捜索 その11
シロリオは、ネスターと別れた後、真っ直ぐ監獄塔に向かった。
監獄塔の前には、既にレイトーチ伯爵の兵が数十人程たむろっているのが見えた。
目的も無く、ただ集団で固まり、各々暇を持て余している。それらの兵は、監獄塔を取り巻いている森の民と異獣の姿に怯えているようにも見える。
無理も無い。天下のトラ=イハイムに森の民がいるのだ。話は聞いていても、実際に見たら誰だって自分の目を疑うだろう。
聖剣門の時と同じように服の事で王都警備隊の門番に少し時間を取られた後、堀を渡ると塔の入口の前でフォンバーリとシロリオの部下が話しているのが見えた。
何か押し問答をしているようだ。
「どうされました?」
シロリオは、ふたりに近付くと、部下があからさまに、助かったという表情を浮かべた。
そのすぐ後には、シロリオの姿を見て、おやっという表情も見せたのだが。
「実は、娘に食事を持って行こうとしたのですが、フォンバーリ殿がそれを許さないのです」
部下が手に持っているのは、シロリオが指示していた動物の血を入れた器だった。
微かに血の臭いが辺りに立ち込めている。
「それはどういう事ですか?」
シロリオは、部下からフォンバーリに視線を移した。
フォンバーリは、シロリオに向き直って言った。
「あなた方も夕べ御覧頂けたように、死の娘は大変な力の持ち主です。例え鎖で繋いでいても、油断のならない相手である事には間違いありません。食事など与えていては、体力を保たれてしまい、いつ寝首を掻かれるとも限りません」
やはり、ネスターとは違う。正面から突き放した言い方。苦手だ。
シロリオは、フォンバーリの顔を見据えた。
「ですが、食事を与えなければあっけなく死んでしまいますよ。そうなると、モアミから死妃の娘の居場所を聞き出す事も出来無くなりますが。よろしいのでしょうか?」
「そんな事、知った事ではありません」
は? シロリオはその言葉に驚いた。
「どうせ、死妃の娘はこの街に潜んでいるのです。夕べも申し上げた通り、モアミを弱らせておけば、焦って助けに来るのは間違いありません。そこを捕えるのです」
それならば、とシロリオは言った。
「言っておきますが、モアミは我々の管轄にあります。あの娘をどうしようが、我々の責任の元で行います」
「それは構いません。しかし、死妃の娘捜索の指揮は我々に任されています。娘をどう使うかは我々に従っていただくしかありません」
フォンバーリは、全く引き下がる様子は無い。
確かに、無理矢理モアミの身柄を奪い取ったのはシロリオの判断だった。
それを許したフォントーレスとしては、いつでも奪い返せる自信があったのだろう。ここでひと悶着起こしてしまえば、フォントーレスの気が変わらないとも限らない。
ここは、こちらが矛を収めて、別の方向から攻めるしかないようだ。
「……それは、持ち帰ってくれ。また、後で指示を出す」
シロリオは、憤りを悟られないように表情を固くしたまま部下に言った。
部下もシロリオの気持ちが分かっているのか、フォンバーリを睨み付けながら去って行った。
◇
朝から気分悪くなってしまった。
シロリオは、フォンバーリと別れると、足元を強く踏みしめながら監獄塔に入って行った。
モアミを見張っている部下の元には、頼んでおいた毛布が既に届いていた。
「何か変わった事は無かったか?」
見張りは、「特にありません」と簡潔に返事をした。
「よし、続けて頼む」
シロリオは、見張りの肩を叩くと、尋問部屋に入って行った。
「起きているか?」
シロリオが部屋に入ると、モアミは既に身を起こしていた。
しかし、シロリオの方は見ず、ただ床に視線を向けていた。
「ゆっくり寝れたか?」
モアミは、返事もせず黙ったままでいる。
シロリオは、その様子を見て、特に不愉快に思う事も無くモアミの前にしゃがみ込んだ。
モアミは、シロリオを見て軽く眉をひそめた。
「ああ。この格好な。ちょっと用事があってな。変装をして街に出て行くんだ。変かな?」
シロリオは、両手を広げてモアミに貫頭衣を見せた後、部下から毛布を受け取った。
「ほら。言っていた通り毛布を持って来た。もう暑くなって来てるが、板の上で寝ると体を痛めるからな。ほら、立ちな」
モアミは、シロリオの言うままに立ち上がり、シロリオが毛布を敷くのを見詰めている。
「よし、これでいいだろう」
シロリオが身を引くと、モアミは大人しく毛布の上に座り込んだ。
「どうだ。あると無いとでは違うだろう」
シロリオは、にこやかに話し掛けた。
「さっきな、森の民のひとりにお前の事を頼んでおいたんだ。森の民がお前達を恐れるのは間違っている。昔の話と今のお前達を一緒にするのでは無く、お前達と良い関係を築くべきだってな。これが上手く行ったら、命を取られる事も無くなるぞ」
その話を聞いて、モアミはシロリオに視線を送った。
無表情で何を考えているのか分からなかったが。
「それも、殺人事件の容疑が晴れたらの話になるがな。まあ、森の民だって話せば分かる筈だ。今、俺達と森の民が奇跡的に手を結んでいるんだ。お前達の事も上手く行くと思う」
そこまで言って、シロリオは改めてモアミを見た。
モアミは、じっとシロリオを見詰めている。
相変わらず表情を浮かべないままだったが、そのつぶらな瞳と愛らしい頬の丸みにシロリオは戸惑いを隠せなかった。
「まあ……、彼らも感情的になっているだけだから、きっと納得してくれるだろう。大丈夫さ」
シロリオは、モアミにもう一度笑顔を見せて、さらに自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
それでも、モアミは言葉を発しなかった。
シロリオは、モアミから視線を外すと、体を横に向けてモアミの前で胡坐をかいた。
「今日は、良い天気だな。暑くなりそうだぞ」
シロリオは、服の物入れから扇子を取り出した。
「これ、知ってるか。扇子っていうんだ。こうやって使うんだ」とシロリオは、扇子を広げて顔を仰ぐ所を見せた。
「分かったか? 暑い時は、これを使え。監獄塔は空気の通りが悪いからな」
モアミは、シロリオが差し出した扇子を黙って受け取った。
「ここでは、体を洗えないからな。あまり汗を掻かないようにするんだ」
と言ったシロリオの目の前で突然扇子が広げられた。
「うわ。何だ?」
シロリオが横を見ると、モアミが睨み付けていた。
「どうした?」
シロリオがモアミを伺うように見ても、モアミは厳しい表情を崩さない。
「……どういうつもりなの?」
「どういうつもりって?」
モアミは、扇子を畳んで自分を指した。
「あんた、あたしの次にスーシェルを捕まえるつもりだろう? あんた達はどうか知らないけど、森の馬鹿共はスーシェルを殺すつもりだよ。そして、あたしも殺されるんだよね」
次にモアミは、扇子をシロリオに突き付けた。
「つまり、あんたとあたしは敵同士って事になるんだよ。それが分かってやってるのかい? それとも、そんな事も分からない大馬鹿野郎なのかい?」
それは確かにそうだ。
「だから、言ってるだろう。森の民も分かってくれれば、君達を追い回さなくなるかもしれないんだ」
「それよ。さっきから、何か期待を持たせるような事を言ってるけどさ。あいつらがあんたの言う事を聞くと思ってるの? そんな馬鹿げた説得が聞くような奴らなら、ここまで追って来る訳無いじゃない。あいつらは、自尊心だけは人一倍高いんだよ。そんなあいつらが、へらへらとあんたらに媚び売って来てんだよ。そこまで覚悟決めて来てんだよ。それが分からないのかい?」
「……」
シロリオは、何も言い返せなかった。
言われてみれば、シロリオの考えは、誰でも思い付きそうなものだ。
あのフォントーレスなら尚更である。
それを踏まえてのトラ=イハイムへの遠征である。
それだけ死妃の娘への強いこだわりがあるという現われでもある。
「あたしは、あいつらに追われ続けて来たから分かるのさ。あいつらは、本気なんだよ。中途半端に止めるような事はしないんだよ。この追いかけっこは、いつかあたし達の命尽きる時まで続けられるんだよ」
そこで、モアミは扇子を持つ手を膝の上に置いた。
「そこにあんたが入り込む隙は無いんだよ。ただ、見ているだけしか出来無いんだよ」
「……しかし、……しかし、俺は無闇にお前を殺させないと思っている。俺は、お前達がそんなに危険な存在だとは思えない。何とか助けられないかと思っているんだ」
シロリオは、モアミを正面から見詰めながら言った。
力不足かもしれないが、自分の気持ちだけはモアミに伝えておかなければと。
「分かってるよ……」
ようやく、モアミは声を落ち着かせて言った。
「確かにあんたは、あんたなりに本気で言ってるみたいだね。でもね。あいつらがあんた達人間の気持ちを聞き入れる事なんて一切無いんだよ。残念ながら、耳も貸してくれないよ。ほんとに……」
モアミは、扇子をシロリオの目の前に置いた。
「これ、返しておくよ。あたしがこんなもの持ってたら、あんたの立場が悪くなるだけだよ。あくまで、あたしとあんたは捕まえた側と捕まった側でしか無いのさ。そこに同情とか入り込む余地は無いんだよ。まあ、この毛布は、囚人の権利って事でもらっておくけどね」
「いや、同情とかでは……」
シロリオは、何も言葉を返す事が出来無かった。
「それなら、何であんたはあたしの味方するの?」
さらに、モアミはシロリオにど真ん中の質問をした。
「え?」
「あんたにとって、あたしは只の死の娘に過ぎないんだよ。おかしいよね。まだ、初めて会ったばかりの知らない小娘の命を助けようとするなんて。何か企んでるのかい?」
シロリオもこれには困ってしまった。まさか、モアミの事が気になるからとは言えない。
「それは……」
「何?」
「あ、あの……。あまりに森の民の言い分が理不尽だからさ。四百年昔の言い伝えだけでお前のような子供の命を奪い取るなんて、俺は許せない。それを正そうと思っただけだ」
それを聞いて、モアミは横目でシロリオを見た。
モアミもそれ程人間に詳しく無い。
シロリオが必死で隠しているものを見抜けていない分、シロリオの言葉を丸飲みに聞いた。
「ふ~ん。真面目だね」
「真面目のどこが悪い?」
「ねえ、知ってる? 人間って、真面目っていう言葉を良い意味で捉えてるよね」
「真面目は好感持てるじゃないか」
「違うよ。世の中を上手く渡ろうという器量が無い奴が真面目を気取るんだよ。分かる?」
「あのな。俺達の世界は、お互いの信頼で成り立ってるんだ。誰もが生き馬の目を抜くような事ばかり考えていたんじゃ、社会の秩序は保てないんだぞ」
「その秩序とやらは、真面目な奴しか守れないのかい?」
「真面目な人間が周りに多ければ、それだけ安心して生活出来る訳だ。その影響を受けて、他の人も習慣や法律を守るのさ。だから、真面目な人は喜ばれるのさ」
「でも、相手が真面目な人間かどうかは見た目では分からないんじゃない? 真面目な振りをした悪い奴を見抜く方法はあるのかい?」
「だから、この社会は信頼で成り立ってるんだ。確かに悪い奴に出会う事もあるかもしれないが、それは滅多に無い事さ」
「社会に波風を立てない奴が望まれるという訳なんだ」
「波風を立てないというか。相手の生活を乱さない気遣いが出来る人が一番求められるのさ」
「それは、自分の我が儘を押し殺すという意味にもなるんだよね?」
「まあ、そういう事もあるさ」
「……だから、人間は馬鹿なんだよ」