モアミ その6
「あいつは、帰った?」
少女は、髪をまとめ直している所だった。
「ああ。仲間をふたり置いて行った」
「分かるよ。青臭い臭いがしている」
少女は、渋面を作って鼻をひくひく動かした。
シロリオは、ふと入口を振り返った。
ここからは、何も臭わない。
「森の食い物を生で食べてるからね、奴らは。体臭も青臭いのは仕方無いよね」
言うと、少女は歯を剥き出しにして笑った。
「意外だな」
シロリオが呟くと少女が小首を傾げた。
「異獣を倒す程だから、どんな奴かと思えば、普通の女の子じゃないか」
少女は、シロリオの言葉にきょとんとした。
「やっぱり、君は間違えられたのかな。俺には、とてもあの異獣を倒した化け物に見えないんだが」
「……」
それを聞いて、少女は視線を落とし、黙り込んでしまった。
「だって、そうだろう」
言いながら、シロリオは両手を一杯に広げた。
「こんなにある異獣なんだぜ。牙なんか俺の指よりも長いのに、君みたいな子がその喉を引き裂く事が出来るなんて思えないな」
「そう……」
少女は、先程までの元気良さ気な表情を消していた。
シロリオを上目遣いに見て、ゆっくりと右手を上げる。
「どうした?」
シロリオが少女を見ると少女は片頬で笑い、シロリオの顔に手を寄せた。
「痛っ」
シロリオの頬に鋭い痛みが感じられた。
手で押さえると、血が掌に広がっていた。
「……」
少女がシロリオの血がついた指を眺めている。
「何を……」
少女は、血の付いた指をシロリオに見せるようにしながら、指をくわえた。
「不味い……」
少女は、指をくわえたまま、シロリオの視線を受け止めた。
相手を射すくめるような不気味な笑みを湛えていた。
『死の女や死兵は、生き血を食らう』
シロリオは、フォントーレスの言葉を思い出していた。
「分かったでしょ。あたしは、普通の人間じゃないんだよ」
「あ、ああ……」
シロリオは、もう一度掌を見詰めた。
「教えてあげる。異獣の血ってね、獣臭いんだけどね、心臓に近い所の血は、ねっとりとしてとっても味が濃いんだよ。それを腹一杯飲むと、全身に力が漲って、誰が相手でも負けないって気になるんだ」
少女はそこまで言うと、急に無表情になり、シロリオから視線を外した。
「もう、行ってくれない? 一晩中追い回されて疲れちゃった。もう寝るね」
そう言い残し、少女は、板の上でさっさと丸くなってしまった。
両足を曲げ、頭を腕の上に乗せている。まるで子犬のような。
その小さな体が森の民全ての怒りや恐れを受け止めているとは信じられない。
この子が助かる方法はあるのだろうか。シロリオは、ふと考えた。
「最後にひとつ聞いていいかな」
「何?」
少女は、微かな吐息と共に聞いた。
「君の名前は?」
少女は、ひとつ溜め息をついた。
「……モアミ」
「ん?」
少女の声が小さくて、シロリオはもう一度聞き返した。
「モアミって言うの、あたし」
「モアミ?」
シロリオが確認するように呟くと、少女は目を開いてシロリオに視線を向けた。
やはり、可愛らしい子供がそこにいた。
「レフルスの言葉でね、『希望』っていう意味なんだって。馬鹿馬鹿しいよね。こんなあたしに何の希望があるんだろうね」
少女はそう言うと、倒れるように寝そべり、そのまま目を瞑った。
「死人の子供なんだよ。もう、半分死んでるも同然じゃないか。それに、一生森の馬鹿共に追われ続ける生活さ。そんなあたしが満足に幸せな人生を送れるとは思えないよね」
シロリオは、何も返せなかった。
自分には、全く分からない人生。何の共感も思い浮かばないその過酷な一生。
それを小さな体全身で受け止めている。
シロリオは少女をゆっくり休ませようと思い、入口に向かい出した。
「ねえ」
少女の声に振り返るシロリオ。
少女は、丸くなったまま顔も上げずにいる。
「何だ」
「あんたの名前は?」
「俺か……」
シロリオは、笑みを浮かべながら少女に振り返って言った。
「俺は、シロリオ=オーランス=ウイグニーだ」
「ういぐにー……」
「そうだ」
「じゃあ、ウイグニーさん。ひとつ忠告してあげる」
「何だ」
「あたしを殺すつもりなら全力でかかって来た方が良いよ。変な同情は禁物だからね」




