2.小山さんの半生
小山さんは会社経営の父と教師である母の間に生まれた。
子供の頃のしつけは厳しいものだった。
テストでは人より上が求められ、並の点数では教師である母が絶対に許してくれなかった。
母が口を出すのは算数・理科のような勉強科目だけではなく、それ以外の活動についても小山さんに強制した。
「小学生の作文コンクールとか防火ポスター募集とかあるじゃないですか。母は学校勤めなのでそういう情報を持って帰ってきて、僕に片っ端から応募させました。」
たしかに小中学生の頃、掲示板に作文コンクール開催や緑化ポスター大募集などが貼られていた気がする。もちろん私は全く興味もなかったが、小山さんはそれらの常連だったという。
「あれって意外と応募が少なくて、結構楽に賞状とかもらえちゃうんですよ。それが学校に届くので全校朝礼で何度も校長先生から表彰されましたよ。最高で1度の朝礼で4枚もらったことがありました。家に持って帰ると母は喜んでくれました。自分も手伝ったので嬉しいのでしょう。」
学生時代、一度も表彰されたことがない私からすると別世界の話だが、最後の『手伝った』という言葉が引っかかった。
「実は僕あまり絵が上手くないんです。それを応募しても落選してしまうから母が手伝ったんです。教師だったのでちょっと上手い小学生レベルの絵はお手のものでした。」
母との『共同制作』も含めると小学校で貰った賞状はゆうに100枚を超えた。
そして中学校はカトリック系の私立中学校に通うことになった。伝統ある中高一貫だったという。
「そこでちょっとドロップアウトというか……反抗期も重なったこともあって一気に落ちこぼれました。一貫校なので高校受験の心配ないと思って勉強時間を減らすと更に置いて行かれました。」
そのころ出会ったのがソニーのプレイステーションだった。
お年玉で買ったそれは小山さんにとって初めてのゲーム機でもあった。
ゲームなどもってのほかという母の方針で、ファミコン・スーパーファミコンは買ってもらえなかった。同級生がクラスで楽しそうに話すゲームの話題には入れなかった。
小山さんの学力が下位グループになると母親のエネルギーも切れたのか、小学校時代のようにうるさく言われることも少なくなった。
長年の締め付けが外れ、プレステを買った小山さんがゲーマーに変身するまでそれほど程時間はかからなかったという。
「それからは毎日ゲームでしたね、段階を踏まずにいきなりプレステでしょ?学校から帰って夜遅くまでずっとやってましたよ。FF7なんて何度クリアしたのかわかりませんね。」
成績低下中にゲームが加わり、中学部入学時には優等生だった小山さんの成績は、高等部の卒業時には目も当てられないほどになっていた。
大学は一流とはとても呼べない学校になんとか滑りこんだ。合格した時の感想は、これで4年間遊べるぞ!だった。将来の夢なんて何もなかった。
「大学に居た時はもちろんゲームしまくったんだけど、昔のゲームをやっていました。ドラクエ・FFだと1~6全部。プレステ以前に発売された人気作ですね。僕はFFもドラクエも7が初プレイなんですよ。」
結局大学の卒業には4年ではなく5年かかった。同級生に合わせる顔がないので成人式にも出なかったという。
大学卒業時は折しも就職氷河期。同世代は死にそうな顔で就職活動を続けていた。
しかし小山さんは心配しなかったという。
「父が会社をやっていまして、厳しい時期でしたがいろいろな所を紹介してくれました。完全にコネですよね。」
父の紹介で入った会社では面倒な雑用は任されず、比較的ラクな仕事ばかり回された。
コネ採用の特権というべきか。
小山さんは楽が出来て嬉しかったが、仕事のスキルは何も身につかなかった。
会社で覚えたことといえば仕事のサボり方とパチスロだけだったと小山さんは笑う。
その会社は3年で退職。やめた理由はなんとなく。3年働けばとりあえず両親は安心するだろう思った。
それからは定職につかず、ブラブラしていた。
仕事もせず、家で酒を飲みパチスロ雑誌を読む小山さんに、あれだけ厳しかった母はもうなにも言わなかった。
大学卒業後もゲームにハマっていたが、不思議とオンラインゲームには抵抗があった。
「ドラクエ10の前にプレイしたオンラインゲームといえば、ハンゲームの麻雀くらいです。あまり熱中できなかったです。だってあまり勝てなかったから。運だけで勝つ奴がいるのが許せなくて。」
いい加減に働いて!と母に懇願され、しょうがないので父の会社で働くことにした。
「父の会社は居心地が悪いですよ。従業員からはあまり良く思われてないんじゃないかな?
完全に親のコネで入ってきて自分たちより給料もらっているわけですから。
でも仕事はすごく楽です。仕事中にスマホ見て2ちゃんの巡回と動画サイト見ています。充電は朝満タンでも夕方には終わっちゃうのでバッテリー買いました。でもそんなことしなくてもコンセント持ってくればよかったんだなって思いましたね。」
失礼かと思ったが給料を聞くとあっさり教えてくれた。手取りで月にドラクエ10が楽に100本買えるくらいの高給取りだった。
『人に歴史あり、普通の人生なんて存在しない』というが、目の前で生中を喉に流し込む小山さんは間違いなく普通の人生を送っていなかった。