追跡 その10
フォントーレスは、シロリオが話に乗って来たのを見て、初めて長椅子の前に回り、ゆっくりと腰かけた。
「テルファムに死妃がいたのをご存知ですか」
「テルファム王に?」
シロリオには初耳の事だった。
「王妃がいたのは知っています。王子と王女ふたりを生んだと……」
王子はその後、森の民の刺客に襲われて命を落としたと聞く。
「そうです。王子は、紛れも無く普通の女性の子供です」
「では、ふたりの王女が……」
フォントーレスは、大きく息を吐いて体を起こした。
「そう。そのふたりの王女の母親が死妃なのです」
「では、あの神竜による王女誘拐は、本当の話なんですか?」
十数年前のシェプトアンヅマの夜。
森の民によるレフルスへの裏切りにより、トラ=イハイムが陥落した夜。
白皇宮の窓から神竜がレフルスの王女を救い出したという。
確かに、森の民の裏切りの理由が死妃の娘なら納得がいく。
森の民は、テルファムの死妃が子供を産んだ事を知って、恐怖に襲われた。
またレフルスの悪夢が蘇りはしないかと。
森の民は、死妃の娘を殺す事にした。その為にレフルスを裏切る事になっても構わない。
一方、神竜は、森の民の狙いに気付き、血族たる死妃の娘が殺される前に助け出した……。
「悪夢の再来を阻止する為に、その子達を殺害する事にしたのですね」
「その通りです。テルファムも死妃の子供が起こした事件を知っている筈なのに、死妃が身籠り、産むのを見過ごした。我々森の民が激怒したのも当然です」
フォントーレスは、そこで唇を噛んだ。
「……例え、シェザールを利する事になろうとも、絶対に殺さなくてはならない存在だった」
十分な体制が整っていなかったシェザールがレフルスからフィリアの地を奪い返す事が出来たのは、死妃の娘の存在があった為だった。
「……それで、さらわれた王女はどうしたのですか?」
「死妃の娘は、竜の血を受け継ぐ者。さらわれた王女は、我々の手にかけられないように、竜の巣の奥で守られています。ですが、竜族は、その子を一生閉じ込めておくでしょう。でないと、我々が黙ってはいません」
「そして、もうひとりの王女は……」
「その夜、もうひとりの王女は、白皇宮にいませんでした。トラ=イハイムを虱潰しに探しても見付かりませんでした」
「逃げた……?」
「恐らくそうでしょう。我々は、その娘を探しました。王女の片割れは、まだ生きている。レフルスの乳母に守られ、ひっそりと育てられている、と。確実に死んだという事実が分かるまでは止める訳にはいきませんでした。シェザールとの戦いの為に必要な優秀な人材を割いてでも、見付け出さなければなりませんでした。そして、最近になって、とうとう確かな筋からの情報を受け取ったのです」
フォントーレスは、声をひそめた。
「……死妃の娘は、この街に逃げ込んでいる、と」
「ほんとですか」
「信じるに足る情報でした。あなた方シェザールは、この街を取り戻すと早速ラメの香木を街の周囲に植え直し、城壁を造り直して、我々の侵入を不可能としました。これは、死妃の娘にとっても最高の隠れ場所になります」
言われてみればそうだ。
シェザールは森の民を嫌悪している。森の民ひとり、異獣一頭でも街に入り込んだら、例え武器を持たない民衆でも一致団結して街ぐるみで追い出そうとするだろう。トラ=イハイムの隅々に至るまで数千数万の目が見張っているのだ。
「ここで、話は先日のクオーキー伯爵殺害事件に繋がって来るのです」
「どういう事ですか」
どうして、そこに結び付いて来るのか。
「実は、死の女と死兵は、死んでいるので食事はしないのですが、それでも体を保持する為に栄養補給をしないといけません」
「栄養補給ですか? 何を?」
「血です」
「血?」
「そうです。死人の体を動かすのに必要なものが血になります。動物でも人間でも構いません。生き血が必要なのです。血が彼らの食糧になります。そして、それは、死の娘にも受け継がれています。娘は、食事をせずに生き血を飲んで栄養にしています」
ここで、シロリオはセーブリーを見た。
「クオーキー伯爵は、血を抜かれて死んでいた。これは、確かだ」
公爵は、フォントーレスの言葉を補うように言った。
「人間でも動物でも血を吸って生きる生き物はいません。つまり、これが死妃の娘がこの街にいる証拠なのです」
「死妃の娘がこの街にいて、人間の生き血を奪うなんて許せない事だ。そんな化け物は、早く捕まえなくてはならない」
セーブリーは、苦虫を潰したような表情で言った。
「ただし、死妃の娘がどこにいるかは、あなた方人間には探し出せません。死者の臭いは、死兵に慣れている異獣を使わないと嗅ぎ分けられないのです」
そういう事で森の民がここにいるのか。やっと、納得がいった。
死妃の娘を探すには、異獣が欠かせない。その異獣を使うには森の民が必要だ。
しかし、森の民や異獣を街に入れるには慎重を期さないといけない。
「犬では駄目ですか」
「犬を使うにしても、死兵の臭いを嗅がさないといけません。まさか死兵をここに連れて来る訳にもいきません。異獣を使うしか方法は無いのです」
確かに。
つまり、クオーキー伯爵は、餌として死妃の娘に殺された。死妃の娘が街にいるなら、他にも被害が出るかもしれない。
街の人々の命に関わる事だから、その死妃の娘を放っておく訳にはいかない。絶対捕まえなければならない。
捕まえる為には、死妃の臭いに慣れている異獣を使って探すしか方法が無い。
異獣を街に入れるという事は、異獣を使う森の民も入れる事になる。
クオーキー伯爵の事件の捜査はシロリオが担当しているし、死妃の娘が潜んでいるとすれば、第三区の中だろう。日々第三区を警備している国王警備隊の協力は欠かせない。
だから、フォントーレスをシロリオに引き合わせたのだ。
「我々森の民だけで無く、異獣も街に入るという事で心配でしょう。ですが、異獣は、それ程怖いものではありません。生後すぐから親代わりになり、愛情持って育てています。多少、外見は威圧感がありますが、中身は犬や猫と代わりません。従順に飼い馴らされていますので安心です。逆に我々としては、住人の皆様の反応を危惧しています。何の情報も伝えられていない人々が大勢の森の民や異獣を見た時に混乱に陥らないか不安なのです」
それは同感だった。
「それでは、入城させる森の民と異獣の数は、どのくらいの数を考えていますか。五人か十人くらい……」
「それでは、駄目です」
「どうしてですか?」
「この広い街を捜索するのに異獣十頭では少なすぎます。せめて、五十頭はいないと」
「五十ですか?」
シロリオは、思わず声を高くした。異獣五十頭で森の民五十人。
国王警備隊は、人員が百五十人である。通常勤務や夜間勤務、非番等を考えると、何とか確保出来るのは半分の七、八十人であろう。それで、日夜五十組の森の民と異獣を監視するのである。
「五十人は勘弁して下さい。多過ぎます」
「いいえ。必要なのです。それに死妃の娘は、竜の血を継いでいるだけあって、力も強いのです。人間の力では歯が立ちません。いざ、戦いとなった場合、異獣を使っても簡単にはいきません。実際何人いれば安心かも分からないのです」
そう言われても、シロリオは返事を渋っていた。
自分は、死妃の娘を見た事無い為、どれだけの異獣を投入すればいいのか分からない。
確かに、ここは経験のある森の民に任せた方がいいのは分かる。だがしかし、街の住人の安全を確保するのもシロリオの責務なのだ。
国王警備隊で対応出来無い数の森の民と異獣を引き込んで、何か事故でもあったら問題になる。自分だけで無く、公爵にも責任が及んでしまう。
下手をすれば、シェザールと森の民の紛争が再燃する事だって有り得るのだ。簡単には答えを出せない。
「ならば、街の警備をうちの兵士に任せたらどうだ?」
シロリオの沈黙に我慢出来無かったのか、セーブリーが強い口調で言った。
うちの兵士……。それは、ロクルーティ家の私兵という事か。
瞬間、シロリオは、拒否する理由を考えた。
しかし、セーブリーの言葉は、提案というよりも最早命令に近い雰囲気があった。
「もう、戦の時代は終わったようなものだ。うちの兵士達も訓練ばかりで退屈しておろう。戦では無いが、何か仕事を与えた方が士気も保てるというものだ」
「あ、成程ですね。確かに、そうして頂けたら大変有難い事です」
フォントーレスは、反射的に返事をした。
救いの神が現れたかのような表情をして、セーブリーの顔を覗き込む。
当然、セーブリーは、満更でも無い顔をしている。
駄目だ。
シロリオも公爵の私兵の質は知っている。
先の大戦が終わったとは言え、まだ各地の衝突は続いている。そんな中でもセーブリーは前線に赴く雰囲気すらも見せない。そんな空気は、簡単に下まで蔓延してしまう。
自分達は、戦いに向かう心配が無いのだ、という油断は、公爵軍の風紀の乱れを助長させていた。
そんなにわか兵士に、扱いの難しい街の住民相手の仕事なんて出来るとは思えない。
しかし、シロリオとしては、セーブリーの提案を受けざるを得なかった。
ここで、拒否しても良い案が出て来る訳が無い。
拒否した上に、他の方法を思い付けないとなると、セーブリーの怒りを買ってしまう。
困った事だ、とシロリオは思った。
公爵家の兵士を慣れない街の警備に回しても、どれ程の成果が出るものか。いや、逆にいらぬ手間が噴出するのが目に見えている。
セーブリーの言葉は、何も知らぬ外部の人間が賢しらに大きな顔をして発言したようなものだ。
セーブリーは、シロリオがそんな事を考えているとも知らず、満足気にフォントーレスに笑みを浮かべた。
「という訳だ。心配無く仲間を呼び寄せてもらいたい」
「これは、わざわざ公爵殿のお手を煩わす事になりまして申し訳無い事です」
フォントーレスは、セーブリーに向かって仰々しく頭を下げた。
全ては、前々から決まっていた事だ。ここで、いくら反対しても押し切られるだけなのだろう。
シロリオは、半ば諦め気味になっていた。




