短剣の使い方
戦闘シーンの練習だったはずなんですが……何故か深そうな話になったという。
やあやあと自らを鼓舞する叫び声と、相手を威嚇する怒号の入り混じる戦場で、一人の男が短剣を片手に実に自然体で歩いていた。
その歩きに淀みは無く、その動きに無駄は無く、その表情に緊張はない。革どころか布で作られているのかと思うほどにダボダボでゆったりとした服装に、軽く引っ掛けたサンダル。長く伸ばした髪を見るからに適当と分かるほどに雑に一括りしてある姿。どうにもこの男は戦場にいるということ自体が間違っているような風体で、戦場のど真ん中を闊歩していた。
当然、戦場はそんな男に対してもその命を刈り取らんといくつもの魔の手を伸ばしてくる。だが、振り回される剣を危なげなく受け、突き出された槍を横へずれて躱し、飛び交う矢を余裕を持って掴み、見事なまでの自然体を維持したまま戦場を歩くさまはいっそ劇でも演じているかのように見事であり、一切の攻撃が掠りもしない。
ともすれば、ついでのように向かってきた相手命を刈り取り、武器を掠め取っては投擲し、気まぐれに死体を投げては、他の戦闘をかき乱していく姿がまるで戦場の女神の加護でも受けているのかと言いたくなるような気楽さで、男は悠々歩いて行く。
それに怒りを感じるのは周りで戦っている者達だった。自らの命を曝け出し、奪われるか覚悟をもって薄氷の上を踏むように自らの生を掴まんとする者達にとって、その不真面目といってもいい男の態度は些か以上に鼻についた。
そんな怒りに包まれた一人の兵士が、男に向かって渾身の力で槍を突き出す。槍の切っ先は颶風を断ち、一直線に男へと進んでいく。
「まずは一突き。首をころりと落とす様に」
ぼそりと、男は聞こえるか聞こえないかといった境目の小声でそう呟くと、自分の腹部を狙われて突き出されてくる槍を半歩前に踏み出すことであっさり躱す。
そして流れるように右手に持っていた短剣を突き出して槍を突き出してきた相手の首へと突き入れる。
それはまるで繊細な砂糖菓子の細工が砕けるように――――あっさりと短剣は皮膚を食い破り、内部の筋線維を切り裂いて、敵の首から真っ赤な鮮血を吹きださせた。
動物には血液が通い、人間もその動物のカテゴリにある以上、その首を斬るということは、必然的に柔らかく斬りにくい肉を切らなくてはならない。それをさして重くもない、ともすれば玩具のようにも見えなくない短い刃物一本で頸動脈を正確に掻き切った男の技量は一流といってもいいだろう。
しかし男はその事実に誇るような様子も見せず、手首の返しだけで短剣についた血を払いつつとびずさるようにして後退。理由は簡単。そこが戦場という一対一の戦いの環境などでは無く、相手を殺して自由になった男に対し、すぐさま四つの槍が別々の方向から向かってきたからである。
迫ってくる風切り音を耳で捉えて半ば勘に従う形で後退。迫ってくる槍が到達するまでの間に瞬き一つにも満たないだけの僅かな時間を捻出し、その時間をもって前方を視認。突き出している槍は、長槍が二つに短槍が二つ。今しがた男の作った死体の左右からは短槍を突き出す簡易な鎧を着た兵士の姿が見え、死体の背後からは死体を巻き込むような形で振り下ろしされた長槍を構えている二人の兵士の姿がある。
自分一人に四人での多角同時攻撃など実にご苦労なことだ、と場違いな同情を心に浮かべながら、男は唐突にだらんと下げていた右手を上げる。肘を途中でコンパクトに折りたたみ最小限の動きで持ち上げられた手の中には直前まで握られていた短剣は存在せず、それこそ手品のような唐突さでもって、男から見て右側にいた短槍使いの額に突き刺さっていた。
男が右にいた相手を狙ったことに特に深い意味は無い。ただ、短槍を持った兵士はどちらも右手を前に槍を構えていたので、前に槍を突き出した姿勢のところを自分の右側から攻められたら嫌だろうな、と感じただけだ。
つまり、左側に短槍使いの方が後々に殺しやすいと感じたからこそ右の敵を先に倒しただけなのだが、そのことにあまり意味は無かったかもしれない。というのも、男は投擲しているのとほぼ同時に短槍使いの間合いの内に入っていたし、敵が予備の武器に手を伸ばす前に首に貫手を一つ放って気管を潰したからだ。
息が出来なくなって反射的に槍を取り落す敵。おそらくは首へと手を添えようとしたのだろうと思われるその両手が兵士自身の首元に届く前に、その頭部は鈍い音と共に砕かれた。
いきなりの暴虐。その正体は、先ほど男に向けて振り下ろされた二本の長槍。
同士討ち。まさにそういうしかない様相に、動揺したのはしかし、近場で兵士と相対していた男では無く、長槍を持っていた相手の方だった。
自分たちの振り下ろした槍は、直前まで確かに男へと向かって振り下ろされていたはずなのだ。なのに何故、自分たちの持つ槍の穂先は味方の頭部を砕いているのか、何故、自分たちは味方を殺しているのか。共に連携をこなす仲間への援護の一撃のはずが、仲間を死へと至らしめる文字通りの致命傷となったことで、思考に空白と動きに停滞が生じてしまう。戦場というあらゆる生き物が自らの生を掴もうと必死に動き続ける中、躊躇いと迷いはあらゆる意味での隙となる。
そして戦場では、一瞬の隙が明暗を分けるのだ。
――――――――――――ぎしり
そんな何かと何かが軋りあうような、堅い者同士がぶつかり合ったような甲高い音が周囲の雑音の中に紛れて響く。
音の発生源は槍の穂のついた根元から手の平二つ分ほど離れた場所。
男の手に持った短剣が、槍の柄を斬り落とす形で振り抜かれていた。
「動揺から立ち直るのが遅すぎる」
そうぼそりと呟いた男の手にあるのは、今しがた男の手によって引き起こされた同士討ちによって死んだ兵士の腰に括り付けてあった短剣である。
刃渡りは二の腕ほどもなく、厚みは指一本もないほどの、先ほどまで男の持っていた短剣よりも小さな小刀。重さが無いせいで、刺す以外の用途ではほとんど使えないその武器で、男は大の男が掴むほどの太い柄を切り裂いていた。
擦れあうような軋りの音は長槍が鉄で作られていたからだった。粗悪な鉄でできた槍であったが故に、同じくらい粗悪なつくりをした短剣であっても刃を上手く立てることであっさりと斬ったのだが、それでも衝撃の音を消せるほどには短剣は鋭くなかったのが原因だろう。
そして死体を盾代わりに命を繋いだ男はといえば、振りぬいた短剣を手首の返しだけで兵士の方へと投擲した。先ほどの斬鉄で短剣の刃はいくらか欠けていたが、突き刺す分には切っ先が尖っていれば問題ない。回転もかからずまっすぐに進んだ短剣は、槍を斬られていなかった方の兵士へと向かっていき、水けを含んだ音ともにその顔面に突き立った。
反応する前に顔に刺さった短剣は脳へと到達し、兵士は槍を手放して操り人形の糸が切れたように地面に崩れ落ちる。
確実に敵を殺したことを確認する間もなく男は右の方へと歩き出し、最初に自分の持っていた短剣を突き刺した短槍使いの方へと向かっていく。長槍持ちは、男の眼中にないというような態度に対し、仲間を殺された怒りと共に懐にあった投擲用の短剣を出そうとするが―――
「短剣じゃあ俺を殺せない」
目の端でその一連の動きを確認していた男は、先ほどまで長槍だった穂先を投擲する。強弓から放たれた矢を連想するような速さで飛翔した穂先は見事、兵士の首を射抜き、かつての持ち主の鼓動を止めた。
その一連の動作は実に自然に行われており、身体の重心の動きには迷いや乱れは見られない。まるで、その次に起こることを完全に予期したかのようなタイミングで攻撃を躱し、五秒にも満たない時間をほんの少し動いただけで瞬く間に五人の命を刈り取ったその姿を見て、周囲はようやく理解できた。
これは常識の埒外の存在だと。
己の常識では測ってはいけない、戦場の悪魔だと。
時折、戦場にはこういった者が現れる。圧倒的な実力と、それ以上に理解しがたいほどの異常性をその精神に内包した絶対者が。殺そうとしても殺せず、ただ振り撒かれる災厄の如き存在が。数多の戦士にはどうしようもない、災害とさえ例えられる存在が。
そういった者を殺せるのは数の暴力では無く、同じく戦場に君臨する絶対者だけだということを理解している勘のいい者はすぐさま距離を取り、そこまで状況を理解できていない鈍い者でもまるで腫物にでも触るかのように関わらない様に距離を取っていく。自然、男の周りには空白地帯が出来ていく。
周りで戦っている者達が徐々に距離をとろうとしていく中、対してそんな風に周囲から畏怖されていた男の方はというと、少しばかりの失望を乗せたため息を吐いていた。
実に未熟だった。そんな考えが男の思考を占めていた。
味方に殺されるのは戦場でも多い死に方の一つである。今回に限っては他の数多の例と異なり、長槍持ちの失敗による事故では無い。これは単純に、男が自分を狙って振り下ろされてきた長槍に対し、実に絶妙なタイミングで、巧妙な力加減で短槍使いの腕を自分の方へと引いて、その体を文字通り身代わりにしたことで起こった現象だ。
つまり、二本の槍に狙われた男が動揺しないのも当然といえば当然といえる。その後、動きを止めずに反撃まで加えてきたことに関しても。
水気を含んだ果物のようにあっけなく頭部を爆散させた短槍使いの兵士は実に不幸だったという他はない。そして、味方を砕くことになった二人の兵士は愚かだったというべきだろう。
「次の奴は、少しはまともだといいんだが」
傲慢でもなんでもなく、ただ未熟すぎる者を斬っても男にとっては何の得にすらならないからこそをついて出た言葉。傭兵といて働く以上は、殺す相手はできる限り強く有名な者の方がいい
未だ雛にすらならない相手をいくら斬っても武器が徒に傷むだけである。
「おお、次の奴が来たな」
戦場で出来た空白などすぐに埋まる。その実力に脅威を見てしばらくは退散しても、その猛威を振るい続けなければ、脅威を知らない新たな敵がすぐに向かってくるのだから。
ノコノコとやってきた兵士三人を続く二秒で殺しながら、男は手柄首を求めて再び戦場を歩き出した。
「聞きたいことがあるんだけど」
「あん?」
身の丈を超えるほどの大剣を背負い、何とも人懐こそうな顔をした、全身が血塗れた男が短剣持ちの男に話しかけてきた。
何とも頑丈そうな鎧を身に纏い、全身を朱に染めている姿は何とも恐ろしげなものだったが、それすらも帳消しにするようなにかにかした笑顔を浮かべている大男である。腕は丸太のように太く、がっしりしているという言葉では表しきれないような重厚感を体から漂わせているというのに、目を細めたその表情には怖さというものが一切感じられない。
今もその大きな手で頭をガシガシと掻きながら声を掛けてきている姿には、威圧感などは欠片も感じられない。
顔と体が一致しない何とも奇妙な男だと思いながら、なんとなくその奇妙さに惹かれて、同じく戦場に普段着と短剣一つをぶら下げて突貫した奇天烈さでは引けを取らない男も言葉を返すことにした。
「内容によるな」
あくまでそっけなく、こちらが好奇心を持っていることを悟られないような口調で返す。戦場で名をはせているという事実を誇張もなく認識している男にとっては、自分の情報はできる限り隠すものだ。故に、警戒は常に解かない。
奇特な男もそのことは戦場に立つ者の常識として認識しているため、別に男がそっけない態度を取っても不満に思う様子は無かった。むしろ、言葉を返してもらえたことにおどろいているような表情をしている。
しかしこの男も戦士である。そんな表情は瞬き半分の内に消えて、質問の内容を話してきた。
「ああ、そうか。いやな、俺の連れが居るんだけどさ。そいつがどうやったらお前みたいに強くなれますかって聞いてきてさ」
「知らん。本人が聞きに来い」
「どうやったら貴方みたいに強くなれますか?」
聞いてきたことは、男にとっては非常にどうでもいいことだった。
そもそも男は強い強くないなどとそんなものを気にしたことは無い。戦いの場で気にしたことがあるのは、目の前の相手が殺せるか殺せないかという一点のみ。
だから自分でもよく分からない内に感じた男への多少の失望なんぞは気にする事無く、切って捨てた。
だから、即座に返ってきた言葉に驚く。
まさか拒絶されたすぐ後に、ノータイムで質問をしてくるとは思わなかったからだ。
男が声のした方向を見ると、話しかけてきた男の足元に一人の薄汚れた子供がいた。
「お前名前は?」
「ガヤ」
普通なら、こうまで早く言葉を返すことはできない。だというのにこの子供はその普通では無いことをしてきた。つまりこの子供は普通では無い。
三段論法的な思考を半ば直感的に閃かせながら、警戒しろという声と知ってみたいという欲求の半々の気持ちで子供に名を尋ねる。
答えが返ってこないことは考えなかったが、やはり今度も即答。反射神経で物を考えてでも居るのだろうか。そんな感慨を抱きながら男は続けて口を開く。
「そうかガヤ。では一つ聞くが、そもそもお前のいう強いっというのは何だ?」
「……どんな時でも生きて帰れること」
「ほう?」
男の質問に対する質問を返すという無礼に対し、今度は即答とはいかなかった。
とは言っても、気分を害したから返事をしなかったというわけでは無く、判断に迷ったというような間の取り方である。
「……まあ、その答えだったらこれだな。『俺は特段強いわけじゃない』」
男もそれに習ったわけでは無いが数瞬の間をおいて言葉を発した。
「でもあんたは戦場に何回もそんな軽装で向かっているのに傷一つついてないじゃないか。現に今だって手当をしてるやつとは違って悠々と休んでる」
その答えに対し何処か納得がいかなかったのか、多少勢い込んで追及してくる。男が言葉の一瞬前に作った間を、何か強さの秘密を隠す逡巡にでも捉えられたのかもしれない。
だがしかし、男には言を翻すような気は一切なかった。それは例え戦場で数多の敵を殺しているときから思っていたことであり、子供の発言の内容を客観的に認識している今もそう思っているからだ。
強いというのが「どんな時でも生きて帰れる」という事なら、男が強くなるには二つの欠落が存在することになるのだから。
「型がいいからだよ」
「型?」
会話の流れを一切合財ぶった切って、男は子供に視線を向ける、その強い眼光は確かに子供を捉えていたが、見つめている先は虚無であった。子供は、そしてその隣に立っていた奇特な男も、気圧されるように息を呑む。
今、男の意識はここに無かった。彼にとっての遠い昔。人にとっては長い時間と感じられるほどの年月。
男は自らを成す過去を、記憶の海から引き揚げていたのだ。
「とある大陸の北の集落の話だ」
夏は短く、冬は長くなる地域となる大陸の北の地方。その方面にある山脈のに存在する空に近い場所に名もなき集落がある。
空に近いということで住んでいる環境の酸素が非常に薄い。故に、出産における命のリスクも母子ともに平地と比べて著しく高く、三歳までの生存率もかなり低い。
そして降雨量が少なく陽光を遮るものもないために、育つ植物はほぼ枯れる。そんな簡単に枯れる植物が草食動物を大量に養えるわけもなく、それらを食べる肉食獣は植物に輪にかけて数が少ない。結果として動物性のタンパク質はとても希少となり、そこにいる生き物たちは常に飢えている。
さらに言えば、夏でも平地の冬を下回るほどの気温であるために決して暖房は欠かせないのだが、その燃料となる木材は存在せず、火をおこすための酸素はそもそも息をするための分量だけでいっぱいいっぱいだけである。総括すれば、まともな生き物が生きていける環境ではない。
まともな生き物がいなければ、居るのはまともでは無い生き物である。
活動のほとんどを眠り、捕食時以外は完全に周囲に擬態している、狩りには一つの糸しか使わない一糸蜘蛛。
土の熱を得て体温の低下を防ぎ、両の瞳と背中にある四つの眼球で周囲に死角を持たず常に走っている六目陸蜥蜴。
全身を氷の毛で覆い、暖気を体の周囲に留めておくことで敏捷性と保温性を両立した銀爪豹。
雪を溶かしてその中に含まれる塵や栄養を溶かして喰らう腐食亀。
自分の体に当たる空気をできる限りどれもかれもが厳しい環境の中を生き残るために極限まで無駄を弾き、必要なエネルギーは最大限確保するという進化を遂げた生き物たちである。そしてそれらの生き物が鎬を削る中、遥か高き天を泳ぐ家屋ほどの怪魚、雲と雲の狭間をかける天馬といった環境を克服した超越種たちが頂点に君臨している。
そしてその食物連鎖の中で、人間は最下層の一種類である。
蜘蛛に遭遇すれば生きたまま貪られ、蜥蜴に会えば攫われる。
豹から見つかれば確実に喉笛を食い切られるし、亀に遭遇しても溶かされておしまいだ。
彼らは雪を食んで飢えを凌ぎ、一匹の虫すらも見つければご馳走とし、寒さに凍死している動物を見つければそれが自分の体長よりも遥かに大きかろうと協力して持ち帰る。
日頃の狩りであれば、幾重もの罠を仕掛け、集団で協力して獲物を狙い、一瞬の隙の為に半日だろうと陰に潜む。
まさに毎日が命がけ。戦場とは違う意味で、命の価値が低い場所で、自分らの家族を守るために彼らは協力し合う。
そして弱いことを自覚するが故に、相対する獣にすら敬意を払い、畏敬を持って接し、万が一にも油断のないように己を己自身で厳しく律しているのだ。集落では命を尊いものとして子供に教え、大人たちもそのように認識している。
だが、そんな尊い命を奪わなくては生き物は生きてはいけない。
例え仕方なしにしても、尊いものを奪うことは罪である。
だからといって狩りを止めるということはできなかった。相手の命の価値が重かろうが、天秤にかけてしまえば仲間の命の方が重かったのだから。
厳しい環境であるからこそ命の価値が重くなった土地で、逆に命を取ることへの罪深さは増すばかりだった。
やがて、これらの罪の意識から逃れるため集落に住む人々は一つの偶像を創り出す。
「罪は人に被さるのではない。人の行いに被さるのだ」
始まりは一人の猟師の言葉から。
人に罪が被さるとき、それは人の行いを通してその人の身に被さるのだと猟師が告げた。
人の行動にこそあらゆる行動の罪は重なり、人それ自身が罪を被るのはその行動に降りかかった罪に対して、その動きが罪の重さに耐え切れずに、人の身に襲いかかるからだ、と。
そしてそれを解決するには「隙の無い動き」というものを編み上げる必要があるのだと。
――――――でなければ、罪に憑りつかれる。
それを聞いた村人たちはまるで神を崇拝するかの如く、行動そのものを偶像化し、言葉にできない何かに祈り、自らの純白を希って、業と技を練り上げていく。
そもそも縋る物すら少ない空に近い場所である。故に、彼らが進行するとしたら、それは形の無いものこそが相応しい。何故なら彼らは、知っていたからだ。
あらゆる形のあるものは、いつか壊れて死んでいくと。
歩き方から殺し方まで。あらゆる行動に最も合理的な形を作り上げ、それを行う事によって罪を型に被せる。
そうして彼らは「型」という特殊な技術を作り上げた。
「俺の殺害には一つの共通点がある。そのどれもがこの行動原理にのっとって型に従い短剣を投げているということだ」
男が告げるのは、自分の動きに「型」通り以外の動きは含まれていないのだという事。
無論、その場その場での動きというのは細部において多少の違いはあれど、個人が使う技としてそのどれもに共通した術理が含まれていることを考えれば、型を守っているといっても差し支えは無い。
型を守っていると言い切れる限り、男はその身に罪を受けず、ただひたすらに己の信奉する型へと罪をかぶせ続けているという事である。
それはすなわち人を殺すという責任の所在は男の上に存在しないというわけであり、罪の所在が己に無いというのなら、緊張することもなく罪悪感にとらわれることもないという理屈だ。人が人を殺してしまえばそれは殺した者にとってもなんからの変質が起こってしかるべきだというのに、男はそれを受け入れていないという事だ。
だからこそ男は何ごとにも動じず、自然体のままにただひたすらに相手を殺すことにのみ集中できるのだ。そこにあらゆる感情をのせる余地がないために、男は動揺することすらできない。まさに死を振りまく機械といってもいい。
だがここで一つの無謬が生じる。
男がここまで北の民族の習慣に詳しい以上、男は必然的に北の民族の出身か、そのゆかりの者であるということである。
ならばもし男が男の話した型というものに従うのなら、男は命に価値を感じているということに他ならない。
だというのに、命が最も軽い戦場なんていう地獄を彼は常に渡り歩いている。
それどころか、理不尽な死を振りまいている災厄こそが彼であるといってもいい。
ならば、
この男が、己の思想に合わない、合うはずもない、無為に命を刈り取る戦場に立ち続けているのは一体何故なのか。
「まあ、このくらいだ。後は語ることもないな」
そうして男は立ち上がり、歩き出した。
残されたのは俯いてひたすらに考え込むガヤと分かったような分からないような表情をした名も知らぬ奇特な男。
しかしもう型を信奉する男は彼らの方向を振り返ることはなく、そのまま何処かへと消えていく。
これは、いずれ罪に追いつかれるまで戦場に身を投じる男の奇妙な一幕。
さらに彼の存在を幻想的なものにする一つのエピソード。