2章-1 暴力的スクールライフ
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逢魔と出遭って、美々夜に押しかけられ、不味いラーメンで空腹を誤魔化したその翌日。
時間ではなく、財政上の理由で朝飯を取らずに学校へ向かった俺は、今日も今日とて、私立三ツ橋ヶ丘高校の洗礼を受けることになった。
「あー…………腹減った……」
ブドウ糖の足りていない脳が、譫言を垂れ流しにしている。
思考は霞がかかったように見通しが悪いし、手足も思うほど軽やかには動かない。目も完全には覚めていないらしく、油断すると意識を手放してしまいそうだ。
まさか、朝を抜いただけでここまで調子が出ないとは。
恐るべし、朝飯。
腹の虫が辛抱なく鳴くのを抑えながら、俺は教室の扉を開けた。
白の壁と、薄緑の床。なんの変哲もない廊下に並ぶ、クリーム色の扉をである。
間違って窓を開けたとか、異次元への扉を開けたとか、そういうのはない。断言できる。いつも開け慣れている、自分の教室の扉だ、間違えようもない。
ガラガラと扉を横に滑らせ、開いてみたその先に。
出入り口を塞ぐくらいに巨大な、本当に大きな砲台があった。
っていうか、発射口がこっち向いてた。
「おっ、ようやく来たのかよ礼儀。待ち草臥れたぜ」
黒光りする砲台の後ろから、そんな暢気な声が聞こえてきた。
聞き慣れた、クラスメートの声だ。但し、俺の在籍クラスに砲台はいない。人外ならまだしも、無機物にまで門戸を開くほど、日本の教育業界は懐が深くないのだ。いや、懐云々の問題では間違ってもねーけど。
「っと。なんだ、辛気臭い面してんなー。死神にでも会ったか?」
「敢えて言うなら、死神とやらはお前だよっ! なんのつもりだ該斗ぉっ!」
砲台の後ろからひょっこりと顔を出し、気さくに話しかけてくる友人に――――俺は、開口一番迷わずに怒鳴っていた。
赤青砥該斗。
見た目は冴えない眼鏡男子だが、中身はアイドルと兵器をこよなく愛する、残念極まりない変態だ。入学式の日、率先して俺を殺しに来たのは、なにを隠そうこいつである。
せめて、せめてアイドルか兵器、そのどちらかで止まってくれれば救いがあるのに、両方なものだから手がつけられない。聖儀姉さんがこんな奴らまで相手にしているのかと思うと、感嘆だか不安だかよく分からない涙が出てきてしまう。
「なんのつもり? 言わなきゃ分かんねーのかよ礼儀。察しが悪いなぁ」
「クラスメートが大砲用意して待ち構えてた理由を察することができたら、俺は超能力者特番でテレビデビューしてるよ」
「アホか。オタクとコレクターとマニアっていうのは、自分のコレクションを他人に見せびらかしたくなるんだよ。そう、謂わば職業病という奴だ」
「オタクとコレクターとマニアを職業にカウントするな」
「いいフォルムだろう? これがかの有名な、ドイツ軍製FLAK360――――俗に言うところの88ミリ砲だぜ」
「訊いてねーし。興味もねーし。ほら、見せびらかすのが目的なら、もっと教室の真ん中とかに置けよ。そこに置かれたんじゃ、邪魔で教室入れねーだろーが」
「いやいや、ここでいいんだよ。寧ろここ以外はダメなんだ」
何故だか頑として譲らない該斗。
仕方なく、砲台を避けて入ろうともするが、何故か発射口がその度に移動して、俺のことを執拗に狙ってくる。
ったく、大砲のレプリカなんかで、どこまではしゃいでんだか。
「なぁ、礼儀。僕が何故、親友のお前を名前で呼ぶのか、不思議に思ったことはないか?」
「……はぁ? なんだそりゃ。俺とお前が親友かどうかは置いておくとしても、親友なら寧ろ下の名前で呼ぶだろ。名字なんて、ある意味余所余所しいくらいだ」
「そりゃそうだ。だが、それ以外にも理由はある」
「? とにかく、そのおもちゃをさっさとどけろ。88ミリ砲だか鳩サブレだか知らねーが、レプリカ見せびらかすんなら写真で充分――」
「お? おかしいなぁ礼儀。慎重で用心深いお前らしくもない」
いつ俺にそんな設定がまとわりついたんだ。
そう返そうとして、俺は該斗の顔を見た。
……笑っている。それも勝ち誇ったような、しかも正気を失い果てたような、効果音をつけるなら『ギコォ……』とかが丁度よさそうな、凄絶な笑顔である。
友人のこんな笑みに、俺は震えるほど見覚えがある。
およそ半年前。正義も仁義も礼儀もない、あの壮絶なる戦い。
あの時もこいつは、こんな顔をしていた。
「確かに、こんなどでかい砲台を学校に持ってくるなんて、普通に正気の沙汰じゃない。そもそも扉からは入れらんないしな。土台、本物の訳がないという常識的な発想から、レプリカなんて解答に行き着くのは必然と言えよう。だがな礼儀――――僕は、こいつを偽物だなんて、一言も言っちゃいないぜ?」
「………………該斗」
「僕さぁ、思ったんだよ。礼儀」
しみじみと、思い出に浸るように言う該斗。
それはアルバムを楽しげに捲っているようにも、今生の別れを惜しんでいるようにも見えた。
きっとそれは、まとめて気の所為なんだろうけど。
「そろそろ、お前を殺すべきなんじゃないかって」
あくまで、あくまでも朗らかに言う該斗だが、表情は飽くなきまでに本気だった。
目が笑ってねぇもん。
流石に恐怖を覚え、俺は1歩後ろに引いた。平たい鞄が、どさりと手から滑り落ちるが、そんなことに構う余裕はない。
据わり切った目をした該斗は、照準を俺に合わせたまま、変更する素振りは見せなかった。
「あの境界坂聖儀様の弟だっていう事実。そして、聖儀様と同じ名字。同じ遺伝子。似ていると言えなくもない顔形――――血液型が同じってだけでも嫉妬を覚えるこの僕が、君を殺さずに我慢しているのは、酷く、酷く辛いんだ。まるで拷問だよ。礼儀…………友達なら、分かってくれるよな?」
「いや、お前の友達は、そこまで器がでかくない……」
「それに、たった1度でいいから、人に巨大な鉛弾をぶち込んでみたかったんだ☆」
「いい笑顔だなぁおいっ!」
「ま、そういう訳だからさ礼儀――」
言うと、該斗は再び砲台の背後に移動した。
隠れたのではない。逆に隠れる必要があるのは、確実にこの俺だろう。
赤青砥該斗は、発射準備に入ったのだから。
「――僕の我儘の礎となれぇっ!」
「死んでもお断りだボケがぁっ!」
叫びながら、今来た廊下を逆走し始めた瞬間、背後になった場所で爆音が響いた。
後ろから追いかけてくるように、灰色の濃い煙が辺りを包む。火薬と、それからなにかが焦げ付くような臭い。顔をしかめながらも、俺には逃走という選択肢しか残されていなかった。
撃ってきたし。
実弾だったし。
本気だったし。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――――だぁもうっ! なんで、なんで毎日、登校早々殺されかけなきゃならねーんだよぉっ!」
理不尽を声高に主張しても、誰の耳にも届いちゃくれない。
逆にその叫びは、俺ではなく該斗と志を同じくする鬼畜共を、これでもかというくらいに集めてきやがる。
「境界ざ――――いえ、なんとか礼儀っ! お命、頂戴っ!」
「うおぉっ!?」
煙に紛れて繰り出されたのは、俺を旋毛から踵までの線で真っ二つに切り裂こうとする一閃だった。
すんでのところで横に飛んだ為に助かったが…………襲いきた武器を見て、俺は肝がゾクリと冷えるのを感じた。
日本刀。
真剣。
それも、かの佐々木小次郎が使っていたという、あまりにも長い長刀・物干し竿!
リーチ重視のその得物は、無駄に広々とした廊下さえ、半分以上占拠している。あと半歩跳ぶ距離が短ければ、俺の身体は綺麗に裂かれていただろう。
「ちぃっ! 何故避けるのですか小林礼儀(仮)っ!」
「斬られたら痛いからだよっ!」
ツッコミを入れることさえ控え気味に、俺は全力逃走を続ける。
境界の能力を使えれば楽に逃げられるが、そんなことをすれば、後々ロクな目を見ないのは目に見えている。人生を盛大に棒に振るような真似は、なるべく控えたい訳で。
だから俺は、こうして1つ1つの襲撃から、懇切丁寧に逃げ回っているのである。
数え切れない、理不尽で凶悪な攻撃から。
「見つけたぞ中林礼儀!」「今すぐ殺して差し上げますわ林田礼儀!」「バラバラ……バラバラ……上林礼儀……バラバラ……」「往生せい林家礼儀!」「この世から迅速に消え失せろ大林礼儀!」「昨日作ったこの濃縮5000倍硫酸で溶かし尽くしてあげるぉ高林礼儀!」「あんたの死体は漏れなく動画サイトにアップしてやんよ林原礼儀!」「あなたの脳味噌が見たいんです杉林礼儀!」「聖儀様と同じ型の血液を飲ませろ雛林礼儀!」「お前の生皮を被って俺が聖儀様の弟になるぜ生林礼儀!」「眼球眼球眼球欲しいのぉ倉林礼儀ぃ!」「18禁的な意味で殺させてください北林礼儀!」「私のお尻で窒息させてやるわ長林礼儀!」「内臓が見たいんだよぉ解剖させろぉ腹林礼儀!」「いい肥料を探しているんです林坂礼儀!」「お腹空いたんだよぉ植林礼儀ぃ!」「殴る蹴る裂く潰す砕く岩林礼儀殺すっ!」「線路に縛りつけてあげたいわ寺林礼儀!」「電信柱に刺さってみたいよね林崎礼儀!」「わわわわわたしが飼育してアゲルヨ馬林礼儀ちゃん!」「足から丁寧に引き潰してあげるよん土林礼儀ぃ!」「殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺松林礼儀殺殺殺殺殺殺殺!」「赤い紙と青い紙のどちらが好みだ東海林礼儀ぃっ!」「蝶名林礼儀が1片、蝶名林礼儀が2片…………1000切り分足りないよぉおおおおおっ!!」
「言いたいことは山ほどあるがなぁ――――俺の名前は境界坂礼儀だっつーのぉっ!!」
っつーか、よくそこまで『林』縛りで名字出せたな! 何個かおかしいけれど!
オーソドックスな4階建ての校舎。その隅から隅まで、裏道抜け道近道回り道、全てを余すとこなく利用して、俺はあらゆる敵から逃走を続ける。投げつけられるコンパスやら裁縫針やらダンベルやら砲丸投げの鉄球やらも、気配だけでかわしていくしかない。いつ死んでもおかしくないような死線が、そこにはあった。
一介の、たかが私立高校にである。
だから、だからあの時、俺は声を荒立てたんだ。こんな学校に来るのかと、美々夜に詰め寄ったのだ。
異常でも異能でも異相でも異形でもない癖に、灰汁が強過ぎるド変人共の巣窟に。
「もう――――もういい加減にしろよお前らぁぁぁっ!!」
泣こうが叫ぼうが、変人たちの進軍は止まらない。
結局、俺がゴリラみたいな体育教師に助けられ、暴動が鎮まったのは、登校から1時間後のことだった。