【導入部】
あの時の事は、昨日のように思い出される……。
僕らの家は、とても小さくオンボロだった。雨に涙し、風に音を上げ、雪に腰を曲げ、いつ壊れてもおかしくなかった。
その晩。
家の外では、風が吹き荒れ、古い窓枠がガタガタといつものように悲鳴を上げていた。
薄い壁のすぐ向こうでは、木々が唸り声を上げながら枝を振り回している。
夜になって、ますます寒さが厳しくなっていた。
小さな暖炉では、弟達が裏山で拾い集めてきた薪がパチパチと炎を上げて燃えていたが、古い家のあちこちから外の空気が遠慮無く漏れ入る事もあり、寒さは衰える事を知らなかった。
その隙間風が寒くて、満足な防寒具を持たない僕らは、暖炉の前に集まるくらいしか出来無かった。
それでも、外の寒さが厳し過ぎて、暖炉の熱は狭い範囲だけしか暖めてくれない。
薄い生地の服を一枚だけしか着ていない僕らにとっては頼りない事この上無かった。
お父さんとお母さんは、月に一度の村の寄り合いに行っていた。
寄り合いの日は、いつも僕らが寝た後に帰って来るから、その晩もまだ戻っていなかった。
家に残っていた僕らが暖炉の前で身を寄せ合っている時、その日の家事をひと通り終えた姉が、そっと僕らの側に座り込んで来た。
姉も寒い思いをしてただろうに、暖炉の前は僕らに譲って、壁から流れて来る冷え切った空気を背中で受け止めていた。
姉は、少ない食事の中、さらに自分の分まで僕たちに分け与えた為、誰よりもひもじい思いをしていた筈だった。
それでも、僕らを心配させずに穏やかな笑みをたたえながら僕らを見ていた。
「みんな、そんな顔をしないの。寒いと思ったら、ますます寒くなるわよ」
甘えん坊の末っ子がそんな姉の膝に近付いた。
「でも、寒いよ。姉さま、おなか空いたよ」
末っ子は、鼻水を垂らしながら姉の温もりにしがみ付いていた。
姉は、末っ子の鼻を拭いてあげると、寒くないように末っ子を優しく両手で抱き上げた。
「馬鹿。ご飯ならさっき食べただろ」
弟が末っ子に怒った。弟も姉の側に行きたかったが、暖炉の前の一番良い場所から離れる勇気は無かった。
そんな弟を止めたのが妹だった。
「怒らないでよ。あんただって、姉さまの分もらったじゃない」
「何だよ。あれだけじゃ少ないだろ」
そう言って弟が妹をにらむと、ちょうど良く弟のお腹が鳴る音がみんなの耳に聞こえた。
それを聞いたみんなは、言い合いを忘れて大きな声で笑い合った。
「そうね。お腹空いたよね。でも、食べる物はもう無いのよ。ごめんね」
姉は、そう言いながらみんなを見渡した。
「それじゃあ、ひとつお話をしようか」
僕らだけで家に残っている時、いつも姉はお話をしてくれた。
遠い砂漠を旅する商人の話、偉大な女王の話、国を追い払われた人々の話……。
姉がする物語に、僕らはいつも夢中になって入り込んでいた。
「やった。私、姉さまのお話大好きっ」
妹が両手を上げて喜んだ。
「俺もっ」
弟も我先に口にする。
末っ子もふたりの様子を見て、「僕も、僕もっ」と姉にすがり付いた。
姉は、最後に僕の顔を見ると、「それじゃあね……」と口を開いた。
もちろん、僕も姉の物語を楽しんでいたひとりだった。
「これはね。むかしむかしのお話なの。聞いた事があるかな。大昔には、空に竜が飛び回っていて、神々と一緒にこの世界を治めていたのよ」
僕は、どきっとした。
姉が始めた物語は、とても昔の、僕らの王様が天神様を崇め始める前の話だった。
もう、誰も顧みる事の無かった物語……。
神々が人間の側で生き、竜族が天を支配していたと言われる伝説の時代。
その話をする事は王様に禁じられていた。
口にするだけで天神様の怒りを買うと恐れられていた。
姉は、そんな僕の気持ちを知ってか、僕の顔を見てにっこりと微笑むと、話を進めた。
「みんなが生まれるずっと、ずっとずっと前のお話なの……」
姉は、伏し目がちで透き通るような細い声で話し始めた。
僕は、いつしか姉の話に惹き付けられていた。