捜索 その16
「それより、例の大人しいお嬢さんは元気良いのか?」
ノイアールが振り返りながら聞いた。
「レニー殿の事か?」
「かー、レニー『殿』ね。もう、そんな言い方止めたらどうだ?」
「何か悪いか? 公爵様の娘だ。可笑しくは無いだろう」
「おいおい……」ノイアールは、突然足を止めた。
シロリオは、ノイアールにぶつかりそうになる。
「お前さん達は良い仲になってるんじゃないのか?」
「ちょっと待ってくれよ。いつ俺がそんな事言った?」
「いや、別にお前が言わなくても、あのお嬢さんを見れば分かるだろ。お前を見詰める目は完全に夢見る少女の眼になっていたぞ」
と、ノイアールが意味深な顔をする。
シロリオは、ノイアールの言葉に返事が出来なかった。
「よく言うだろ。何の書物に書いてあったっけな。『陽の下の世界を恐れ、内に籠りし穢れ無き少女にかけられた魔法を解くのは、ふとした時の思い遣りとひとかけらの優しさで十分である。その後は、少女の身をそのまま魔法を解いた者の籠の中に居を移すのみなり』とな。あれはレンゼンだったかな、ホームステッドだったかな。まあいいけどな。あのお嬢さんは、いつお前さんの籠の中に移れるのか、じーっと待っているのは間違い無いな。俺が保障する」
レンゼンもホームステッドもシェザール下層民の間で人気の劇作家だ。
シェザールでは、月に二、三階は、街の劇場で演劇が催され、俳優と同時に劇作家も注目を浴びている。
ノイアールは、そこまで言ってシロリオが返答に困っているのに気付いた。
「おいおい。今さらそれは無いって言うのか?」
「……そう言っても。俺にとっては、公爵様の子供でしかないからな。それに今の俺がレニー殿と結婚出来る訳無いだろ」
「かーっ」ノイアールは、シロリオの腕を引っ張って耳打ちした。「そういうのは、既成事実って奴で乗り越えるんだよ。お前だって、『刻七つの人情芝居』は見た事あるだろ?」
ノイアールは、芝居にはうるさい。
『刻七つの人情芝居』は、ジェニサ時代のシェザール王国の都で、刻七つの夜を忍んで会っていた下級貴族の男と上級貴族の女の恋の物語だ。父親の大反対に何度も挫けそうになる女を男が名台詞で食い留めて、最後にはいつも密会をしていた神殿で愛を誓い、南方のフィリア王国へと駆け落ちするという物語である。聖剣戦争以前からの人気演目で、シェザールの人間なら誰もが知っている有名作である。
「あの芝居は、結局『めでたしめでたし』になってないじゃねえか」
「ああ、そうだったかな。まあ、小さい事は気にすんなって。あはは」
「全く……」
ふたりが階段を下りて入口の閉まっている薄暗い小料理屋に裏口から入ると、中ではひとりの中年女性が今日の仕込みをしていた。
「あれ? ウイグニーさんですね。お久し振りです」
女性は、シロリオを見ると笑顔で会釈した。
「あれ? この女将は、お前のとこにいたな」
シロリオが女将を指差すとノイアールが「ああ、そうだ」と答えた。
「うちで料理人をしていたメイシーだ。この店を作る時に街に戻っていたのを連れて来たのさ。メイシー、何か簡単なもの作ってくれ」
ノイアールが今使っている人間には、以前の使用人が多い。
先程のクーベもこの女将もそうだ。
やはり、人間性がよく分かっている相手が使い易いという事だし、ノイアールに仕えていた為、忠誠心もある。
クーベを始めとして何人かは、しばらくは無給でもノイアールについて行きたいと言って来たという。
「まあ、お嬢さんの事は、また今度として。それにしても、お前も大変だよな」
食卓につくなりノイアールがシロリオに同情した。
「何の事だ?」
「死妃の娘の事だ。夕べも大騒ぎだっただろ? あまり寝てないんじゃないか?」
シロリオもノイアールの前に座った。
メイシーが冷茶をふたりの前に置く。
「もう噂が広がっているのか」
「まあ、俺の場合は、情報が向こうから飛び込んで来るんだがな。だけど、猿獣が走り回った事は、今日中には街中に広がるだろうな」
「だろうな……」
シロリオは、溜め息をついた。
わざわざノイアールがこの話を持ち出したというのは、事は重大だと言いたいのだ。
「誰も、自分のすぐ近くを森の民や異獣に動き回られたくないのは当然だ。だが、昼間ならまだ我慢出来る。それが、寝ている時に暴れ回られてみろ。外は真っ暗、警備隊の命令で外に逃げ出せない。何が起こっているのかも分からない。恐怖で怯えている中を猿獣の遠吠えが聞こえて来るんじゃたまったもんじゃない。しかも、警備隊の副長は森の民の言い成りだって言うじゃないか」
「そんな事まで広まっているのか?」
シロリオは、たまらず声を出した。
「知らぬは本人ばかりなりってな」ノイアールは、そこで体を前に傾けた。「今日来たのはその件だな?」
ノイアールの真剣な表情にシロリオも真顔で頷いた。
そこへ、メイシーが簡単な前菜と蒸し鳥、塩餅を持って来た。
「お、来た来た。話の前にまずは腹ごしらえだ」
ノイアールが両手を擦り合わせながら塩餅をひとつ取った。
塩餅は、ナパ=ルタ沿岸で広く食べられているフィリア生まれの食べ物で、米と海藻を一緒に磨り潰して丸めた餅に海水をかけながら焼いたものを乾燥させた保存食である。
程良い塩味と海藻の風味が効いている所が、シェザールでも人気になった。
手軽な軽食を始めとして、肉や魚と一緒に焼いたり、煮込み料理に使ったりと広く利用されている。
ただ、庶民食としての印象が強く、あまり貴族階級で食べられる事は無い。
シロリオの前に出された塩餅は、軽く焼き目がついていて、辛口に味付けした肉や野菜の炒め物が挟まれている。
「メイシーの塩餅は美味いんだぜ。食べてみな」ノイアールは、塩餅をひと口頬張ると「うん。このピリ辛具合がたまらんね」と何度も頷いた。
「懐かしいですね。昔は若様におねだりされて、よく作りましたけど」
メイシーが仕込みをしながら笑いかけて来る。
「大戦中は、こういう庶民食ばっかりだったからな~。舌が慣れてしまったよ」
確かにそうだ。シロリオも満足に貴族食を食べられる状況に無かった。
ただ、ノイアールと違って塩餅を食べた記憶が無いのは、シェザール料理を好む者が周囲にほとんどだったからだろう。
香ばしい匂いに誘われてシロリオも塩餅をひと齧りすると、海藻の香りと辛みのある肉汁が鼻と舌を同時に刺激して口中に旨味が広がった。
餅の厚みに対して、炒め物の量が抑えられている為に辛味もそれ程クドくない。
餅の塩味も前以て落としてあるせいか、辛味と喧嘩する事無く良い感じに効いている。
「あ、ほんとだ」
シロリオは、改めて塩餅を見た。
「これは美味い」
「だろ? 良い仕事してるよな」
ノイアールは、シロリオの顔を見て嬉しそうに笑った。




