雨中の戦い その17
「くっくっく。さすが、シーラー=スーシェルだな。よくぞ分かったな」
魔術師は、幾重にも刻まれた皺を変形させてスーシェルを見詰めた。
「如何にも。私は、森の民の魔術師フォンカイナグだ。覚えておいて頂きたい」
「誰が覚えるかっ」
ユイナが吐き捨てるように言った。
「メルに何をした!」
モアミは、スーシェルに押さえられながら叫んだ。
「まあまあ、そんなにいきり立つもので無い。スーシェルが言う通り、お前達の力では、私に指一本触れる事が出来無いのだからな」
フォンカイナグは、穏やかに言った。
「……それにしても、よくひと目で私が魔術師だと分かったな」
「前に一度会った事があるの」
「一度……」
「そう。私が困っている時に偶然通りかかったの。その魔術師さんは、とても優しい人で私を助けてくれたのよ」
スーシェルは、正面からフォンカイナグを見据えている。
「その魔術師と一度会っただけで私が魔術師だと看破したというのか?」
スーシェルは無言で同意した。
「これは……、恐れ入ったな。たった一度会っただけで見破るとはな……」
「どうして、あなたは私達にこんな事するの?」
「うん?」
「その人に聞いたのよ。魔術師は魔術師であって、属している種族には関係無く魔術師の決まり事にだけ縛られている、と」
スーシェルの目付きはいよいよ鋭くなった。
「それなのに、あなたは魔術師なのに、森の民がこだわる四百年前の出来事に同じように引きずられている。矛盾していると思わないの?」
「ふむ……、確かにそうだな」
スーシェルの言葉に、フォンカイナグは少しニヤケながら顎をさすった。
「流石はスーシェルだな。どんな時でも冷静さを失わない」
フォンカイナグが楽しそうにひとつ咳をした。
「その言葉に嘘偽りは無い。但し、その決まり事には条件がひとつあるのだ」
「条件?」
スーシェルが静かな声で問うた。
「それは、己の属している集団を裏切らないという条件がな……」
「意味無いわね」
ユイナが突っ込むと、フォンカイナグはユイナを睨み付けた。
「魔術師を馬鹿にするでない」
声に力が入る。
「魔術師にも確たる長い歴史があるのだ。国と国を渡り歩く商人や芸人も同じように、この世界に生きる者は、生まれ育った祖国との関係を完全に断ち切る訳にはいかないのだ」
「どうして? 魔術師は精神を鍛えると聞いているわよ。魔術師になるには、親子の縁も断ち切ると聞くわ。血の繋がりは捨てられても、たかが故郷のしがらみからは逃れられないの?」
故郷というものを持たない三人である。ユイナには、その感覚が分からない。
「魔術師というのは、魔力を使う。この魔力は、厄介な代物でな。下手をすれば、こちらが魔力に取り込まれる恐れがある。だから、魔力を操るのには強固な精神力を必要とするのだが、それは無闇に鍛えられるものでは無いのだ。魔力に囚われない心を持つには、魔力の魅力に打ち勝つ別の強い結び付きを必要とする。つまり、ひとつでも魔力よりも強く忘れ難い存在があれば、例え魔力に襲われたとしても完全に支配されずに済むのだよ。それが、我々にとって何か。分かるだろう? 一個の生き物にとって、父母の愛情、兄弟の結び、生まれ故郷の景色……。それらは、成長するにあたって、自己の精神の基礎を形作っている。このスカル世界と分かち難い繋がりがあれば、それを頼りに戻って来る事が出来るのだ。誰しも幼き頃の記憶からは逃れられない。それが我々を救うのだよ」
「でも、親子の縁を切るのよね。それはどう関係するのよ」
ユイナは、言いながらフォンカイナグを注視している。相手に隙があれば、いつでも襲い掛かろうという腹だ。
「勘違いしてもらっては困るな。親子の縁を切るというのは後ろ向きなものじゃないのだ。魔術師という世界に身を置く事になれば、この親子の関係から超越した立場になるのは当たり前じゃないか。それは、親や子を捨てるという事では無く、ひとつ上の世界から親や子が住むこの世界の理を守って行くという事なのだ。自然と俗世界の繋がりから身を離す事になるが、捨てた訳では無いのだよ」
「そう……。私達のせいであなたの基盤である森の民が消えてしまわないように、森の民の敵である私達を襲うのね」
スーシェルが言う。
「そう言う事だ。理解したかね」
その答えにユイナとモアミが剣を構えた。
「ならば、あなたは私達に殺されても文句は言えないわね」
ユイナが冷徹な台詞を吐いた。
モアミが無表情に狙いを定める。
「まあ、待て」
フォンカイナグは、両手を上げてふたりを制した。
「そんな事をしても無駄だ」
「何が無駄なの?」
スーシェルが聞く。
「何故なら、私はここにいないからだ」
「待って」
その言葉を聞いて、スーシェルは再度ユイナとモアミを止めた。
言われなくても、ふたり共剣を下ろしていた。
魔術師の技のひとつに『写し身の術』がある。
本体は遠くの場所にいて、姿形の像だけその場に送り込むというものである。
この魔術師がその術を使っているのなら、今目にしているのは幻影に過ぎない。攻撃しても無意味なだけだ。
この写し身の術は、能力によって幻影を送り込める距離は変わるが、最も強い魔術師でも一日以上離れるのは難しいという。
ならば、フォンカイナグはそれ程遠くにいる訳でも無い。
モアミが異獣を片付けた為、この魔術師が出て来た。異獣で始末出来無い為、わざわざ魔術師が出張って来た。理屈は合う。
これ以上、異獣が攻めて来る心配は無さそうね。
スーシェルは、問題がひとつ減った事を知った。
「そうそう。みんな落ち着いて話を聞いてもらいたいね」
フォンカイナグは、可笑しそうに笑みを湛えながら言った。
「聞ける訳無いでしょ。メルをどうしたの?」
ユイナがスーシェルの横で詰問する。
「ふふ……。悪いが、この女には『病の種』を仕込ませてもらった。それもかなり強力なものだ。このまま何もしなければ、この女は病に冒されてやがて死を迎える事になる」
「貴様……」
モアミが憤怒の形相でフォンカイナグを睨む。
「しかし……」と、フォンカイナグは人差し指を見せながら強調した。「お前達が我々フォン一族の元に来れば、ちゃんと『病の種』を解いてやろう。これは本当だ。嘘じゃない」
スーシェルは、悔しさで唇を噛んだ。
一瞬の隙を突かれてしまって、メルが自分達の犠牲にされてしまった。
「いいか。言っておくが、お前達を捕まえたとしても、我々はお前達の命を奪う訳じゃないのだ。安心して我々の元に下るがいい」
「さて、どうだか」
ユイナが冷めた目で言う。
「なんの。実際に我々は、異獣を掻き集めてもレビアン=モアミひとりに手も足も出なかったのだ。そんな相手にどうすればいいと思うかね?」
「あの真っ暗な生き物を使えばいいんじゃない?」
ユイナの指摘にフォンカイナグは眉をひそめた。
「もう、『あれ』は使わない。あれを使うのは大いなる間違いだ」
スーシェルとユイナは、その真意を計れずに見詰め合った。
「魔獣は、危険な生き物だ。そう簡単に使ってはならない」
フォンカイナグは、忌々し気に言った。
「それに、お前達に手を出せば、竜族が黙ってはいない。我々森の民だけでお前達の処分を決める事は出来無いのだ」
「竜族が? どういう事?」
スーシェルが聞いた。
竜族と自分達は、全く接触が無い。逆にほとんど見放された状態である。
竜族は、自分達の事は全く気にしてさえも無いと思っていた。
「詳しくは言えないがな。お前達は、常に竜族の庇護下にあるのだ。あの『夜』のように、竜の子に災難が襲い来れば、竜族が助けの手を差し伸べて来るのだ。だから、安心して我々の元に来ればいい。我々がお前達を殺そうとすれば、竜族はきっとお前達を助けに現われるだろう」
「分からないね。それで私達を捕まえてどうするつもりなの? 一番の目的を果たせないなら、意味無いじゃない」
ユイナの言葉にフォンカイナグは、今度は不快な笑みを見せた。
「そうだ。だから、我々はお前達を竜族に引き渡すのだ。あのオーシャのように、ひと度竜の巣に入れば、いかにお前達と言えども簡単に抜け出る事は不可能だ。その一生を竜の巣で過ごしてくれれば、我々森の民は安泰という訳だ。これが、我々の計画だ。……この女を元に戻すのはその後。お前達を竜族に引き渡してから、元の体に戻す。そうすれば、全て丸く収まるのだ」
「すぐにお前を捕まえてギッタギタにしてやるっ」
それまで黙っていたモアミがフォンカイナグを指差しながら言った。
「今から『そこ』に行くから、覚悟して待ってな」
「はっはっはっ」フォンカイナグは、そんなモアミを見て顔を歪めて笑った。
「その意気は買ってやろう。しかし、どうやって探し出すというのかね。私だって馬鹿じゃない。そんなに簡単に見付かるような事はしない。しかも、私を探して殺したとしても、この女の病が治る訳でも無いのだぞ。逆に永遠に治らなくなってしまう。全くの無駄だ」
フォンカイナグは、掌をひらひらさせて話にもならないという顔をした。
「お前達が取るべき道はひとつしか無いのだ。我々の百頭の異獣を倒したのには驚いたがな、結局、我々が本気を出すと相手にならないという事だよ」
そういうと、フォンカイナグの姿が次第にぼやけて不鮮明になって来た。
「もう一度言おう。私の名は、フォンカイナグ。森の民には、私の名を告げるがいい。そうすれば、すぐに女を救ってやろう」
フォンカイナグの声は次第に聴き取り辛くなり、やがてその場で消え去ってしまった。