疑念 その22
巻物に記されている字は、シロリオも数える程しか目にした事が無い文字である。
「『北の未開の地レフルスにて起こりし騒動について』と書いてあります。そして、ここからありますね……。『彼の地に連れられし人間の死体を使って、不死の兵を作りし森の民』と。そして……、ここから、『森の民は、不死の女より、竜の子らを作る。その竜の子らは、森の民に竜罰を下す。……森の民は、天意によりスカルの地より一層される』。そして、ここです……『ここに至りて、人さらいの噂が減るに至る』」
シロリオには意味が無かったが、ラプトマッシャルがご丁寧にも文字を指で辿りながら訳してくれた。
古代フィリア語を、たどたどしくではあったが、一度も立ち止まる事は無かった。
「……これは、私がフォントーレス殿から聞いた内容とは異なります」
シロリオの静かな告白にラプトマッシャルは目を向けた。
「あなたがフォントーレスから聞いた内容は、恐らく私がロクルーティ公爵から伺った内容と同じでしょう。公爵は、私がこの資料に目を通していたとは知らずに、堂々と森の民から言われた話をそのまま口にしたのです」ここで、ラプトマッシャルはシロリオに忠告するのも忘れなかった。「只、この覚え書きは、あくまで伝聞の域を越えないものだという事はお忘れなく……」
しかし、その内容は、シロリオにとって驚くべきものだった。
「その……、嘘かもしれないという事ですか?」
「さて……、森の民の言い分と第三者の覚え書きと、どちらを信じるべきか。ですが、私としては、この覚え書きの方が真実味があると思っているのですが……」
きっぱりとしたラプトマッシャルの言い方だった。
シロリオは、ラプトマッシャルに体を向けて聞いた。
「その根拠をお聞かせ願いたい」
「ですね……」
ラプトマッシャルは、愛おしそうに巻物の表面をさすった。
「見て下さい、この巻物。当時は、まだまだ紙は高価なもので、おいそれと手に入る代物ではありませんでした。例え、この覚え書きを残した人物が高貴な家柄の方だとしても、それでも個人で手に入れるのは難しかった筈です」
ラプトマッシャルもシロリオに向き直って続ける。
「我々、歴史を紡ぐ者として心しておかなければならない事は、後の世に真実を書き残す事です。何百年も嘘偽りを残してしまうのは、永遠の恥であり、何よりそのような仕事をするのは歴史家として失格なのです」言いながら、ラプトマッシャルは、巻物にもう一度目を落とした。「見て下さい。この流れるような文字。大きさは均等でいささかの乱れもありません。墨の色は、長年の劣化にも耐えて今でも鮮やかで新鮮な色味を見せて、紙質はきめ細かで絶妙に墨が馴染んでいます。これ程まで、選び抜かれた材料を使い、それ相当の目利きと技量を持った人物が残したものです。例え、題名が『覚え書き』だとしても、その中身は己が信じるに足る事物しか選定されていないだろうと思われます」
シロリオは、ラプトマッシャルの歴史家としての自負をひしひしと感じていた。
今までは、単なる物書きとして見ていなかった仕事が、ラプトマッシャルの言葉によって、まるで世界の真実を背負っているかのような大きな存在として浮かんでいた。
シロリオ達は、ラプトマッシャルの変人めいた行動を面白おかしく話題にしていたが、その裏には、彼なりの覚悟が秘められていたのだ。
「だから、私としては、僅か数行ではありますが、ここに書かれている事は見逃してはならないものだと思っているのです」
シロリオは、神妙な面持ちで頷いた。
「誰しも、自分の失敗は隠したいものです。森の民とてそれは同じ事と思います。フォントーレスの言葉もそのまま鵜呑みにしてしまうのは、少々先走ったものではないかと……」
「では、ラプトマッシャル殿なりにこの文書には真実が書かれていると認められている訳ですね」
「左様です」ラプトマッシャルは、声に力を入れた。
「是非、教えて頂きたい」
ラプトマッシャルは、シロリオを一度見て、また巻物に指を差した。
「まず、最初の『彼の地の連れられし人間』と最後の『ここに至りて、人さらいの噂が減る』の部分です。この内容をそのまま読むと、フォントーレスの言うレフルスの部族とは、フィリアの民をさらってレフルスに連れて行った人々からなる集団という事になります」
「フィリアから人間をさらって、レフルスに住まわせたのですか?」
「はい」
「これは……、どうも飛躍があり過ぎるとは思いませんか?」
「いえ、逆に真実味があります」
「どうしてですか?」
ラプトマッシャルは、部屋の壁に掛けられているスカル世界の地図を指差した。
「ご覧ください。我々が住むスカルは、南に大きなナパ=ルタの海が広がっています。当時、人間社会は、その海岸にへばりつくようにして住んでいました。主にフィリアの民ですが。それなのに、どうして、まだまだ未開の、それも密林濃いレフルスにまで、そんなにまとまった部族が住んでいたのでしょうか? 私が思うに、今のレフルスに人が入り込んだのは、それこそ死の子供の事件が起こって、森の民が減少した後からであって、この時はまだ僅かな放浪者しか足を踏み入れていなかったのではないでしょうか。その証拠に、当時の事を書き残した他の古文書でもはっきりと森の民の人さらいに困っているという内容が入っています」
「つまり、死兵は森の民が作ったものであり、その人数を揃える為に人間をレフルスの密林に連れて行き、隔離したと……」
「この巻物は、そう言っています」
「では、今に続くレフルスの死妃とは何なんですか? 人間が編み出した技では無かったら、どうやって今の死妃の娘が生まれたのですか?」
「さあ、そこまでは分かりませんが。ただ、ここには『不死の女より、竜の子を作る』と書いてあります。推測ですが、森の民が何らかの目的で不死の女を作ったのが人間に伝わり、伝統として残ったのではないでしょうか」
「では、竜罰は?」
そこで、ラプトマッシャルは首を傾げた。
「それも分かりません。この内容では、竜罰というのが森の民が受けた『レフルスの悪夢』なのでしょうが、これでは、竜の怒りを受けたのは、死の子供では無くて、森の民になってしまいます。フォントーレスの話では、死の子供が竜族に敵対したと言ってましたが、それなら、どうして森の民が竜罰を受けなければならなかったのか。……何れにせよ、これだけではどうしようもありませんね」
「どう思いますか?」
「……と、言うと?」
「あなたの考える竜罰とは?」
「私のですか……」
ラプトマッシャルは、両手を擦り合わせて神妙な顔付きになった。
「……竜族にとって、森の民は貴重な存在です。森の民は、竜族を神の化身とまで崇めています。竜族がそんな森の民に破滅的な被害を与えるという事。その理由は、私はひとつしか無いと思っています」
「それは?」
「森の民が竜族の滅亡を企んだ……」
「!」
シロリオは、夢から覚めたように大きく息をした。
「いや……、まさかそんな事が……」
森の民が竜族を滅ぼそうとした。それこそ考えられない事だ。
「その理由は?」
「言ったでしょ? 材料が少な過ぎて、どうしようもありません。ですが、森の民が竜から罰を受けるとすれば、それなりの大きな事を仕出かしてしまったと思われます」
「確かに……」
ラプトマッシャルは、シロリオに穏やかな声で語り掛けた。
「この覚え書きのお陰で考えが変わったと思いませんか? 私も先日改めてこの巻物に目を通して、簡単にフォントーレスの話を鵜呑みにするものでは無いと思ったのです。ともかく、我々人間は、森の民と死妃の娘について何も知らなさ過ぎます。この街に入って来てからの森の民の動きも不可解なものを感じざるを得ません。副長殿も一層気を付けられた方がいいと思いますが……」
「……」
ラプトマッシャルの話は、シロリオにとって大き過ぎた。
まるで、シェザールと森の民と死妃の娘がこのトラ=イハイムの街で存亡を賭けた戦いをしているかのような感覚が浮かび上がって来る。
その中で、自分ひとり、何が出来るのだろうか。たかが、警備隊の副長如きが参加出来る代物では無い。
「ご心痛お察しします」
ラプトマッシャルは、初めて親しみのこもった言葉をシロリオに言った。
「ありがとうございます……」シロリオも苦笑を禁じ得ない。「……」そこで、シロリオは、ふと気になって巻物に目を止めた。只、そうは言っても読めないのだが。
「どうかされましたか?」
「先程、『竜の子ら』と言いましたよね?」
「はい。言いました。ここにちゃんと書かれてあります」と、ラプトマッシャルは巻物に指差した。
「竜の子『ら』?」
「ああ、ご存知無かったのですか?」
ラプトマッシャルは、少し笑みを浮かべて言った。
「申し訳ありません。知っているとばかり思っていましたので……」
「何を?」
「竜がどうやって生まれるかです。実は、竜は本来双子で生まれるのが基本になっています」
「双子?」
「はい。双子で生まれた後、生まれたばかりの子供同士が争い、負けた方の竜は崖下に突き落とされるというのです」
「それは……、厳しいですね」
「より強い者を残すという自然界の掟ですね」
「という事は、死の子供は複数いたのですか?」
「さあ、そこまでは私には分かりません。只、テルファム王の娘が双子だという事は、そう言う事なのかもしれませんね」
シロリオは、その時は何気なくラプトマッシャルの言葉を聞いて頷いていた。