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死妃の娘  作者: はかはか
第一章 追跡
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追跡 その12

 シロリオは、沈痛な面持ちで重たい扉を閉めた。

 公爵家の廊下は、強い闇が支配していた。

 廊下の突き当りの窓から漏れ入る青白い月の光だけが闇の力に抵抗している。


 シロリオは、燭台を手に持ち玄関に向かった。

 今後の森の民との具体的な打ち合わせは、フォントーレスの部下のフォンバーリに任せてあるという。

 それを聞いて、シロリオは少し安心した。これからもフォントーレスの鋭い視線を意識しなくてもいいのだという安堵があった。


 シロリオは、このまま宿舎に戻らず、警備隊本部に直行するつもりでいた。

 夜勤を指揮しているアイバスに今夜の話を伝えて、国王警備隊の再編成を話し合わなくてはならない。

 特に、アイバスは、貴族達の私兵に対して良い感じは持っていない。

 王都の三大警備隊は、さすがに国軍だし、国王の住まう都とあって、訓練は怠らず規律に厳しい。

 ただ単に敵を殺しまくる軍とは違い、権力を背景にはしていても、様々な民族の様々な性格を持つ住民を相手にするのである。

 それなりの判断力、対応力を必要とする状況に毎日さらされているだけに、個々の能力は、シェザールの軍の中では高い方だ。


 それに反して、貴族の私兵達は強ければ良いと思いがちで規律に欠けている者が多い。

 自分達が国を守っているという驕りに満ち、好き勝手し放題だ。

 街で問題を起こしても上の者が揉み消してくれるという安心感もあって、警備隊にとって住民以上に厄介な連中である。


 一度、酒場で暴れていた私兵をアイバスが取り締まりに向かった時、相手が先に手を出して流血沙汰の乱闘になったにも関わらず、即日無罪放免で釈放された事があった。

 それ以来、アイバスは貴族の私兵には只ならぬ遺恨を残している。


 シロリオは、大きく溜め息をついた。

 どうやって、アイバスを説き伏せようか。頭が痛い。


 溜め息に燭台の炎が揺らめいた時、光の粒子の先に人影が認められた。


 白地に青糸で西方ウイレーカ風の複雑な模様が施されている肩掛けにすっぽりと包まれている。

 その長い黒髪に穏やかな佇まい。育ちの良さが現れている裏表の無い表情。

 微かに笑みを浮かべ、シロリオとの再会を喜んでいる。


「これは。お久し振りです」

 シロリオも先程までの渋面を隠して笑みを浮かべた。


 頭ひとつ低い位置からシロリオを仰ぎ見る少女は、少し体を揺らして嬉しさを表現した。

「夜遅くまでお仕事ですか」

 ロクルーティ一族特有の低音の効いた細い声。

 ロクルーティ兄弟の末娘、レニーは小首を傾げて聞いた。


 レニーは、シロリオの四歳年下になる。

 まだ、シロリオの父が健在な時は、レニーが生まれる前から、セーブリーに娘が生まれたら、行く行くはシロリオと結ばせる約束がされていた。


 父が亡くなり、シロリオが公爵の預かり状態になると、当然その約束は反故にされた。

 身寄りの無くなったシロリオは、ロクルーティ兄弟と共に育てられたが、立場的に兄弟と同じ扱いをされる事は無かった。

 何をするにも、家来のように兄弟達を立てなければならなかった。自分の我が儘は当然ながら胸の奥に押し込まなければならない毎日。己の喜怒哀楽は二の次に、兄弟達の顔色を伺わなければならない生活。

 それは、レニー相手でも同じ事だった。

 シロリオにとって、レニーはあくまでロクルーティ兄弟のひとりとして扱わなければならなかった。

 子供心にも自分はレニーとは身分が違うのだと言い聞かせていた。


「はい。国王警備隊に休みはありません」と、シロリオは苦笑いで返した。


「大変ですね。お体に気を付けて下さい」


 気の利いた返しが出来るふたりでは無かった。


 兄達の下で苛められていたのは、シロリオだけでは無かった。

 末っ子で大人しいレニーも兄達の遊び相手、所謂行き場の無い発散のはけ口になっていた。

 時に人知れず瞳を泣き腫らしていたレニーを慰めていたのがシロリオだった。

 誰も知らない広い庭の一画で、陽の暮れるまで話し込んでいた事もあった。

 レニーにとって、シロリオは屋敷の中で唯一心許せる存在になっていた。


 シロリオがそれに気付いていたか。


 シロリオは、ロクルーティ兄弟の不和はなるべく解消するのが自分の役目だと思っていた。

 必要以上にレニーに肩入れしていたのも、兄達に攻撃されっ放しのレニーの援護射撃程度に考えていただけだった。

 レニーが自分について友人以上の気持ちを持っているかもしれないと感付いたのは、国王警備隊副長として公爵家を出る時の事だった。

 みんなの前で張り裂けそうな気持を押し殺しているレニーの心情に気付く事が出来たのはシロリオだけだった。

 兄達に苛められた後と同じように、心が破裂しそうな状態を必死で踏ん張っていたあの表情を人々の中に見出した時、シロリオは初めて、レニーにとっての自分の立場というものに思い至ったのである。


「レニー殿も遅くまで起きていたら、公爵様に怒られますよ」

 シロリオは、微かに頷くレニーの腕に赤革の腕輪を見た。

 公爵家を出たシロリオが親しくなった下町の革細工職人から買い求めた物だ。

 蛇革にラメの香木の繊維を閉じ、そのラメの臭いを打ち消す為に柑橘系の果実の皮を編み込んでいる逸品だ。

 人間には、柑橘系の匂いが少し感じるだけだが、異獣にはラメの匂いが強く感じられるという。


『遅くなりましたが、誕生日のお祝いとして……』

 シロリオは、ふたりきりの時を見計らって、レニーに腕輪を渡した。

 その時のレニーは、腕輪を大切そうに両手で握り締め、『大切にします……』と消え入りそうな声で答えただけだった。


 シロリオとしては、深く考えずに渡した品だった。


 シロリオは、玄関に向かう間、レニーととりとめの無い話をした。

 余程、シロリオに会えて嬉しいのだろう。

 レニーは、シロリオの顔から視線を外す事無く楽しそうに話している。


 玄関には火が灯され、執事のオーウェンがシロリオを待っていた。

 シロリオとレニーの幼い頃から世話をして来たオーウェンである。

 ふたりが仲の良い事は良く分かっていた。


「お父様には内緒ね」

 レニーが口の前に人差し指を立てると、オーウェンは笑みをたたえながら、ふたりを玄関に残してその場を去った。


「それでは、また……」


 シロリオが扉に手をかけると、レニーは寂しい表情を見せた。

 自分の気持ちを積極的に表に出す方では無い。

 相手に迷惑が掛かるなら、じっと耐えて待つ性格だ。

「お元気で頑張って下さい。お体に気を付けて……」

 レニーは、そんな言葉しか口に出す事が出来無かった。


 シロリオも自分の立場上、何か前向きな事を言える状況では無い。

 それが分かり過ぎる程分かっている上に律儀な性格でもあった。

「また近々参ります」

 そのひと言しか言えなかった。

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