせ、強者は大量の餌でどんどん巨大になっていった。
しかし、欲しいのは、ただ強いだけの生き物では無かった。
一番肝心なのは、猿獣が持っている素の感情だった。つまり、強い相手に恐怖感を抱く事。
野生の生き物は、己が相手より弱いと感じると、余力を残して背を向けるものだ。
フォントーレスの父親達は、それを避けたかった。例え、死妃の娘が自分より強いと思っても、所構わず攻めて掛かる異常性を備えさせたかった。そうする事で、死妃の娘の痛手が大きくなる。つまり、命尽きるまで飽くなき攻撃性を持つ生き物を必要としていたのだ。
森の民も一種の興奮剤として使う『赤ステムの実』が使われ始めたのはいつの事なのか。
毎食これを与える事で、常時興奮状態に保ち、精神を乱して恐怖感を無くす。
赤ステムの実の中毒にして、戦いしか能が無い生き物を造り上げたのだ。
それを聞いたフォンバーリも、例え指導者層の行った事とは言え、背筋の凍る思いがしたのを覚えている。
森の民がそのような事を良しとするのか……。それこそまさに命への暴虐とは言えないか。それとも、そう思う自分の方がおかしいのか。
フォンバーリは、唸り声を上げるバブリカを見た。
死妃の娘を捕まえる為だけに『造られた』尋常ならざる獣。
もし、死妃の娘達を無事に捕まえる事が出来たら、その時こそこの猛獣は、その苦しみから解放されるのだろうか。
いやもしかしたら、元の体に戻る事さえ出来無いのかもしれない。
全ては、死妃の娘の誕生により始まった事だった。
死妃の娘達の命さえ奪えば、こういう恐ろしい事も無くなる筈だ。
フォンバーリは、そう自分に言い聞かせるのだった。
「あれは、フォントーレス様か?」
その時、丘を下りているフォンバーリの後ろからフォルエナが声を掛けて来た。
フォンバーリも視線を上げると、確かに向こうの方からフォントーレスがひとりで歩いて来るのが見えた。
「朝早くからどこに行かれていたの?」
フォンバーリは、そのフォントーレスの後ろに見える『ニレイ門』に目をやった。
遠くに見える大きな城門。
十三年前のシェプトアンヅマの夜、その城門の中で凄惨な死闘が繰り広げられた。
森の民にとっては忘れてはならない悲しみの場所。
フォルエナもその事に気付いたのか、もう何も言わなくなっていた。




