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死妃の娘  作者: はかはか
第二章 雨中の戦い
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雨中の戦い その8

 『黒い物体』は、それ程早く移動出来無いようだ。


 スケープは、胸の痛みで不安定な姿勢のユイナを乗せ、泥濘ぬかるみに足を取られないように走っている為、いつもより遅いが、それでも簡単に引き離す事が出来た。


 ユイナはスケープの背の上から、どこか落ち着ける場所が無いか見回していた。

 森の民や異獣に気付かれずにしばらく身を隠せる場所。

 この山については良く知っている。大きな洞窟や小さな洞穴まで記憶している。

「スケープ。ここを左に行って。あっちの方」

 痛みと『黒い物体』を見た衝撃で少し頭が混乱しているが、確かこの近くにちょっとした横穴があった筈だ。奥が深い為、中から入口を塞げば安全だ。


 ユイナはモアミが心配だった。幾らモアミでも百頭の異獣を相手にするのは厳しい。早く、モアミにスケープを返してあげないといけない。

 その焦りと後ろから迫る『黒い物体』への恐れがユイナの周囲への注意を散漫にしてしまっていた。


 突然、スケープが体を逸らせた為、ユイナは対応が取れずにそのまま振り落とされてしまった。

「スケープ!」

 ユイナは、頭から地面に落とされて泥だらけになりながら斜面に両手両足を踏ん張った。

 そこへ、スケープが横倒しになりながら倒れて来る。

「スケープっ」

 ユイナは、両足を踏ん張ってずり落ちて来るスケープの体を押さえた。

「どうしたの?」

 と、スケープを見ると、その巨体に何本かの矢が突き刺さっていた。

「……!」

 ユイナが顔を上げると、樹々の上で何人かの森の民が次の矢をつがえているのが見えた。


 待ち伏せされていた。

 体中を木の葉で迷彩し、簡単には分からないようにしている。


 矢を受けたスケープは、何とか体勢を戻そうともがいている。

 ユイナは、思わず歯噛はがみした。

 スケープは、木の上にいる森の民に気付いてユイナの身を守ろうと自らの体を盾にしたのだ。

 いつもならユイナも気付いていた筈なのに、この天候と先程の出来事で全く分からなかった。

 スケープの胸や腹には深々と矢が立っている。傷口からは大量の血が流れ出し、地面を朱に染めていた。

「スケープ。落ち着いてっ」

 スケープは、舌を出して激しく喘いでいる。最早、走れないだろう。それどころか、このままにしておくと命が危ない。


 森の民は、四、五人はいるだろうか。ユイナは腰の剣に手を伸ばした。

 胸の痛みで満足に戦えないかもしれないが、これ以上走れないスケープを置いて行く訳にはいかない。


 森の民の矢がユイナに照準を合わせた。


 避ける余裕は無い。そんなに体は動かないし、避ければまたスケープに当たってしまう。

剣で全てを弾かなければならない。ユイナは、スケープをかばうように前に出た。


 同時に五本の矢が放たれた。


 ユイナは、全ての軌道を読み取って剣を振るう。

 雨が幸いして、水を斬り裂く矢の音がはっきりと聞き分けられた。

 剣で斬り落とし、剣が間に合わない矢は腕で弾く。

 ユイナのふた振りで五本の矢が全て飛び散った。


 その技を見て、森の民が目を見張った。森の民は狩りの一族だ。その矢の速さは、人間如きに止められるものでは無い。

 竜の子の実力を見た森の民達は、樹上を巧みに飛び回り、今度はユイナとスケープを囲んだ。これなら、さしもの竜の子でも止められまい、と。


 ユイナは、その動きを捉えていたが、先程矢を止めた事で胸に負荷がかかり、非常な痛みを感じていた。

 これでは、木の上の森の民を倒すのも無理だ。


 樹々の葉を叩く雨音の向こうで、再び森の民が矢をつがえる音がユイナの耳に届いた。


 今度はやられる。


 一方向からなら、まだ対応出来たが、後ろからも狙われると剣が間に合わない。


 ユイナは、一瞬スケープを見た。


 森の民が狙っているのは自分だ。スケープでは無い。

 走って逃げようかとも考えた。それなら、スケープから森の民を引き離す事が出来る。

 しかし、満足に走れない自分ではすぐに追い付かれてしまう。第一、スケープを見捨てられない。


 ユイナは、いよいよ覚悟した。

 死ぬならここで死のう。逃げて死ぬよりも戦って潔く死ぬ。


 スーねえ、モア、メル……。ごめんね。


 ユイナは、最期にスケープの首元に手を置いてさすってあげた。

「スケープ、ごめんね。最後にモアに会わせてあげられなくて……」

 ユイナが剣を地面に下げたと同時に弓が放たれた。


 すると、スケープが猛然と巨体を動かして、ユイナの腕を噛み、ユイナの体を一気に空中に放り投げた。


「スケープ!」

 樹上に飛び行く時に体をひねって見たユイナの目には、スケープに深々と五本の矢が突き刺さるのが見えた。

「スケーーープ!」

 長い滞空時間だった。

 ユイナはそのまま森に再突入して、茂みの鋭い枝に体中を洗われながら斜面に激突した。

 なるべく、衝撃を少なくする為に体を丸めていた事で、かなりの距離を転がり落ちて行く。

 やっと、足を踏ん張って止まった時には、スケープから相当離れていた。

 慌てて斜面の上を見ても、すぐに戻れそうにはない。


「スケープ……」

 スケープは、自分の身を顧ずにユイナを救おうとしたのだ。せめて、ユイナを敵から離す為に。


 服はあちこちが裂け、体中切り傷だらけになっている。それでも、ユイナは痛みを感じなかった。スケープに助けられたという感謝と後悔が心を掻き乱していた。


 しかし、このまま立ち止まってはいられなかった。

 森の民はスケープには用は無い。このままユイナを追って来る事は明らかだ。

 この辺りなら、もう自分達の家までそんなに距離は無い。


 家まで戻ればスーシェルがいる。上手く行けば、モアミも戻っているかもしれない。

 ユイナは、胸の痛みを我慢しながら慎重に山を下り始めた。



 十本の矢はスケープの最後の力を奪うのに十分だった。

 しかも、数本は体を貫通して反対側に矢尻が突き出ている。

 血は体を赤黒く染め、命のともしびを削り行く。

 木の上の森の民達は、スケープなど無視してユイナが飛んで行った方を指差して何か叫んでいる。

 幾らスケープが全力で投げたとはいえ、距離的に負えないものでは無い。しかも、ユイナは怪我をしている。追い付けない事は無い。

 スケープは、それをさせじと森の民に向かって口を大きく開いて威嚇し(いかく)したが、唸り声ひとつ上げられなかった。


 森の民達はスケープを見る事無く弓を背中に担ぐと、木を移動しようとした。


 そこへ来たのが、『黒い物体』だった。

 再び、スケープにあの重圧が襲う。

 だが、それだけでは無かった。


 『黒い物体』を見て、森の民達も恐慌状態に襲われてしまったのである。

 ユイナでさえ、逃げ出した不気味な相手である。森の民を襲った恐怖は、それとは比較にならなかった。


 すっかり、森の民達は正気を失っていた。

 ユイナを追い駆ける事も忘れて、慌てて来た方向に逃げ去ってしまったのである。


 『黒い物体』はその森の民が逃げた方向を見て、次に足元に横たわるスケープを見た。

 そして、一瞬ユイナが落ちて行った方を見ていたが、何の反応を見せる事も無く、森の民達が逃げた方へと進んで行ったのである。

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