知られずの四人 その8
「村長の息子?」
ユイナの鋭い眼差しに、スーシェルは居心地を悪くしていた。
四人が向かい合わせに座る食卓の上には、羊から集めた生き血を入れた皿が三つとメルのささやかな朝食が載っている。
基本的に食事は四人で取るというのがメルの考え方だ。死の子供達として追われている立場にあるスーシェル達に本当の姉妹のような絆を植え付けたいという思いからだった。
「確か、村長の息子って、バイユって言ったよね」
モアミが一番に生き血を飲み干した。
「どういう事なの?」
立て続けに、ユイナがスーシェルに問い質す。
「あのね。朝、薬草を採りに行ったり、木の実を採りに行ったりする時に時々会うのよ。それで、何回かお話をした事あるの」
スーシェルがユイナの表情に注意しながら話す。
「でもね、それだけなのよ。話をしただけ。それも少しの間よ」
スーシェルは、その男との関係がやましいものでは無い事を強調したが、ユイナが問題にしているのはそういう事では無かった。
自分達は、追われている立場にある。常に森の民に付け狙われている状態だ。
その状況では、森の民の手の者がいつどこから現れてもおかしくない。その男が幾ら誠実そうに見えたとしても、敵では無いという保証はどこにも無いのだ。
あのモアミでさえ、まだ警戒心の欠片ぐらいは持ち合わせている。
ユイナは、スーシェルの呑気さに呆れ果てた。
「それは良いとして、『夕べの話』ってどういう事なの?」
ユイナは、スーシェルからメルに視線を向けた。
ユイナに話を振られて、メルはしばし三人を見渡した。
スーシェルはユイナに詰められて大人しくしているし、モアミはどんな話が出て来るか楽し気である。ユイナだけがメルが口にする内容の重大さを予感している。
「そうね……」
メルは、椅子に座り直した。三人の中で一番勘の鋭いユイナに対しては下手な事は言えない。いつも、話す前には気持ちを入れ直すのが無意識の決まり事になっていた。
「実はね。昨日村に行った時に村長さんに呼び止められてね。バイユさんがスーちゃんの事を気に入ったから嫁に貰いたいって言われたのよ」
「えー!」
モアミが血の色で唇の周囲を真っ赤にしながら目を丸くして驚いた。
スーシェルも無言ながら、メルを見ながら固まっている。
ユイナだけが冷静にモアミに布巾を渡しながら、メルに先を促した。
「何回かスーちゃんに会って、気に入ったんですって」
ユイナがスーシェルを見た。
「本人から、その話を聞いた事あるの?」
「いいえ、一度も無かったわ。会う時はいつも簡単な挨拶と村の話だけだったわ」
「スーちゃん、その人好きなのっ?」
モアミが横から興味津々に口を挟む。
「そんな、モアちゃん。まだそんなに知らないのに……」
「えー、ちょっとくらい良い人かな、とか無かったの?」
「モア子」
身を乗り出して聞くモアミにユイナが注意した。
怒られたモアミは、つまらなさそうに椅子に戻った。
「それで、メルは何て返事したの?」
ユイナがまたメルを見る。
「スーちゃんは病気がちで体が弱いから、そういう話は遠慮させてもらってますって言ったわ」
前以て決められていた言い訳だった。
「で、村長は納得したの?」
「納得してないから、スーちゃんに会いに来たんじゃない? ねー」
モアミがやっと布巾で口を拭いた。
「でも、少し野暮ったそうだったけど」と、小さく付け加える。
確かに、村長がメルの言葉に納得していたら、息子を強く説得出来ていただろうに。
ユイナは、メルを見た。
「それでどうするの?」
メルは食卓の上で手を組み、スーシェルに視線を移した。
スーシェルの美貌が周囲の目に引くのは何度かあった。その度毎に四人は立ち止まって来た。
どうすれば三人は幸せになれるのか。
スーシェルの身に起きる事は、何れユイナとモアミの身にも起きる事である。
三人が年頃を迎えた時、このまま逃亡生活を続けていていいのか、それとも結婚して誰かの鞘に収まる方がいいのか。
只、結婚したくらいで見逃してくれる森の民でない事も確かだ。
「女性の幸せを考えるなら……」メルは、ユイナの反応を見ながら言った。「結婚して子供を生んで家族を作るのが一番だと思うわ」
もう、スーシェルはそういう事を考える時期に来ている。ユイナとモアミだって、一般的な結婚年齢を考えると有り得ない話では無い。
「もし……、スーちゃんがバイユさんの事を気に入っているのなら……」
メルは、ユイナを見た。
ユイナは賢い。最近は、メルもユイナの言葉を重きに置いている。
「ユイちゃんは反対なの?」
モアミが無邪気に聞いた。
言われたユイナは、モアミを見た。
メルとスーシェルもユイナに視線を送る。
ユイナも反対する訳では無い。
スーシェルの人生を決めるのは、スーシェル自身だ。スーシェルが自分で選んだ人生を楽しんでくれるのがユイナにとっての喜びでもある。
「……私は、スー姉の決める事に反対はしないわ」
彼女達にとって、この四人以外の人間が中に入って来るなんて考えられなかった。
自分達以外の者は、全て危険視して来た日々。森の民からもレフルスからも、その上、シェザールからも姿を隠さなくてはならない日々。スーシェル達が他人と知り合う事に対して過敏に反応するのは無理も無い事だった。
ユイナの言葉に場が少し和らいだ。
「じゃあ、スーちゃん次第だよね」
モアミが変わらぬ調子でスーシェルを見た。
「スーちゃんがバイユさんの事を気に入っているのなら、反対しないわよ」
メルもスーシェルを見る。
「え? いやいや、全然そういうつもりは無いわよ」
三人を見ながら、スーシェルは両手を振って否定した。
「そうかなあ、わざわざあの人と時間を合わせて会ってたんじゃないの?」
モアミがスーシェルの顔を覗き込むように言う。
「違うわ。私が薬草とか採りに行く所にあの人が来てるのよ。ほんとよ」
スーシェルは全力で否定した。
となると、相手はそれなりに本気だという事になる。
メルは、ユイナの視線に気付いた。
「分かったわ。それでは、村長さんにはスーちゃんにその気が無い事を伝えておくわ。それでいいわね?」
スーシェルは、メルの言葉に頷いた。
「早い方がいいわ。下手にその気になられても困るし」
ユイナが話を打ち切るように結論をまとめた。
「男というのは、自分の物になる可能性があると思ったら後先考えずに行動する生き物だからね。今の内に余計な芽は摘んでおいた方がいいわ」
特に自分達は特殊な状況下にある。人間とのいざこざは避けるに越した事は無い。
「あら。ユイちゃん、分かったように言うね。まるで恋の達人みたい」
モアミがケラケラと茶化すと、少し気恥ずかしかったのか、ユイナは誤魔化すように頭を掻いた。




