疑念 その21
「それより……」
ひとつ咳払いをして、シロリオが続けた。あまり、モアミの事で突っ込まれたくもなかった。
「さっき、死の子供が森の民の手によって作られたと仰られましたが……」
「ええ、そうです。言いました」
ラプトマッシャルは、普段の人懐っこい表情に戻っている。
「それは、私が聞いたのとは違うのですが」
シロリオの言葉にラプトマッシャルは、意味有り気な笑みを返した。
「……フォントーレスから聞いたのですね?」
シロリオが頷くと、ラプトマッシャルは面白そうに両手を擦り合わせた。
「だから、素人は困りますね。真実を究明するのに、どうして一方の主張しか聞かないのですか。しかも、大体の人は、最初に聞いた話を鵜呑みにして、それにすがり付こうとする傾向にあります。悲しい人間の性という奴ですね」
「では、フォントーレス殿の話は嘘だと言うのですか?」
「全くの出任せとまでは言いませんよ。そんな、すぐに嘘がバレる事を言っても意味ありませんからね。ですが、ある程度の情報操作をする事によって、フォントーレスは、あなたから同情を買う事に成功したようですね」
「同情を? 私が彼らに同情する事で何か得をするのですか?」
「勿論」ラプトマッシャルは一度大きく頷いた。「恐らく、フォントーレスはこう話したのでしょう。森の民は、死妃の娘の被害者だ。だから、森の民を守る為に恐ろしい死妃の娘を捕まえなくてはならない」
図星だ。シロリオは、視線を泳がせた。
「その話を信じたあなたは、森の民への敵愾心が緩んでしまい、死妃の娘捜査に力を入れる事になった」
ラプトマッシャルは、シロリオの表情を注視しながら話を進めた。
「その為、あなたは森の民への警戒を怠ってしまっている……」
「私が森の民から目を外した事で、何か不都合が起きていると言いたいのですか?」
シロリオは、思わずラプトマッシャルに突っかかってしまった。
まさか、自分がそのような簡単な方法で森の民に手心を加えていたとは思いたくなかった。
「はい。言いたいのです」
ラプトマッシャルは、あっさりと言い切った。
「これは、まだ総督閣下にしか話していない事ですので何分ご内密にして頂きたいのですが……。実は、森の民がこの街に姿を現してからというもの、街のそこかしこで怪しい人影が見られるという報告が幾度と無く私の元に集まりましてね。ようよう調べてみると、どうやら、それは森の民らしいと言うのですよ。その目的については、まだ調査中なので漠として分からないのですが、普通なら厳重にその行動を把握されなければならない所を、自由に動き回れているというのは、警備隊が森の民の行動をある程度認めているからに他なりません。つまり、死妃の娘捜索の指揮を執っているあなたが率いる国王警備隊が森の民を放任しているが為に、王都警備隊も王宮警備隊も森の民から警戒の目を外してしまっているのです」
ラプトマッシャルは、シロリオの表情を読み取ろうとしている。
「今、この街は、森の民の前に丸裸にされそうになっているのです。隅から隅まで……」
シロリオの背中を冷汗が流れ始めた。
自分の判断ひとつで、トラ=イハイムを危機に陥れているのかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなっていた。
「まあまあ、落ち着いて下さい」シロリオがそわそわし出したのを見て、ラプトマッシャルが片手で押さえるように宥めた。「本筋はこれからなのです。焦るにしても、私の話を聞いてからでないと同じ事の繰り返しになりますよ」
確かに、今慌てて飛び出しても意味は無い。
それよりも、ラプトマッシャルの言うもう一方の主張を聞いてからでも遅くは無い。
森の民の言い分しか聞いていないから、今の状況を見過ごしてしまっているのだ。シロリオは、昂る心を押さえながら半ば浮かせた腰を椅子に戻した。
それを見て、ラプトマッシャルは、案外人の意見を聞く耳は持っているようだな、とシロリオを値踏みした。
この素直な反応、表情に出易い性格、嫌いでは無い。
公爵の犬だと思っていたが、いやいやどうして、噂通り、根は真面目な人間らしいな。
「という訳で……」ラプトマッシャルは、ゆっくりと腰を上げると、シロリオの脇を通って小部屋を出た。「こちらに来て下さい」と、シロリオに手招きする。
「内緒の話は終わりですか?」
シロリオが後に続きながら言った。
「はは……。これからは、別に隠す程の話をする訳でもありませんし……」言いながら、ラプトマッシャルは足元を邪魔する古文書の山を掻き分けながら、体を伸ばして壁の本棚から虫食いだらけの巻物を取り出した。
小部屋の見張りをしていた若者は、シロリオの知らない内に表の部屋に移動している。
「これだ、これだ……」ラプトマッシャルは、その巻物を大事そうに両手で抱えながらシロリオの元に戻った。
「『ラヌ=ザ=サーラス=フェルデュ』。古代フィリア語で『緑の夜の覚え書き』と言います」そこで、ラプトマッシャルはシロリオを見ながら口角を上げた。「昔は、緑色の夜があったんでしょうかねぇ」
題名を見せられてもシロリオには全く読めない。軽く頷いて先を促した。
「およそ四百年前に生きていたフィリアの知識人が残した記録です。当時の四方山事が記されています。知識人と言っても、その頃の人間達は、ナパ=ルタの海の海岸っぺりの僅かな狭い場所にしがみ付く集団でしか無かったので、どれ程の者だったのかは今となっては知る由もありませんが、筆跡から見て、ある程度文字を書くのに慣れていた人間だった事は想像できます。そして、この巻物には、当時スカル世界では知らぬ者がいなかった死の子供事件の事が書かれているのです」言って、ラプトマッシャルはちらりとシロリオの顔を窺った。
「つまり、人間側から見た事件の内容が書いてあるのですね」
「そう……。これが、私が言ったもう一方の主張という訳です」
ラプトマッシャルは、窓から入る太陽光の下、若干の埃舞う部屋の中で巻物を大事に抱えている。
「これこそ、四百年前の事件当時の空気を今に伝える貴重な資料なのです。いいですか? 物事の本質を突き止めるなら、まずは出来るだけ事件の核に迫らないといけません。しかも、これは我々人間側が残した一次資料です。当事者である森の民では残したくないと思われた内容も第三者からすれば関係ありません。勿論、聞き書きの類ですから正確性に欠けると思われますが、今私達が手にする事が出来る中で最も貴重な死の子供の資料になります」
ラプトマッシャルは、近くの机に巻物を置いて丁寧に広げ始めた。