捜索 その36
タンバルの書斎は、家の一番奥の裏口の脇にあった。
家族に会わせる訳にいかない為、グレーベルは、ノイアールを連れて裏口から家に入れた。
「こっちの部屋です」
そこは、三メタル四方程の小部屋だった。文机と小さな書棚が置かれている。
荒い板の床に薄汚れた絨毯が敷かれていて、歩く度にギシギシと音が鳴る。
部屋に一歩足を踏み入れたノイアールは、どんよりと汚れた空気に顔をしかめた。
「そこの書棚に書き物が少しと竹籠に筆とか入っています」
後ろからグレーベルが指差しながら説明した。
その他には、部屋に物が無く、何か大切な物が置かれていそうな所も無い。
「見ての通り、言ってた命令書があるとすれば、その書棚ですが……」
所が、ノイアールは始めから文机や書棚は無視していた。天井や床をじっと眺め、おもむろに絨毯を取り払う。
「誰も来ないように見張っていてくれ」
「は、はい」
グレーベルは、向きを変えて部屋から外を窺った。
ノイアールは、ゆっくりと部屋を歩き回って床板を踏みしめる音を確かめた。
ギ、ギ……と床板が擦れ合う。
そうやっていると、一ヶ所だけ、カタ……という音が聞こえた。
「……」
ノイアールがその場所に跪いて調べると、明らかに他の床と異なり、床板が細かく動く場所が見付かった。
顔を近付けて見ると、その辺りだけ汚れが積もっていない。
この下に何か隠しているに違いない。
ノイアールは、床板をどうにかして外そうとしたが、押しても引いても爪で引っ掛けようとしても上手く行かなかった。
寄木細工か……。
様々な木を組み合わせた構造で簡単には開かないようになっているからくり細工。
どうやら、この隠し場所は、その技を使っているようだ。
という事は、正攻法で行くには時間が掛かるな……。
ノイアールは振り返って、外の様子を探っているグレーベルを見た。
こんな床板に寄木細工を仕掛けるとは、入念な事だ。
いつもなら、こういう知的闘争に酔いしれる所なのだが、如何せん残念ながら今の状況がそれを許さない。
ノイアールは、後ろ髪を引かれる思いで腰に手をやった。
ガシッ、という激しい音に驚いたグレーベルは、部屋の中に目をやった。
すると、ノイアールが部屋の端で床に剣を突き立てて床板を剥がそうとしているのが見えた。
「ちょっと、何してるんですか?」
グレーベルは、慌ててノイアールの側に行き、その手を止めようとした。
しかし、ノイアールは構わず剣を引き抜き、空いた穴に手を入れると、床板を引き剥がした。
「止めて下さい!」
さすがに、声を大にして抗議するグレーベルを無視したまま、ノイアールは床板を外した所に手を突っ込んだ。
「あった……」
しばらく、床下を探ったノイアールが取り出したのは、手の平大の半円形の板だった。
「何です? それ……」
怒っていたのも忘れて、思わずグレーベルもノイアールの肩越しにその物を見た。
「割符さ」
ノイアールは、少しニヤケながらグレーベルの目の前に割符をかざした。
「わりふ?」
割符とは、ひとつの木片に証印を押してふたつに割ったもので、これを商売の当事者同士が持ち寄る事で商売相手に間違い無い事を確かめる物だ。
特定の相手としか商売をしない時によく使われる。
「例えば、良からぬ交易の時とかな……」
ノイアールは、割符を懐に収めると、グレーベルの肩を叩いた。
「ありがとう。助かった」
「という事は、これで俺達は大丈夫なんですね」
「ああそうだ。タンバルさんは、これを使って密貿易をしていたんだ。これさえ無ければ、証拠は残らない。君達は安心して良いぞ」
ノイアールの言葉に、グレーベルは明らかにほっとした表情を浮かべた。
タンバルがここまで巧妙に隠していた代物である。自分達には手に余る物だという事は理解出来ていた。
「グレーベル? さっきの音は何なの?」
その時、奥から叔母の声が聞こえて来た。
「いや。何もないよ」グレーベルは、慌てて体を傾けながら答える。「ちょっと、荷物を落としたんだ」
「そお? 気を付けてね」
床板が剥がされているのを見られたら、何を言われるか……。
グレーベルは、焦りながら部屋に目を戻したが、既にそこにノイアールの姿は見られなかった。
時間が無い。
タンバルを手にかけた者達は、割符の存在も知っているのは間違い無い。
これを取り返される前に、試しておきたい事がある。
タンバルは、間違い無くラヌバイ男爵家で裏の仕事を任されていた。
それだけなら、ノイアールも驚かない。
他の貴族でも単独あるいは共同で裏稼業に手を出している所は少なく無い。麻薬や危険物の密輸や密売等で裏金を溜め込む話は多い。
特に聖剣戦争でシェザール全体が疲弊した事もあり、いかに貴族と言えども台所事情が厳しいのは庶民と変わらない。日々の生活を出来るだけ早く大戦前の水準に戻したいと思うあまり、望ましくない世界に手を出すのはよくある事だ。
その仕事を長年タンバルに任せていたのは、こういう事は相手との信頼関係や不測の事態に対処するには、培った経験と勘がモノを言う為だ。
それに、もし密輸に手を出していた事が知られても、使用人ならいつでも首を切って責任をなすり付ける事が出来る。
ノイアールは、それに加えて、ラヌバイ男爵家の裏仕事には、ロクルーティ公爵家が絡んでいると見ていた。
こういう汚れ仕事は、普通派閥の下級貴族の役目になる。それに、ラヌバイ家の使用人をクオーキー伯爵殺害事件の第一発見者にするという繋がり、長年の信頼ある使用人の突然の首切りとタンバルの死。
ラヌバイ男爵は、相当公爵家と近い関係にある。
これまで明らかにされなかった公爵の密貿易。それが垣間見られるかもしれない。
という事は、この割符はかなり重要な品になる。
そして、この割符が導く先に何かが待っている。
ノイアールは、注意しながらタンバルの家を出ると、何食わぬ顔で表通りに戻った。
全身に神経を張り巡らせて足を進める。
軽く周囲を見渡すと、ノイアールの前方と後方にひとりずつ、クーベが送って来た情報員が町に溶け込んでいるのが見えた。ノイアールの警護と怪しい人物がいないか見張る為だ。
と言っても、敵に仲間の顔を明らかにする訳にはいかない為、情報員達は、ノイアールから離れて行動している。
もし、自分を狙う奴らがすぐ近くにいたとしたら、情報員の助けが来るまでの間、自分の力で身を守らなくてはならない。
恐らくは、予想される敵は、所謂只者では無い。
ノイアールは、夏の熱気以上に緊張感で全身に汗が浮かぶのを感じた。
もちろん、滅多に経験出来無い事態に只ならぬ高揚感を感じながら……。




