モアミ その3
シロリオは、部屋の前から少女を覗き見た。
燭台の薄暗い光の中、少女は両手足を分厚い鎖に繋がれながら無表情で床に座り込んでいる。
逃走劇の間に乱れた髪が顔や肩に散らばり、体は返り血を浴び、汚れや埃にまみれていた。
部屋の前には、手配した部下がふたり立哨している。
一応、少女が暴れた時の為に、鉄の鎧を着込み、盾を側の壁に立てかけているが、猿獣を相手に戦う所を見ると、正直本気で襲われてしまったら何の役にも立たないだろう。
アイバスは、部下達のその姿を見ながら、「気休めにはなります」とシロリオに小声で答えていた。
普段なら、監獄塔の警備は王都警備隊の管轄になるのだが、今回は森の民が絡んでいる為、シロリオが王都警備隊に頼んで、少女の監視だけは自分達に任せてもらっている。
本音は、少女を王都警備隊に任せてしまったら、どんな扱いをされるか不安だった為だが……。
シロリオは、アイバスに向かって頷くと、ひとり部屋に入り込んだ。
少女は、憮然とした表情で足元を見詰めている。
細い手足に取り付けられた鎖が重々しく、鈍い光を放っている。
これでは、鎖をちぎって逃げるのは到底無理だろう。
それより、重い鎖に繋がる少女の体が痛々しい。
シロリオは、少女を不憫に思った。
森の民から散々死妃の娘の恐ろしさを聞かされたが、実際目の前にすると、見た目の哀れさが強調されて可哀想な気持ちが心を支配する。
シロリオは、少女に近付くと腕組みをして聞いた。
「名は何と言う?」
しかし、少女は足元に視線を向けたままで答えようとはしない。
見知らぬシロリオに戸惑っているのか。
「もう一度聞く。名は何と言う?」
シロリオは、少し声を強くした。
それでも、少女を怖がらせないように声の張りを抑えてみたが。
少女は、ようやく視線を上げてシロリオを睨み返した。
「あんた幾つだい」
まだあどけない表情と高い声がシロリオを戸惑わせる。
「何?」
シロリオ相手に物怖じしない態度。
どこか勝手が違うな、とシロリオは感じた。
「あんたの年齢を聞いてるんだよ」
少女は、さらに喧嘩腰でシロリオに言葉を投げ付けた。
少女にあんた呼ばわりされて、少し不快を感じたシロリオだったが、少女の気分を落ち着かせるのが先決だと思い、言い返すのは止めた。
シロリオは、ひとつ溜め息をつくと、「俺は、二十三だ」と言った。
それを聞いた少女は、意外そうな表情になり、思わず笑いだした。
「何かおかしいか」
シロリオは、腕組みしたまま聞いた。
「ごめん、ごめん。あまりにもあんたが正直だからおかしくなってね」
「正直のどこが悪い。下手に嘘偽りで我が身を覆う者は自らを滅ぼす、と言うんだ」
少女は、そう言うシロリオを値踏みするような目付きで見た。
「はあ~、あんたみたいな貴族様もいるもんだねえ。あたし、貴族って奴は、自分を偉そうに見せ付けるのに必死な生き物だと思ってたわ」
「俺は、まだ貴族では無い……」
シロリオは、呟くように言った。
「いつ、貴族になれるか分からないしな」
「え? だって、警備隊の人間でしょ? 警備隊って貴族の馬鹿息子がするもんじゃないの?」
シロリオは、胸を張って少女を睨んだ。
「国王警備隊をけなす事は許さんぞ。いいか、俺達がこの街を守っているようなものなんだぞ。日々、色んな事件を解決しているんだ。まあ、完璧とは言い難いが……」
少女は、シロリオの顔をじっと見詰めた。
「何だ。何か顔についているか?」
「そうね。ついているね。正直者っていうゴミが」
「正直者がゴミか」
シロリオは、そう言いながら顔に手を当てた。
「今の世界じゃ、ゴミの方がマシなんじゃないの? 悪者に騙されたら、身ぐるみ剥がれるどころじゃなくて、命まで失いかねないよ」
「……俺は、そういう最期でも良いと思ってる」
シロリオは、少女から視線を外しながら呟いた。
その表情には、何か苛立ちのようなものが見て取れた。
「ふ~ん」
少女は、そんなシロリオを見上げていた。
「あんた。変な人だね」
その上目遣いの少女の顔は、どう見ても純粋な子供の顔立ちにしか見えなかった。
無垢の少女がそのまま座り込んで、無邪気な会話を続けているような感じ。
やはり、シロリオは、少女がそれ程悪い相手には見えなかった。
「どうして、俺の歳を聞いた?」
「随分と若いお兄さんが偉そうにしてるから聞いてみただけさ。まさか、あっさり答えてくれるとは思わなかったけどね」
少女の声からは最初の刺々しさが消えていた。どこか、シロリオを受け入れ始めている風が見て取れた。




