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死妃の娘  作者: はかはか
第三章 魔都トラ=イハイム
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魔都トラ=イハイム その1

 薄曇りの空の下にその都は横たわっていた。

 まるで、これから好きに始末してもらいたいという風に。


 海に面した丘に背の高い王宮がそびえ立つ。

 イーア山脈産出の白銀に反射する岩石が陽に輝き、フィリア平原に威容を轟かしている。

 丘の側面には、這いつくばるように貴族の邸宅が立ち並び、その足元の広大な平面に大小の建物が密集している。

 所々、家屋から頭ひとつ抜けて立つのは、宗教施設や大商人の館である。

 その統一感の無い街並みからは、急ごしらえの感じがにじみ出ていた。


 スカル世界の財とナパ=ルタの財を結び付ける膨大な世界貿易の凝縮点であり、大国シェザールの支えであり、人類がこの世界に刻み込んだ最大最高の芸術作品である。


 スーシェルは、遠くに見えるトラ=イハイムの威容を眺めていた。

 季節は春を過ぎ、夏到来を予期させるばかりに足元に緑の絨毯が広がっている。

 太陽神は天頂に輝き、大地の生き物達に溢れんばかりの熱量を届けている。

 スーシェルが立つのは、トラ=イハイムを遠望出来る小高い丘の上である。そこにささやかな集落があり、ここでスーシェル達は一夜の宿を求める事にした。

 彼女達は、長い旅の終わりが近付き、新たな戦いへの準備を必要としていた。


 あそこが……。

 かつて、双子の妹と共に生まれた場所。

 歴史に残る大きな戦いが三度も行われた場所。

 始めに、レフルスが攻め落とし、次に森の民が攻め落とし、そしてようやくシェザールが奪還した巨大都市。

 スーシェルは陽の光を遮り、トラ=イハイムを遠望した。


 スーシェルの記憶にもさほど残っていないが、メルの胸に抱かれながら、恐怖心に襲われていたメルの心を全身に浴びていたのは朧気おぼろげながら思い出す。

 だから、別に生まれ故郷に戻って来たという安堵感は無い。逆に、シェザールの手に戻っているだけに、この街と自分の繋がりを求められても戸惑うばかりである。


 潮の匂いを乗せた海風がスーシェルの髪をなびかせる。

 懐かしい匂い……。

 かつて、海沿いの村に住んでいた頃、自分の出自に悩んでいた事があった。

 竜の血を受け継ぎし呪われた存在。竜族にもなり切れず、人間にもなり切れない中途半端な生き物。森の民に追われし運命で、穏やかな日々など予想だに出来無い人生。

 全てが吹っ切れたとは言わない。

 只、今は、メルを守り、ユイナとモアミを守る事が自分の使命だと自分自身に言い聞かせている。

 先の見えない将来を考えるよりも、まずは四人の生活を先に考える方を優先した。

 そうでもしないと、おかしくなりそうだった。


 スーシェルの耳に軽い足音が聞こえて来た。

 すぐ横に並んだユイナが腕組みをする。

「……罠だと思う?」

 ユイナが囁くように言った。


 スーシェルは、その言葉に目を細めてトラ=イハイムを凝視した。


 バイユの言葉を信じてここまで来たものの、道すがら耳にした噂がふたりを悩ませていたのだ。

『トラ=イハイムに森の民がいる』

 それは、周辺民族にとっても、シェザールにとっても驚愕の話だった為、他者と交わりを持たないようにしていたスーシェル達の耳にも容易に届いた情報だった。

 宿でも飲食店でも街道でもこの話題で持ち切りだった。

 シェザールは森の民を拒否し、森の民はシェザールを拒否し続けて来た。その戦いの記憶は忘れようにも忘れられない。

 両者の破壊と騒乱の為に、スカル世界に平穏が訪れた試しは無かった。

 当然、この話を聞いたほぼ全員が信じようとはしなかった。

 シェザールと森の民の関係を知っている者からしたら、天地が引っくり返っても有り得ない事だった。長い人類の歴史の中でも、双方の間は戦いの歴史のみで彩られていて、歩み寄る隙間など髪の毛一筋程も無かった筈なのだ。


 しかし、スーシェル達だけは、その話を無下に聞き逃す訳にはいかなかった。

 スーシェル達も信じ難い事ではあったが、森の民が自分達に対して見せた執念を考えるなら有り得ない事でも無い。

 あの魔術師なら、自分達がトラ=イハイムに向かうのに気付くのは簡単だった筈だ。

 これまで人の目を避けて生活していたスーシェル達だったが、いざその条件を取り外すと、森の民や異獣に対して守りの堅いシェザールの町は、彼女達が森の民の襲撃から逃れる為には最も適した場所だった。ましてや、天下のトラ=イハイムである。その中に逃げ込まれては、いかに森の民や異獣と言えども手を出す事は困難になる。

 パオモ山での被害から立ち直るには時間が掛かる為、トラ=イハイムへの道中にスーシェル達を襲うのは難しい。ならばいっその事、断腸の思いでシェザールと手を組むか。

 それ程まで、自分達は憎まれているのか。

 こうまでして、存在を否定される事なんてあるのだろうか。

 スーシェルは、前途に待ち受けているであろう戦いの激しさよりも、他者に嫌われているという精神的な苦しみの方を辛く感じていた。

「罠でも……、全て跳ね返すしか無いわ」

 スーシェルは静かに、しかし断固として呟いた。

 先行き、何が待ち受けるとしても、今はメルを救う事を第一にしなければならない。その為には、全力を尽くす。


 スーシェルのその言葉を聞いて、ユイナは頬が緩んだ。

 スケープを失ったモアミは、精神状態がいつも通りで無いのは見れば分かる。戦いにおいてはモアミの力は、これ以上無い程心強いものだが、最近のモアミの戦い方は危うい匂いがしてならない。いつもなら、相手の力に合わせた巧みな戦いをするのだが、スケープの亡き後は、常に全力を出し尽くして余力を残さない戦いをするようになっていた。しかも、防御を考えずに攻撃一辺倒の姿勢である。まるで、早くスケープの元に行きたいとでも言うかのように。

 自分ひとりでは、森の民や異獣の襲撃を跳ね返しながら魔術師を探すのは難しい。だからと言って、今のモアミは頼るには不安が付きまとっていた。

 となると、頼る相手はひとりしかいない。

「スーねえがその気で安心した」


 ユイナの上目遣いの表情を見て、スーシェルが笑みを見せる。

「まずは四人の生活を元に戻さないとね」


「うん……」


 ユイナの浮かない返事にスーシェルは怪訝けげんな表情をした。

「どうしたの?」


「うん。あの子の事なんだけどね……」

 ユイナは、視線を後ろにやる素振りを見せた。


「モアちゃんね」


 ユイナは軽く頷いた。

「あの子……。あれ以来分からなくなっちゃって……」


「そうね。ちょっと心配ね」

 ユイナの言いたい事は、スーシェルにも良く理解出来た。

 スケープを失って以来、モアミはみんなに対して心を塞いでいる。

 別に反発しているとか、見た目塞ぎ込んでいるという訳では無い。他の三人に協力的であるし、受け答えも普通にしている。

 只、以前のような天真爛漫てんしんらんまんで開放的な明るさが見られなくなっていた。かつては、『陽』の気質に満たされていたのに、今では『陰』の重い泥濘ぬかるみに足を取られてしまっているようだ。深い悲しみを我慢の蓋で押し隠して、決壊しようとするのをギリギリで防いでいる感じがする。

「……まずは、メルの体を治す事が先決だわ。モアちゃんには悪いけど、後回しにしないとね」


 ユイナもスーシェルを見て頷いた。

 今は、モアミを立ち直らせる事よりもメルの病気を治す方が優先する。

「あの子は大丈夫。そんなに簡単にへこたれやしないわ」

 ユイナは、自分に言い聞かせるように呟いた。


「そうね……」

 スーシェルもユイナを見て軽く微笑んだが、一抹の不安を拭い去れない心配は残った。それは、ユイナも同じだろうと感じている。

「でも、私も気を付けるけど、ユイちゃんもモアちゃんを気に掛けていてね」


 それは、ユイナも言われなくてもそのつもりでいた。

 モアミは、ユイナにとっては大切な妹である。モアミの苦しみは痛い程良く分かるだけに、何も出来無い自分が歯痒くて仕様が無かった。


「陽が暮れてから行くの?」

 スーシェルは前を向くと話を変えた。


「うん……」


 シェザールと森の民の噂を聞いてしまった以上、トラ=イハイムで何が待ち受けるか確認しなければならない。無闇に突っ込むのは危険過ぎる。

 まずは、三人に先行してユイナが夜中にトラ=イハイムに忍び込んで様子を見る事にした。

 もし、森の民がトラ=イハイムに入り込んでいるのが本当なら追われる恐れがあるが、四人で追われるよりもユイナひとりなら簡単に逃げ延びる事が出来るという判断をしたのだ。


「無茶はしないでね」

 スーシェルは、真剣な眼差しでユイナに言った。

 スーシェルにとっても、今となってはユイナしか頼れる者はいない。ユイナが下手をして捕まってしまえば、その時こそメルを救えなくなってしまう。


「大丈夫よ。私に任せておいて」

 ユイナは、笑顔で握り拳を作って見せた。


 しかし、そうは言ってもスーシェルの不安は消えない。

 遠くに見える巨大都市には、様々な民族がひしめき合っている。

 この、戦乱の絶えない不安定な時代、少しでも安全に生活出来る場所があれば、そこに人々が殺到するのは当然の話だ。

 地方の町や村とは違い、そこでは何でも起こり得る。

 今までスーシェル達が経験した事が無かった人口密集地帯。森の民や異獣がいなくても、人間自身も恐ろしい存在だ。幾らユイナでも初めてのトラ=イハイムでは勝手が違う筈だ。

「もし、ちょっとでもおかしな事があったら、すぐに出て来るのよ」


「もう、スーねえは心配性なんだから」

 ユイナは、スーシェルの不安気な表情を楽しむかのように笑った。


「だって、そんな事言っても、ユイちゃんをひとりであそこにやるのは心配なんだからね」

 スーシェルは、まるで駄々っ子のようにふくれ面をユイナに見せた。

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