嘘の出題
「しまった……」
僕――名前を小泉孝という――は自らの失態を思い出し眉を寄せた。思い出したくない記憶こそ鮮明に思い浮かんでしまうもので、この失態は暫く脳裡に焼きついて離れないだろう。それどころか、失態は後悔という増強剤を悉に吸収し、さらに僕の心に重くのしかかるのだ。現に後悔は増幅をし続けている。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。いや、答えははっきりしていた。部長に諭された通り、僕は「詰めが甘い」のだ。もっと早く、自分の解答のズレに気付いていれば……。
「クイズを出そう」
クイズ研究部の長谷部一郎部長が高らかに宣言する。
クイズと聞けば一般的には知識を問うものを指すのだろうが、部長がこのように宣言する場合、必ずと言ってよいほど思考力を求めるパズルやなぞなぞのことを指している。普段のクイズ研究部では専ら狭義的な知識を問うクイズしか取り扱わないので、単に部長の趣味である。
このように定期的に部長の趣味に付き合わされる部員達であるが、不思議とそれに対し批判的な部員はおらず、むしろ意欲的に取り組んでいる。特に僕はある失態を犯して間もないこともあり、屈辱を晴らそうと燃えに燃えていた。
「今日はどんなクイズだ」
部長の親友である大友裕司先輩が促す。いつもの光景だ。
「今日は論理パズルにする」
論理パズルとは、問題文で与えられた条件から解答を論理的に導く類のクイズである。有名所としては『天使と悪魔』、『嘘つき村と正直村』などが挙げられるが、論理パズルの定義は幅広い。一体どのような問題なのだろう。
「ルールを説明する前に確認すべきことがある。皆、先日ペーパーテストを行ったことは覚えているな」
「うっ」
当然覚えている。何を隠そう、ある失態というのはペーパーテストに関することだった。忘れたくても忘れられない。
「そういえば、ペーパーテストの返却がまだだよね」
後藤愛子先輩が相槌を打つ。クイズ研究部の紅一点である。
「返却はもう少し待ってくれ。その前にペーパーテストの順位を論理パズルで求めてもらう」
部長はそう言うと、二つに折り畳まれている紙を各部員に配った。僕に配られた紙には大きく「小泉」と書かれている。大友先輩の紙には「大友」、後藤先輩の紙には「後藤」と、各部員に割り当てられているようだ。紙は全員分あるようで、部長も「長谷部」と書かれた紙を持っている。折り畳まれているため中身を窺うことはできないが、勿論ペーパーテストではない。
「ではルールを説明しよう。おおっと、紙はまだ開かないでくれよ。開くのはゲームが始まってからだ」
部員は紙から部長に視線を移す。部長は全員の視線が向いたことを確認するとルール説明を始めた。
「紙にはそれぞれ自分のペーパーテストの順位に纏わる文が書かれている。『俺の順位は1位だ』といった具合にな。それをゲームが始まったら全員に読み上げてもらう。しかし、ここで注意することはその文が正しいとは限らないことだ」
「書かれているのは嘘の可能性もあるってこと?」
「そうだ。全員に文を正確に読んでもらうが、中には嘘も書かれていて嘘をつく人と嘘をつかない人に分かれる。嘘を書かれている人は強制的に嘘をつく人になる」
「嘘かどうかってペーパーテストの順位で決まるんでしょ?それなら、部長は誰が嘘つきなのか分かるってことだよね」
「そりゃあ俺が作ったクイズだから分かるよ。一応、出題側の俺もゲームに参加するが解答には参加しないから安心してくれ」
ここまでの話を要約すると、順位のヒントとなる文から、嘘つきを暴き、最終的に正しい順位を導き出すということか。論理パズルとしてはよくあるパターンである。
「それでは、チャイムが鳴ったらゲーム開始だ。ゲーム終了はその次のチャイムが鳴ったときとする。ゲーム中は質問禁止。ゲーム終了までにそちらが正しく解答を指摘できれば勝ちだ。ああ、あと役割はきちんと果たしてくれ。例えば、紙の内容と違う内容のことを言ったりするのはなしだ。役割から外れた発言をした場合、直ちに反則で一人負けとする。以上」
学生の自主性を重んじるためチャイムを鳴らさないノーチャイム制を導入している大学は少なくないが、僕の通う大学ではチャイムが鳴る。チャイム音は非常に分かりやすく、擬音語で表現するならキンコンカンコンで事足りる。
次のチャイムで開始か。僕は部室にある掛時計にちらりと目を遣った。今の時刻は午後四時二十五分。四限目の終了のチャイムが午後四時三十分だから、ゲーム開始まで約五分か。次のチャイムは五限目の開始時刻の午後四時四十五分だから、総ゲーム時間は十五分ということになる。
……いや、汚名返上のためには誰よりも早く答える必要がある。時間など気にせずに頭を働かせるべきだ。今の内にもう一度ルールを確認しておこう。
僕は頭の中で部長の台詞を反芻する。……よし、完璧。
……自分達の名誉のために補足しておくが、四限目の時間帯から部室に部員全員が集まっているのは、その時間の授業を履修していないだけであって決してサボっているわけではない。知識を蒐集する場として活用できる授業を履修しないのはクイズ研究部の部員としてあってはならないと考えるべきかもしれないが、クイズ研究部も知識を蒐集する場の一つなのだ。今は部長の趣味で満ちているが。
「……」
部室内に沈黙が流れる。
僕は再び掛時計に目を遣る。二十八分。あと二分か……。
『ゲーム中は質問禁止』
ふと部長の台詞が頭を過る。チャイムが鳴ればゲーム開始とともに質問を禁止される。
……もしかして、この空白の五分間は質問のために設けられたのではないだろうか。だとすれば、僕は貴重な時間を浪費していることになる。今からでも質問するべきだろうか……。
僕は悩んだが、結局は質問をしないことに決めた。なぜなら、もし僕がどれだけ賢明で最適な質問をしたところで、質問と回答の内容は他の人にも伝わってしまうのだ。それでは差はつけられない。あくまで僕の目的は他の人よりも早く答えることであって、早く答えを見つけることではない。この二つは似ているようで大きく違う。例え自分が早く答えを見つけられる情報を得ても、他の人も答えに近付けてしまっては無意味だ。それなら精神統一でもしていた方がいくらか建設的かもしれない……。
もうゲーム開始まで時間がない。集中しよう。時間に差し迫られ半ば強引に結論付けた僕は目を瞑って集中しようとした。
「部長、質問が」
すると、黄色い声が僕の集中を途切らせた。後藤先輩の声だ。部長が頷いて後藤先輩を促すと、後藤先輩は質問の内容を口にした。
「嘘つきって何人いるの?」
質問が出た以上、回答を聞かない訳にはいかない。それになかなか重要な情報だ。まだヒントの文が分からないとはいえ、嘘つきの人数が絞られれば考えの幅が一気に狭まる。僕は一音も聞き漏らすまいと意識を部長に向けた。
しかし、部長は黙っている。質問に答えるかどうか迷っているのだろうか。
掛時計を見るとゲーム開始の時刻まで十秒ほどしかない。もしかしたら、部長は迷っているのではなく質問に答える気がないのかもしれない。
それでも僕は意識を部長から離さなかった。答える可能性はまだ潰えていないからだ。
――キーン、コーン、カーン、コーン
しかし、僕の努力も虚しく、無機質な音色を奏でるチャイムがゲームの開始を告げた。




