雨中の戦い その6
一頭一頭確実に仕留める暇は無い。
只、二本の剣を振り回し、襲い来る異獣達を斬りつけて行くだけ。
確実に殺さなくてはいいが、足の一本落とすくらいでは戦闘意欲は失わない相手だ。喉や腹部に大きな損壊を与えなければ、不具合ながらもまた襲って来かねない。
モアミは、群がり来る蟻が描く渦の中心で揉まれる餌だ。
但し、被害を受けるのは蟻の方だが。
「ほらほらほらーっ。そんなんじゃ、あたしを殺すのは無理だよっ」
一頭を足元に倒しても次の異獣が死体の山を越えて来る。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいでしょーっ」
悪態をつきながら戦うと、いつもユイナに注意をされる。
そんな事をしながらじゃ体力を早く消耗するよとか、気が散って上手く戦えないよとか。
だが、モアミ自身は、何か喋りながらでないと落ち着かないのだ。気分を高揚させる為に自らを鼓舞しているようなものだ。
「あんたは、そこで高見の見物ですかーっ」
モアミは、異獣の指揮をしているフォントーレスを見ずに声を上げた。
「ほら見てー。あたしはまだまだ元気ですよーっ」
言いながら、狼獣の巨体を放り投げる。
崖の下に落とす事は出来無い。崖下には、まだユイナとスケープがいるかもしれない。新しい敵を増やす訳にはいかないのだ。
もう三十頭は片付けただろうか。
剣は血で埋まる程赤黒く染まり、刃はボロボロに欠けまくっている。
雨は弱まる気配は無く、逆に顔に弾け、迫り来る異獣を把握するのに苦労する。
足元は雨水と異獣の血がモアミお得意の素早い足さばきを封じる。間断無い異獣の攻撃は剣では追い付かず、半分は素手で対応せざるを得ない。
筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み、神経が追い付かない。
何度か地面に倒れそうになるのをすんでの所で耐え抜いている。
「こいつっ。……顔がキモイんだよっ」
声を出すのもひと苦労になって来た。異獣への打撃も弱くなっている為、倒されても再び起き上がって来る異獣の数が増えている。
モアミの頭をかすめて狼獣が飛び過ぎた。
その頭に当たった狼獣の足でメルにもらった髪飾りが外れてしまった。
「あっ……」
その時のモアミの動きは、フォントーレスの目でも追えない程の瞬発力を見せていた。
異獣達の間を落ちて行く髪飾りに向かって跳躍したモアミは、邪魔な異獣の体を一撃ずつで叩き飛ばし蹴り飛ばし、地面に落ちる寸前の髪飾りを辛うじて掴み取る事に成功した。
「危ないなー」
モアミは、無事に掴み取った髪飾りを大切そうに懐にねじ込むと、何事も無かったかのように異獣との戦いを続け始めた。
竜の子とは、これ程の力を持っていたのか……。
フォントーレスは、眼前で繰り広げられる死闘に釘付けになっていた。
スーシェル達とは幾度と無く戦って来た。それでも今回程の規模では無かった。
スーシェル達は深い森を避け、人間の生活圏の内部を移り住んでいた為、これまでの襲撃もさほど大掛かりなものでは無かったのだ。
それを、今回は百頭近い異獣を用いた計画である。
フィリア平原の真ん中で使う手では無かった。下手をすれば、シェザールに気付かれて、こちらが大きな被害を受ける可能性があった。
その異獣達を無事にこの場まで率いて来た時、フォントーレスが計画の成功を疑わなかったのも無理は無かった。
如何に竜の力を受け継いでいたとしても、所詮人間の体である。それには自ずから限界があるし、体力腕力精神力、何れを取っても異獣の数倍くらいが限界だろうと想像していたのだ。
それが、百頭の異獣である。勝てる筈が無い。
理屈、常識から言って当然の予想だった。
それが、既に三十頭は倒されている。
たったひとりに三十頭である。これが、ふたり揃っていたら、百頭でも足りなかったに違いない。
フォントーレスは、モアミの戦い様を見ながら空恐ろしいものを感じていた。
強靭な異獣が簡単に斬り倒されて行く。その素早い動きを的確に捉え、その大きな体を軽々と跳ね飛ばす。その様子は、まるで四百年前の災難が眼前で再現されているかのようだ。
破格の強さだった。
『この世界の常識』を軽々と超えるその力に、フォントーレスはフォン一族が語り伝えて来た恐怖を生で感じていた。
かつて、一族の大半がその刃の前に命を失ったという。
生き残ったフォン一族の者達は、『森の民五大部族』と称えられた栄光を再臨させる為に血の滲むような苦労を重ねて来た。
そのフォン一族の一員として、フォントーレスも幼い頃より厳しい修練を積んで来たのである。
『全ては、一族の為に』
大丈夫だ。大丈夫だ。
フォントーレスは、自分に言い聞かせていた。
相手はたったひとり。この数なら、いつか体力尽きて異獣の波に揉まれるに違いない。
まずは、モアミを倒し、そして、次に崖下に落ちたユイナを倒す。
残るスーシェルは争いを好まない性格だと聞いている。穏やかに話し合えば、大人しく竜の巣に入ってくれる筈だ。




