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死妃の娘  作者: はかはか
第三章 魔都トラ=イハイム
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魔都トラ=イハイム その3

 スーシェルは、闇に沈むトラ=イハイムに目を向けていた。

 夜も更けたというのに、まだ王宮や大聖堂等には幾つかの灯りが浮かんでいる。

 生暖かい夜風が頬をで、昼間に熱を持った下草の青い匂いが鼻をくすぐる。


 ユイナは、今どこにいるのだろう。

 スーシェルは、心細げに街の灯りを見詰めていた。

 あの街にユイナひとりで行かせて良かったのだろうか。

 いつもなら、ユイナだけでは無くモアミが一緒についているのだが、今回ばかりは仕方が無かった。

 それだけに、スーシェルは不安でならない。

 メルの病状とモアミの雰囲気、森の民の動向。全てが予測不能である限り、スーシェルに安心の時は訪れない。

 ここで、ユイナに何かあったら……。


 夜風がスーシェルの髪を乱す。

 スーシェルは、片手で髪を押さえながらじっと前を見ていた。


「このような夜中に女性ひとりで出歩くのは危険だ。気を付けなさい」


 男の声がして、スーシェルは振り向いた。

 そこには、小柄な中年男性が立っていた。シェザールの政府高官を表す銀で作られたラメの香木の胸章を付けている。

 ふたりから離れた所には、完全装備の警備兵が三人立っている。


「あの者達は気にする事は無い。余計な邪魔立てはしないようしつけてある」

 男は、スーシェルを怖がらせないように優し気に言った。


 スーシェルは、慌てて膝をついて頭を垂れた。

 シェザールの高官相手に立ったままでは非礼に値する。


 すると、男は片手を振って言った。

「いやいや。そんな事をする必要は無い。逆に、私としてはそなたにそのまま立っていて欲しいのだ」


「どういう事ですか?」

 スーシェルは、男を見上げた。


「率直に言わせてもらえば、そなたの立ち姿に興味を覚えたという事だ」

 男は、そう言ってひとつ咳をした。

「何と言うか、その気品のある姿に惹かれてしまったのだ」


 スーシェルは、その言葉に戸惑ってしまった。

 言われる方としては嬉しいのだが、その言葉の裏に何が隠されているのか。


「おっと。言い方が悪かったなか。別に私はそなたをどうこうしようという訳では無いのだ。ただ……、その見すぼらしいレフルス風の服装を着ている女性にしては、放たれる品がそこらの下々の民とは違うなと思ったのだよ」


 男は、スーシェルが気を悪くしないように言葉を選んでいた。

 話し方も落ち着いて、単語も貴族層が使う上位シェザール語を使っている。只の若い女性に使うようなものでは無い。

 スーシェルは、男のその姿勢に好意を抱いた。


「これでも、私も長年様々な人を見て来たのだからな。人を見る目はあると思っている」

 そう言いながら、男はスーシェルに近付き、スーシェルの腕を支えながら立たせた。

「ほら、どうだろう。そなたはまるで、生き物をも近寄らせぬカムレイの高地に一輪咲く花のように他を寄せ付けぬ力を持っている。……まあ、これは、私の勝手な思い込みだがな。しかし、人が造る物に見る者の心を動かす力があるのと同じように、人自身にも人の心を動かす力がある。その力がそなたに備わっているような気がするのだよ」


 そんな事を言われた事が無かったスーシェルは、自信を持って語る男に気圧されていた。


「はは……。初めて会った他人にこんな事言われても動揺するだけだろうな。しかし、私には、どうしてもそなたが只の人間には見えないのだよ。まるで、そなたはこの世界の運命を担っている重要な人物かのような雰囲気をまとっているのだ」


 スーシェルは驚いた。

 この男は、勘でスーシェルの性質を感じ取っている。

 そんなに鋭い人間がこの世にいるのか。


「いやいや、突然こんな事を言われてもびっくりだな。他人の戯言ざれごとだと思って聞き流してくれ」


「……」


「トラ=イハイムに行くのかね?」


「はい」


「そうか」

 男は、視線をトラ=イハイムに向けた。

「何とも大きな街だがな。心から安心だとも言えない所でもある。しかし、それでも、他よりはマシだが……」


「トラ=イハイムが安全では無いと?」

 スーシェルは、首を傾げて聞いた。


 男は、肩をすくめてまたスーシェルを見た。

「三回も落とされた街が安心だと思うか? 人間は欲望にまみれた生き物だ。欲望を引き寄せるものは、それだけで危険だよ」


 スーシェルは、何となく頷いた。

 どうも、政府高官とは思えない発言をする。

「意外なお言葉ですね」


「私がか? ふふ、そうかもしれん。別にあそこに住みたくて住んでいる訳では無いからな」


「ですが、街を守るのがお仕事では?」


「仕事か……。将軍や兵士だったらそうなのだが……。私は、いてもいなくても構わない存在だからな」


「そのようなお仕事があるのですか?」


「ふ……。今の雇い人は妙なお方でな。私が好き勝手に世界の謎を調べていればそれで良いらしいのだ」


 スーシェルには、初めて耳にする話だった。

 自分の好きに生きるだけで生活できるなんてあるのだろうか。


「私には、想像も出来無い事です。私は、ずっと色々な所を回って来ました。恐らくこれからもそうだと思います。それが私の運命なんだと思っていますので……」


「……見たまえ。あの光を」

 男は話を変え、トラ=イハイムに浮かぶ灯りを見詰めた。

「あそこには、この世界で最も多くの人々が住んでいる。あそこには、数千数万の人間がいて、同じ数の人生が複雑に交錯こうさくしている。これだけ、多くの人間が交わっているのだ。時にはぶつかり、時には離れ去ってしまう事はざらにある。それをうだうだ言ってもどうしようもないのだが、人間というのは、それを運命と名付けて、さも意味があるかのように考えてしまう。全てが単なる偶然の産物に過ぎないと言うのに……」


「……」


「運命というのは、人間の思い込みに過ぎないのだよ。それを見通す事は出来無いし、操る事も出来無い。ましてや、ひとつの出来事の運不運なんて心の持ちようでどうとでもなる」


 スーシェルは男を見た。

 この世界では珍しい主張である。

 戦争や疫病、農産物の不作等で簡単に命が奪われる時代だ。先の見えない人生に疲れて何かにすがって心の平安を得ようとするのは無理は無い。だから、人々は超越した力を信じたがるし、様々な神々が存在する。

 しかし、男はそれをあっさりとこき下ろしている。


「そなたも、運命の言葉ひとつで一生が決まるのは面白く無いとは思わないか? 全ては、その場その場の判断で変わって来る。私がここでそなたに会えたのも、単なる偶然に過ぎない。それを後になって、何かの運命だと言われても、私は戸惑うだけだ」


「はい」

 スーシェルは、頷いて男に笑顔を見せた。


 男もスーシェルを見て笑って頭の上を指差した。

「神様も大変だよ。我が儘な人間共の相手をしなければならないのだからな。いっそ、人間なんていなくなってしまえと思わないかな?」


 スーシェルは、ふっと笑みを見せた。

 男の諧謔かいぎゃくに共鳴していた。

「私はそうは思いませんわ」

 しかし、スーシェルは一応反論した。


「ほお?」


「きっと神様はこう思っておられると思います。人間達はたかが五十年や六十年の時間の中でよくもあんなに一生懸命に生きているものだ。ならば、願いの百や二百は叶えてやってもいいだろう、と」


「ほ……。あっはっはっはっ」

 スーシェルの言葉に男は大笑いした。

「何と、そなたの神はどうやら心優しきものらしいな。それは、良かったの。あっはっは」

 この娘はなかなか頭が良い。

 男は、気持ち良く笑えた。


「閣下。もうそろそろ……」

 その時、警備兵が男に声を掛けた。


「おお、そうだな。明日も早いしな……」

 男がスーシェルを見ると、スーシェルは再びその場にひざまずいて頭を下げた。

「そなたの邪魔をして悪かった。もう少し話をしていたかったが、私も忙しい身でな。再度伝えるが、ひとりで出歩く時は気を付けよ。王都の近くには異獣が徘徊しているし、大将軍の命を奪った悪い輩に出くわさないとも限らないからな」


「はい。お心遣いありがとうございます」

 スーシェルは、軽く頷いた。


「おお、そうだ。もし、何か事があれば、副総督ラプトマッシャルの名を出すがよい。そなたとは、何かのえにしを感じてならないからな」


「運命は信じないのではなかったのですか?」

 スーシェルは、顔を上げて意地悪顔をして見せた。


「お、おお。あっはっは。これは一本取られたな。なかなか頭の回転が早いと見える。はあっはっはっ」


 スーシェルは、そう言って愉快そうに去って行くラプトマッシャルの背中を見詰めていた。

 あれがラプトマッシャル……。奇人変人の呼び声高いがスカル世界第一の物知りで知られる男。

 古今東西の文物を強引に奪い去り、寝る時間も惜しんでは古文書を舐め回すように解読し、疫病で亡くなった遺体も恐れもせずに調べ尽くす男。


 まさか、このような所で会うとは……。

 今、会話を交わした相手が竜の子だと知れば、どんな顔をするだろうか。


 ラプトマッシャルはああ言ったが、スーシェルは、この出会いに狐神の織りなす琴線の綾を感じずにはいられなかった。


「あら。そう言えば、私の名前を聞かなかったわね」

 スーシェルは、小さく呟いて笑った。

 名前も知らないのに、どうやって私を助けるつもりかしら。

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