追跡 その5
フォントーレスは、いたって穏やかな表情をしながら、雑談をするかのような声色で説明していた。
その姿に切羽詰まった様子や危険性は感じ取られなかった。
それでも、シロリオにとっては、目の前に森の民がいる事自体が有り得ない事態ではあった。
まさに憎むべき相手。それが森の民だった。
先の大戦においてレフルスと森の民に国を追われたシェザールの人々は、各所に分散し、それぞれがシェザール復興の為に尽力した。
その戦いは、まさに惨を極めたものだった。
周囲の民族の邪魔立てや迫害に抵抗し全滅した集団は数知れず。
その最中、王家の生き残りであるアスミエ王子が非業の死を遂げた時は万事休すと思われた。
しかし、マイハン王家の血を引くローゼンバル家のタルテアが逃亡先である東方貿易国家のフィレル王国で女王に戴冠した事で流れが変わった。
タルテアは、親友にして才女のイシュメナと共に寄せ集めの兵をよく統率し、フィリア本土への上陸を成功させ、次の代のティアラフ女王と歴史家宰相オラートが、念願のトラ=イハイム帰還を果たしたのである。
このシェザール再興は、まさに奇跡と言うべき現象であった。
特に、レフルスを支援し、シェザールにとって最大の脅威となっていた森の民との戦いは、血で血を洗うといってもいい程の死闘が繰り返された。
今までに森の民を相手に全面戦争を挑んだ民族はいなかった。
シェザールは、全滅を覚悟の上で、森の民に向かって行ったのだ。
全く力が敵わない森の民や異獣と戦うのである。
レフルスでさえ強力な敵だったのに、一撃で命を取られかねないより恐ろしい相手がいるのだ。
それは、恐怖などというものを通り越して、絶望であった。
それでも、互いに気持ちを奮い立たせて剣や弓を手にして、屍の上に屍を重ねたのだった。
その記憶がまだ生々しいからこそ、シェザールの民にとって、森の民は、体の奥底にまで強い敵愾心と拒否反応と嫌悪感をもたらす存在にまでなっていた。
その森の民が公爵の邸宅にいて、目の前にいるのである。
森の民を見れば反射的に剣を振り回していたシェザールの民のひとりとして、この現実を受け入れろと言われても困難な話だった。
「シロリオ殿の困惑は、私にもよく分かります。何故なら、私自身も未だ互いの傷の癒え切れない内にこの場に来ようとは思っていませんでした。率直に言って、あなた方シェザールの民は、私のかけがえの無い家族や仲間を大勢死に追いやった憎き相手です。正直、穏やかに話をする事さえ難しい」
フォントーレスは、ここまで言うと、ひと息ついた。
それは、確かに森の民の総意であろう。
森の民としては、長年に渡るシェザールの民の環境破壊によって生活拠点を奪われ続けた怒りが積もりに積もっていた。
これまで、スカル世界に住み着いて来たフィリア、エリレス、そしてレフルス等の各民族は、森の民と異獣を畏れ敬い、その生活圏を侵さないように注意して来たのだ。
シェザールは、その微妙な均衡を破壊した張本人である。
「全ての始まりは、あなた方にあるのです。それを忘れて手を組むなど不可能にも等しい事……」
フォントーレスは、椅子に座り見上げているシロリオの視線を正面から受け止めた。
「ならば、どうしてここにいるのですか」
シロリオは、誰もが口にして当然の事を質問した。
「我々だって、先の大戦におけるレフルスとあなた方の攻撃により、土地を奪われ、多くの民が命を失いました。まあ、それもあなた方は自業自得だと言うのでしょうが」
「ふっ。その土地も流れ者のあなた方シェザールが無理矢理奪い取ったものではありませんか。被害者ぶるのも笑止」
シロリオは、その言葉につい頭に血が上ってしまった。
椅子から跳ね上がらんばかりに立ち上がり、フォントーレスを睨み付けた。
「この世を生きて行く為に必要なのは、『力』なのです。恐らく、それを否定する者はいないでしょう。我々がフィリアの地を手に入れる事が出来たのも、我々が強かった。それだけです。ただ、確かに何でもかんでも力で解決しようとするといつか痛いしっぺ返しを受けるかもしれません。先の大戦も、もしかしたら我々シェザールに対する天からの警告だったのかもしれません……」
ここまで言うと、シロリオはセーブリーを横目で盗み見た。
自分の発言を公爵はどう思っているのだろう。
シェザールの歴史を否定するような発言は、貴族として指導者としてあるまじき事で見過ごす訳にはいかない。
それでも、シロリオは言葉を進めた。
「しかし、そのシェザールが再びレフルスと森の民を追い返して、この地に戻って来たのもまた事実。これも天の意思の他ありません。それが我慢ならないのなら、ただ今よりカムンゾの森に戻って再び戦の用意をされるがよろしい。再び我々が負けるような事があれば、それも天の意思。あなた方が好きな龍神の差配。そうではありませんか」
シロリオは、ここまで一気にまくし立てた。
フォントーレスを睨み付け、腰の剣に手を添える。
それを見て、フォントーレスは厳しい表情を和らげ、両手を広げた。
「これは、言い過ぎたようですな。申し訳無い」と、シロリオに対して軽く頭を下げた。「謝ります」
意外な反応を見せられたシロリオは、拍子抜けしたように剣から手を離した。
フォントーレスは、セーブリーに顔を向けた。
「いいでしょう。相手が森の民という事で思考を鈍らせるような事は無い。怒りに身を任せるでも無い。理性的に話が出来る。何より、自分の分を弁えているし、それでいて、国の為なら命も投げ出す覚悟が見える。合格です」
それを聞いて、セーブリーは大きく鼻から息を吐いた。
「もちろんだ。このわしが目をかけて育てたんだからな」
シロリオは、セーブリーとフォントーレスを見た。何を言っているのだろう。
フォントーレスは、今度はにこやかにシロリオを見た。まるで、先程の言い合いは無かったかのように。
「実は、これからお話する事は、我々森の民にとって、とても重大な事案でありまして、余程信頼に足る人物で無いと軽々しく打ち明かす事は出来無いのです」
フォントーレスがシロリオにもう一度座るように促した。
「ですので、いかに公爵殿が推薦する人物と言えど、そのまま受け入れ難いものがありまして……」
「試されていたという事ですか」
随分と下に見られたものだ。シロリオは、気持ちの収め所を失っていた。
「それは、公爵様自身も信用していなかったという事になりますよ」
シロリオが面白く無さそうに座り込むと、フォントーレスは、片手を上げてヒラヒラと振った。
「いやいや、そんなに大袈裟に受け止めないで頂きたい。森の民と人間とは、今まで交流を持つ事さえ滅多に無かったものなので、素直に受け入れ難いものです。この気持ちは、あなたにもお分かりでしょう」
どうも、喋り方が人間臭い。
シロリオは、改めてフォントーレスを見た。
シロリオ自身も森の民と話す事は初めてだった為、森の民の仕草、話し方等が普通はどういうものかは知らなかったが、それにしても、ただの人間と話している感覚があって、何か違和感がある。
「言葉がお上手ですね」
とにかく、これから行動を共にするのなら、フォントーレスがどういう人物なのかを知らなければならない。
公爵は、既に結論が出ているようだ。という事は、この話から逃れられる事は出来無い。
何でもかんでも否定するのは簡単だが、それでは話が進まないのは、シロリオも経験している。
フォントーレスもシロリオの言葉にひとつ山を越えたものを感じていた。
相手の事を探ろうという態度は、相手を受け入れる可能性が芽生えた事を表している。
「私は、若い頃からあなた方シェザールとの交渉役を務めて来ましたので、言葉に不自由は無いと思っています。ですが、もし、分かりにくい所があれば、遠慮無く言って下さい」
恐らく、フォントーレスは森の民の指導者一族の一員なのであろう。
森の民は、一部の指導者層が全ての権限を握っている。他民族との調整も然り。
森の民には、支配欲が無い。自分達の生活圏の外の事には興味が無いし、口出ししない。
しかし、安全な生活を送る為には、他民族と境界を決めて互いの領域を決める必要がある。
その中でも最も問題が多いのがシェザール相手の交渉だ。
それなりの人材を用意しなければ、良いように扱われてしまう。
つまり、目の前に立っている男は、森の民でも切れ者の方だという事になる。
シロリオは、少し不安を感じた。
そのような者を相手にするのに、自分で良いのか。
公爵に認めてもらえたのは素直に嬉しいが、この相手と同格の対応をするには役不足ではないか。
「さて、早速本題に入りたいと思います」
フォントーレスは、相変わらず立ったまま、シロリオの向かいにある長椅子の背もたれに手をかけて話し始めた。
「先程の話にもありましたように、我々森の民とあなた方シェザールとの間には、まだ友好的とは言えない大きな隔たりが広がっています」
随分遠回しな言い方をするな。シロリオは、頷いて同意を示した。
「ですが、この度、その隔たりなど問題にもならない事が起きたのです。それが、私がここにいる理由なのです」
「……我々が手を組まなければならなくなる程の事ですか」
フォントーレスは、両手で長椅子の背を強く掴み、大きく頷いた。
「始まりは、四百年前の事件に遡ります。私達は、それを『レフルスの悪夢』と呼んでいます」