雨中の戦い その7
雨音が外の気配を消している。
メルは、落ち着かず家の中を歩き回っている。ユイナとモアミのふたりがどうなっているのか心配でたまらない。
「ユイナと一緒ならモアミも無茶はしないと思うわ」とスーシェルは言うが、モアミの性格を楽観視出来無いメルとしては、心穏やかにはなれない。
「遅いわね……」
メルの呟きにスーシェルは心で同意していた。
異獣が数頭くらいなら、ユイナとモアミには容易い事だ。それが、ふたりが出て行ってから既に一刻は経っている。
遅い。とスーシェルも思う。
まさか、ユイナがいて下手な事は無いだろうが、それにしても時間が掛かり過ぎている。
あのふたりをもってしても、そこまで手の掛かる相手だとしたら……。
スーシェルは、部屋の片隅に置いてある剣に目をやった。
家にある武器は、ユイナが毎日丁寧に手入れをしている。
長剣や短剣はもとより、長槍や盾、ユイナがよく使う弓矢等、器用なユイナは、全てを使いこなしている。
モアミは、思い切り振り回す事の出来る剣や槍を好むが、ユイナは、短剣や弓を使った緻密な戦いを選ぶ傾向にある。
スーシェル自身は、『あの日』以来剣を手にしていない。隣家の悲劇に我を忘れて以来……。
それよりも『あの日』の事を覚えていないのだ。
村人を避けて生活していた自分達を温かく迎えてくれて、いつも優しくしてくれた家族が目の前で斬殺された時、スーシェルは記憶を失った。
あの時、スーシェルは怒りや恐れを感じなかった。只、身の内より湧き上がる静かなる冷気が全身を浸して行くのを覚えながら、意識が薄れて行ったのだ。
「スーちゃん……」
メルは、スーシェルが剣の前に佇んでいるのを不安な眼差しで見ていた。
スーシェルがみんなと笑顔でいる時も常に心から笑っていないのは、メルも気付いていた。
ユイナもモアミもそうだった。彼女達は、いつも自分には分からない重りを心に秘めている。只、メルでさえ、その重りの大きさまでは測りかねた。
「あ……」メルに見られている事に気付いて、スーシェルが笑みを見せた。「ユイちゃんとモアちゃんじゃないのにね。私には、剣は使えないのに……」
メルも優しく微笑んだ。
「そうね、スーちゃん。スーちゃんには、剣は必要無いわ。大丈夫。もうすぐふたりは戻って来るわよ」
「……そうね」
その時、スーシェルの心にある光景が伝わって来た。
「?」
「どうしたの? スーちゃん」
メルは、スーシェルの表情の変化に気付いた。
スーシェルの目は宙を漂っていた。
「何かが起きてるの……。大勢の悲鳴と悲しみが伝わって来たの……」
「どこで? 何も聞こえないわよ」
メルも周囲を見渡してみた。
「ここじゃないわ。遠くよ」
そう言うと、スーシェルは足早に家の戸に向かった。
「スーちゃんっ。危ないわよっ」
しかし、スーシェルは構わず戸を開け放った。風に煽られ、雨粒が顔を叩く。
森の木が不気味な音を立てて、黒い轟きが影絵のように唸り声を上げている。
「スーちゃん……」
「大丈夫。今はどこにも異獣はいないみたい」
「どこに行くつもりなの?」
メルは、風に煽られる髪を手で押さえている。
「何かが起きてるの」
スーシェルは相変わらず遠くを見ている。
「それって、森の民? 異獣?」
「いいえ。もっと別の感覚なの。遠くから感じるの」
スーシェルは、暗闇の向こうから訪れる何かを探す仕草をしている。
「大丈夫なの?」
「少し様子を見て来るだけよ。ちょっと待ってて」
スーシェルは、メルに振り返って安心させるように笑い掛けると、外に出て行った。
雨に濡れながら、スーシェルは家の裏にある背の高い一本杉まで走り寄ると、手早く上って行った。
足場が悪く滑りがちだったが、いつものように体の重みを感じずに手足が動く。
それ程、苦労はしなかった。
スーシェルは、地上を歩くのと同じく軽やかに一本杉の頂上まで辿り着いた。
強い風と雨が全身を叩く。頂上は大きくしなって、今にも折れそうな程だったが、スーシェルは構わず先を見た。
風雨に揺られながら山のふもとに目をやると、村がある方角で数多くの炎が上がっているのが見えた。
「村が燃えている……」
村が何かに襲われていた。
こんな天候で村を襲う人間はいない。
スーシェルの視力が炎の中を逃げ回る豆粒のような人々を捉えている。
その人々を追い回すすばしこい影が間を走り回る。
「異獣だわ……」
森の民が村を襲っていた。
「何て事を……」スーシェルは、片手で口を覆った。
スーシェルの目に見える人々は、確実に異獣に襲われて命を落としていた。
村が襲われる理由はひとつしか無かった。
森の民は、スーシェル達の存在を知る者を全て消すつもりだ。
竜の子の存在が明らかになれば、シェザールやレフルスが手を伸ばして来る。森の民としては、余計な邪魔をされたくない。知る者がいなくなれば、ゆっくりと対処出来る。異獣を多くつぎ込んで……。
「ユイちゃん達が危ない……」
スーシェルは、事の重大さをようやく知ったのである。