捜索 その4
「フォルエナ、もうそこまでにしておけ。オーキーが怖がっている」
フォントーレスは、実際背を丸めてフォルエナを覗き見るオーキーの背を丁寧に撫でている。
「娘にネスターを使わなかったのは単純だ。ネスターは、そういう仕事をしてもらう為に連れて来た訳では無いからだ」
「こいつには、力仕事しか出来ません」
フォルエナは、まだ言う。
「力仕事は、異獣に任せておけばいい」
フォントーレスは、オーキーの顎を掻いてあげている。
オーキーもフォントーレスに身を任せ、安心しきった表情を浮かべ始めた。
「それでは、何をさせるのですか、こいつに」
ネスターは、小さく、「また、こいつって言った」と口を尖らせながら呟いた。
「いいか。今回我々は人間の世界で行動するのだ。ここでは、我々の理屈は通じない。幾ら我々が強いとは言え、周りは人間だらけだ。シェザール側の機嫌を損ねて追い出されては、死妃の娘の確保もままならなくなる」
フォンバーリは、集中してフォントーレスの話を聞いていた。
フォントーレスは、頭の回転が良過ぎるせいか、複雑な策を弄する癖がある。
その側に付く者としては、フォントーレスの言葉の裏に潜む本音を読み取らなければならない事も多い。
まともにフォントーレスの言う事を聞いていてはいけないのだ。
「その為に、長老達は、私を今回の責任者に選んだのだ。森の民の中でも比較的シェザールとの交渉経験があり、カムンゾの森の古族でもあるフォン一族の一員でもある私を」
「フォン一族だから?」
フォルエナは、目を細めてフォントーレスを見た。
「そうだ。四百年前の悲劇を近くで体験し、語り伝えて来たフォン一族ならば、死妃の子供に対する恐れが根強い筈だ。食らい付いてでも目的を達成するだろう、と」
フォルエナは、無言で頷いた。
確かに、今の若い森の民には、死の女の子供がどれ程恐ろしい惨事を引き起こしたか伝えてもピンと来ない者が多い。
四百年前の昔話を現実に結び付けるには、幼い頃から植え付けられた恐怖心が一番だ。
フォルエナのフォル一族は、フィリア起源の一族だ。
レフルスの悪夢で人口減に陥ったカムンゾの森に移動しただけの為、実際に被害は受けていない。
フォルエナ自身、言葉で分かっていても、死妃の娘に対する危機感がフォントーレスと同じものだという自信が無い。
それが分かっているからこそ、フォントーレスへの後ろめたささえ感じている。
こんな自分が死妃の娘追跡の一員に選ばれて良かったのだろうか、と。
「ネスターは、かつて人間と一緒に暮らした事がある。人間の生活、文化を実際に肌で感じた者は、森の民の中ではネスター以外にいない。この街で仕事をするとなると、その経験がモノを言う。私がネスターを連れて来た理由がそれだ。その腕力で片を付けるのでは無く、人間との交渉力を買っているのだ」
「おお。任してくだされ」
フォントーレスの評価に喜んだネスターは、思わず体を起こすと笑顔で胸を叩いた。
「それなら、どうして私を連れて来たのですか?」
「お前か……」
フォントーレスは、ここでにこやかにフォルエナを見た。
「お前には弓がある。森の民随一の弓の使い手であり、お前が率いる弓の一隊は、この複雑に建物が入り組んでいる街では好都合だ。それに、相手は死妃の娘。今夜の件でも分かる通り接近戦で押さえ付けるのは難しい。弓なら、遠距離から仕留める事が出来るかもしれない」
「そういう事であれば……」
フォルエナの弓の腕前は、フォンバーリも見た事がある。
木の枝が幾重にも重なり合い、梢を風が通り抜ける先に見える小さな獲物でも、異獣を駆りながら確実に射止める程の技量を持っている。
フォル一族は、元々弓の一族と称されていて、彼女と共に行動している十人の狩人も相当の手練れだ。
ただ、その弓が死妃の娘に通用するかと言えば、定かでは無い。
今夜の追跡は、突発的に現れたモアミを、手近にいた仲間と異獣を呼び集めて追い回しただけ。
そこにフォルエナと十人の狩人は参加していなかった。
レフルスの悪夢では、弓が効果的だったとは伝わって無いし、実際、四百年前では、死妃の子供は最後には竜族によって捕まえられた。
シェプトアンヅマの襲撃以降は、スーシェルの捜索を続けていただけで実際に戦ってはいない。
ようやく今回トラ=イハイムに追い詰めただけだ。
つまり、死妃の娘を相手に弓を使うのは初めてなのだ。
「ですが、私の弓で死妃の娘の息の根を止めてもいいのですか? さっき捕まえた娘は生かしておいたのに」
「モアミは、死妃の娘を呼び寄せる餌なだけだ。死妃の娘を仕留めたら、すぐに殺せば良い」
「おほ。という事は、後は死妃の娘ひとりだけなんだね」
ネスターが顔を上げて聞いた。
「そうだ。それで終わりだ。死妃の娘さえ倒せば、すぐに森に帰っていいぞ」
「やれやれ、こんな所うんざりだからな。じゃあ、さっさと終わらせちまいましょう」
「そう簡単にいく筈無いだろ。あのチビを捕まえるのもひと苦労だったのをもう忘れたのかい」
フォルエナが楽天的なネスターに厳しい口調で言う。
「そうだ。それに死妃の娘はモアミよりも年上だ。力も強いし、賢いだろう。我々がモアミを捕まえた事でより慎重になる筈だ」
フォントーレスもフォルエナに同意する。
「あれ。それじゃあ、ほんとに現れるのを待つしか無いのかい? それじゃ、時間かかるなあ」
ネスターが残念そうな表情に変わった。
「もちろん、それでは決着するのがいつになるか分からない」
「何か、方法はあるんですか?」
フォルエナが聞くと、フォントーレスはここでフォンバーリに目で合図した。
フォンバーリは、おもむろに部屋の端から中央に移動すると、手に持っていた地図を床に広げて説明した。
「ご存知の通り、死妃の娘は、動物の血を飲んで生きています。必ずしも生き血で無くても良いのですが、なるべく新鮮な血の方が良いに決まっています。ですが、この街で動物の血を手に入れようとするなら、簡単にはいきません。どこかで手に入れないといけないのです」
「そうか。店か……」
フォルエナが地図を覗き込みながら言った。
その対面では、ネスターが腹這いになって同じく地図を覗き込んでいる。
「肉屋だな」
「そうです。新鮮な血は食肉を扱う店から入手する以外に方法はありません。つまり……」
フォンバーリは、地図を指差した。
「ここと、ここと……」と言いながら、筆で丸印を入れて行く。「新鮮な食肉を手に入れる事の出来る店は、この街には四ヶ所。勿論、鶏や豚を飼っている家なんかはありますが、盗みを犯したら、すぐに騒ぎになって警戒が厳しくなってしまいますし、この街に居辛くなってしまいます」
「その四ヶ所さえ押さえておけば、いつかは顔を出すに違いないわね」
フォルエナが頷きながら呟く。
「そうです」
「でも、だからと言って、店にそいつらが来ても、どの客がそいつらだって分からんぞ。だって、おいらはそいつらの顔を知らないんだ。みんなもそうだろ?」
ネスターが床に肘をつき、両手で重い顔を支えながら言う。
「視覚が無理なら、我々にはこれがあります」
フォンバーリは、自分の鼻を指差した。
「店に異獣を置いておくのです。異獣なら臭いで分かります。死妃の娘本人が来ても、供の人間が来ても、その独特の臭いを消し去る事は出来ません」
「成程。死妃の娘の臭いで嗅ぎ分けるのか」
ネスターが良い考えだとばかりにニヤけた。
「でも、どうするの? 店に異獣を置いていては目立つわよ。隠す場所にも困るし、大人しくしてられないだろうし……」
基本、異獣はデカい。そして、荒々しい。大人しくしていられない生き物だ。
「そこで、この子の出番になるのだ」
フォルエナの質問にフォントーレスがオーキーを肩に乗せながら答えた。
「成程。猿獣の子供なら隠れる場所に困らないですね」
フォルエナがフォントーレスを見ながら言う。
「それに、これだけ小さいと、人間に猿獣だと気付かれないだろう。騒ぎになる恐れは避けられる。さらに、死妃の娘の後をつけて、隠れ家を見付ける事も容易い」
「良い方法だと思います」
「それじゃあ、今仲間が街の中を見回っているのは止めるのかい?」
ネスターが腹這いの姿勢のままフォンバーリを見た。
「いや。それは継続する」
フォントーレスが代わりに答えた。
「死妃の娘にとって、我々が街を回っていたら穏やかではいられない筈だ。いつ見付かるか分からないからな。この街に長居は出来無いと思って、モアミの救出に急ぐ筈だ」
「慌てて飛び込んで来た所を狙う訳ですね」
「奴らに安全な場所は無い」
フォントーレスは、フォルエナの言葉に頷いた。
「ここが奴らの死に場所になる」




