捜索 その2
シロリオは、監獄塔から馬を駆っていた。
ふと、夜空を仰ぎ見ると、雲間に隠れそうな《白美神の月》を背景に白皇宮が天に向かってそそり立っているのが見えた。
白美神は、シェザール神話にある孤高の美神である。
大き神がこの世を作り終えた後、あらゆる生き物に生きる喜びを注ぎ続ける慈愛に満ちた存在が必要だと考え、一編の詩を詠んだ。
『共に生きし生けるもの、共に生きる喜び、共に生きるものへの慈しみ /
心の底の底に抱きつ生の終わりまで忘れるべからず /
例え小さな命でも僅かな変化でも己の痛み苦しみ嘆きと思へ /
己よりも他の心が満つるなら己も満つるなり』
大き神がその詩を天に流すと、詩が形を持ち、ひとりの女神に姿を変えた。
それ以降、白美神は夜の女神として世界を慈愛の光で優しく覆っている。
その荘厳さ華麗さは他に比べるもの無く、孤高であり、その心の豊かさは外に溢れ出る故に美神である。
シロリオも赤月の持つ強健さよりも白月の持つ柔和さが自分に合っていると思っている。
その柔らかな光は、心を穏やかにし、平らかに和ませてくれる。
ロクルーティ公爵家に辿り着いたシロリオは、息せき切りながら執事のオーウェンに取次ぎを頼んだ。
既に夜四つを越えている。
貴族の邸宅は、ほとんどが静まり返り、王宮の夜間警備と内城壁の歩哨の松明だけが朧げに見える。
普段ならこの時間ならオーウェンも就寝していて、夜番の者が出て来るのだが、オーウェンがまだ起きているという事は、公爵も起きているのだろう。
案の定、しばらく待つとオーウェンはシロリオを中に案内してくれた。
シロリオは、まさか公爵は起きてはいまいだろう、と思っていた。
一応、今夜の結果を報告しなければならないと思い、やって来たが、就寝していたら、翌朝出直すつもりだった。
「公爵様は、まだ起きておられたのか」
前回同様、オーウェンはシロリオを執務室に連れて行った。
「はい。色々とお忙しいようでございます」
それも森の民絡みなのだろうか。
シロリオは、あの公爵が忙しく働いている所など想像出来なかった。
執務室にいたのはセーブリーだけだった。
机の上に王宮の図面等が重ねられている。
前回の事がある為、シロリオは一応部屋をひと通り見回した。
「連絡は受けておる。今夜、死妃の娘が現れたと聞いた」
セーブリーは自分の机に収まり、シロリオを上目遣いで見ている。
「はい。それが、娘を捕まえたのですが、ひとつ間違いがありまして、捕まえたのは死妃の娘では無く、死の娘でした」
シロリオの報告にセーブリーは、少し身を起こした。
「何だ、それは」
「フォンバーリ殿の話によりますと、このトラ=イハイムに入り込んだのは、死妃の娘とふたりの女でした。ふたりの内ひとりは、死妃の娘の乳母だろうという事ですので、先程捕まえたのが三人目の女だという事になります。死妃の娘と同じ力を持っている死の娘だという事です」
「その死の娘は、死妃の娘とはどこが違うのだ」
「それは、テルファム王の子供か否かというだけで、中身は変わらないとの事です」
「死の女はテルファムの嫁だけで無く、他にもいたという事か」
「はい」
セーブリーは、「ふむ……」と言って頬杖をついた。
「監視は大丈夫なのか?」
「はい。只今、監獄塔に鎖で繋いでおります。我が国王警備隊と森の民と協力して見張っております」
「森の民もその娘を見張っているのか」
「はい。娘が取り返されないように森の民と異獣が監獄塔の周りを警戒しております」
「……ふむ。それは危ないな……」
セーブリーは、視線を伏せながら呟いた。
「は? 何がでしょうか?」
「異獣だ。王宮は大城壁に守られているとはいえ、内城壁の中にそんなに多くの異獣を入れるのは危険だ」
シロリオは、怒られているのかと思い、少し顔を引いた。
「もし、異獣が暴れてしまったら、王都警備隊だけでは押さえ切れんだろう。ここは、レイトーチ伯爵殿の兵も入れて監獄塔の周りを固めてもらう事にしよう」
「は?」と思わず口に出て、慌ててシロリオは素の表情に戻した。
レイトーチ伯爵。
ザレス=イミグラウ=レイトーチ。またの名を『ロクルーティ公爵の腰巾着』。
常に公爵の意向を気にし、公爵の意見に同調する事で出世して来た。
聖剣戦争前は、西北総督の地位に就いていたが、これも実力では無く、ロクルーティ公爵が自派閥筆頭のレイトーチ伯爵を強引に推したという。実力ならば、決して総督になれる能力では無かった。
その証拠に、シロリオの父が非難を一手に引き受けているが、レイトーチ伯爵もトラ=イハイムが陥落したと知らせが来た時、部下がレフルス軍を挟み撃ちにしようと強硬に進言したにも関わらず、国王の無事を確認するのが先だという事で軍を動かさず、さらに体勢を整えたレフルス軍との戦いでは、自軍より半分に満たない相手に完膚無きまでに叩きのめされている。
要するに判断力も決断力も軍事的才能も無いのである。
そんな指揮官が率いる兵が役に立つのだろうか。
ただ、シロリオとしては、その厄介な荷物が押し付けられる可哀相な役目が自分では無く、王都警備隊になる為、気が楽であったが。
「王都警備隊の方には、わしから話をつけておく」
その言葉に、シロリオは驚いた。
そういう面倒臭い仕事は他人に押し付けてばかりだったのに今回は自分が動くとは。
シロリオは素知らぬ顔で、雨でも降るかな、と皮肉っていた。
「ともかく、逃がしてはならんぞ。そして、死妃の娘も捕まえねばならない。わしの兵をもっと呼び寄せとるから心配するな」
は? シロリオは、今度は声に出さないように自制出来た。
「公爵様の兵も捜索につぎ込むという事ですか」
「そうだ。異獣を倒す程の危険な相手だ。早く見付けねば被害が大きくなってしまう。捜索の目は多い方が良い。もっとうちの兵を入れるから、しっかり監督してやってくれ」
「……」
もっと増えるのかよ。
シロリオは、眩暈で倒れるかと思った。




