【導入部】
赤月が生まれるよりも、さらに以前の話……。
まだ、天と地の境が曖昧として、光と影が混然一体と織りなし、生き物に形有るか無きかの頃である。
薄暗闇の靄のかかる中で、竜と狐が天とも地とも定まらぬ空間を上になり下になり、仲良くあり、戦い合っていた時の事。
まだ意識明らかならぬ時なれば、竜も狐も角突き合わせる事無かった所、次第に明暗の区別が整って来るに従い、相手より上手を取ろうという意識が生まれ出でて来るに至った。
竜は、世界を照らす玉を作り、目の届く限り世界を明るくした。
狐は、世界を暗くする玉を作り、目の届く世界を無くした。
双方相争い、竜は狐の毛を深く刻むべく鋭い爪を持ち、狐は、竜の長い胴を食い潰す鋭い歯を並べた。
竜は、暗闇に潜む生き物を吹き飛ばす大嵐を生み、狐は、太陽を遮る雨雲を作った。
双方相争い、竜は狐を丸焼きにする炎を取り込み、狐は、竜を惑わす素早さを身に付けた。
竜は、狐の居場所を把握すべく大空を棲み家にし、狐は、竜の喉を食い裂くべく大地を棲み家にした。
双方相争い、竜は死の時には雲と雷の陰に消え、狐は死の時には深き森と谷の狭間に消えた。
竜と狐の争いにより、昼と夜の区別が生まれ、大気は澄み渡り、大地は肥え、多くの生き物の命を生み育む事になった。
再び、両者が相争う事になれば、世界は再び混乱に陥るだろう。
その為、竜は森の民を作り、狐は人間を作り、己が代わりに戦わせる事にした。
(『狐神口伝 ~序~』より)