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魔法と科学とサバトの時間  作者: 緋色友架
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1章-4 《魔法科学》


「…………………………………………………………………………………………あぁ、あ?」

 怒鳴りつけられてようやく、黄泉宮は自分の姿がおかしいことを自覚した…………と思ったんだが、こりゃ違うな。あんまり意味分かっちゃいねーや。

 まぁ、つまりはそういうことだ。

 黄泉宮美々夜と呼ばれたこの少女は――――あろうことか、下着一丁なのである。

 ほとんど肌と同化している、薄ピンクのブラジャーとパンティ。その2つが、黄泉宮の身につけている衣服の全てだった。

 しかも、そんな格好で俺を押し倒している。

 事情を知っていようが知るまいが、当たり前のように痴女疑惑一直線の絵面である。

「あー、それでさっきから顔赤くしてたのかぁ礼儀少年は。初心だねぇ、若い若い。いやいや可愛いなぁ、そうは思わないかい? 時音ちゃんよぉ」

「思わない気に食わない臨時ボーナスも出してあげないっ! いいからさっさと離れなさいよわたしのわたしの実験動物からぁっ!」

「さぁて、どうしようかねぇ」

 本当に意地悪く、酷く楽しそうに舌舐めずりすると、黄泉宮は俺の額へと指を這わせた。

 低い体温が、氷みたいに顔全体を冷やしていく。今まで意識する暇もなかったが、気づけば顔だけじゃなく、俺の全身が燃えるように熱い。冷え症なのだろうか、人体としての機能を有しているのか心配になるくらいに冷たい黄泉宮の指が、今は心地よかった。

「……と、そういう訳で黄泉宮美々夜だ。上から読んでも下から読んでも、天地無用に黄泉宮美々夜さぁ。どうぞよろしくぅ、礼儀少年」

「…………俺を、どうするつもりだ?」

 酔っ払ったような黄泉宮の口上に、暢気に高ぶっていた心も否応なしに落ち着いた。

 問いかけた声は、自分でも少し驚くくらいに冷たかった。冷静なんてとっくに通り越して、いっそ冷酷なくらいだった。

 一応、想定していたことでもある。

 自分の能力が他にはない、特別なものなんだって認識くらいはある。それが、得体の知れない奴らから狙われる、充分な理由になるのだって承知の上だ。

 境界生成――――境界を形作る異能。

 使いようによっては、自分にとって有利なフィールドをいくらでも作り出せる、原理不明の魔法みたいな力。

「…………言っとくが、俺の能力は、そんなに便利なものでもないぜ? 大規模なものは1日数回が限界だし、俺自身が境界の内側にいなきゃ成立しない。第一、自分でも上手く制御できやしねーんだ。ちょっと腕を振っただけで、小規模な境界をうっかり作っちまう欠陥能力だぜ?」

 思い出すだに肝が冷える。今じゃある程度制御が利くようになったとはいえ、小学生時代なんて大変だった。体育の時間、少し運動するだけで校庭も体育館も障害物競走の舞台と化してしまうのだ。

 俺の所為で、一体何人の同級生が本来の能力を発揮できず、内申点を下げていたか…………想像するだけで恐ろしい。そいつらからの復讐の方が、謎の組織なんかよりはいくらか現実的か。

 閑話休題、したくはねーけど仕方あるまい。

「……あんたらがなに考えてるかは知らねーけど、ご期待に添うのは諦めてほしいもんだね」

「…………よくもまぁ、こぉんなえっちぃ身体したおねーさんが目の前にいるっつーのに、そこまでぺらぺら喋れるもんだなぁ。逆に感心しちまうよ」

 なにが面白いのだろう、黄泉宮は無防備に、歯を見せて笑っていた。

 それから、なにやら肩を竦めるような仕草を見せると、今度は俺ではなく、後ろで立ち往生している逢魔に向けて声をかける。その声音は、ダメな子を可愛がる苦労人の姉といった感じで、疲れた響きの中に柔らかいなにかが混入されていた。

「ったくさぁ。お前さんがややっこしいこと言ったお陰で、話が拗れちまってんだぜ? 素直にお願いしてみりゃいいだけなのに、まったく、お前さんの不器用はいつになれば直んのかねぇ」

「わたし悪くないもんっ!」

「ナイフを振り翳して言うことじゃあないねぇ」

 くつくつと笑いながらだが、黄泉宮は酷く尤もなことを言ってくれた。

 誰がどうみたって、お前が1番悪いわ。

 寧ろお前以外誰も悪くないわ。

「はぁ~あ…………あたしの服は、時音ちゃんの周りをたゆたっているんだけどねぇ。あの子がこんな調子じゃあ、諦めるしかないねぇ。だから、年頃の男の子にゃあ目の毒かも知れないけどぉ――――このまんま、かぁんたんに説明させてもらおうかなぁ」

「説明…………?」

「先に言っておくとぉ、時音ちゃんの目的はあくまで探究さぁ。あの子が掲げる、名付けに名付けて《魔法科学》それ一つのね」

 言うと、黄泉宮はぴんと指を立て、それを文字通り俺の目の前でゆらゆらと揺らした。

《魔法科学》

 勿論、聞いたことのない学問だ――――いや、そもそも学問なのか?

 魔法、と銘打っているだけで、途端に胡散臭さが増している。大体、魔法なんてオカルトと科学とは、思い切り真正面から対峙するような間柄じゃないか。

 土台、それと俺とがなんの関係がある?

「なにせ賛同者が少ない学問でねぇ。無理もない、幼気で幼く思慮浅い、ただ天才なだけの少女が主張しているだけの、歴史も伝統もへったくれもない学問だからねぇ。あぁ、他ならぬ時音ちゃんのことだが」

「誰が幼くて思慮が浅」「はいはい、あれは無視していいからねぇ」言われなくても。

「…………そんなもん、探究してどうするんだ? 魔法なんて、そんな夢見がちな」

「あんたが言うなよ、なぁ、夢見る乙女さんよぉ」

 小馬鹿にするように、黄泉宮は笑った。

 だが、彼女が嘲笑の的にしているのは、俺だけではない。自分の身体を横目で見ながら、黄泉宮は諦めたように笑ったのだ。

 身体。

 ついさっきまで、黒い靄でしかなかった、自分の身体を。

「例えば、そう例えばの話だぜ? この世界に、身体を闇に変えられる、そんな能力を持った人間がいたとする。…………周りの奴らぁ、その能力持ちをどう扱うだろうなぁ?」

「……………………」

「いやいやぁ、別に闇なんかに変わんなくたっていいんだ。なんだって構わないのさ。触れずに電化製品を操作できるとか、絶対零度でもパンツ一つ穿かずに生存可能とか、後は例えば――――好きなところに、不可侵の境界線を引けるとか、さぁ」

「…………考えるまでもないだろ、そんなこと」

「ご名答過ぎて涙が出るねぇ」

 茶化すように言ってはくるが、俺にとっては深刻な問題だった。

 いや、きっと黄泉宮にとっても深刻極まりない話題には違いないのだろう。こんな能力を抱えて生まれてきた俺たちが、絶えず備えておかなければならない可能性。生存そのものを危うくする、未曾有の危機。

 妙な能力を持ったことが露呈する――――それは、全身の血管を断ち切れるギロチンの紐を握られたに等しい。それも、麻や絹でできたものではない。直視すれば思わず手を離したくなるような、虫の腸かなにかを寄り合わせた代物をである。

 人間ほど外敵に対して排他的な動物を、俺は寡聞にして知らない。自分たちと違うから、異常だから、なんて脈絡のない理由で、異能力者は排斥されるだろう。

 危険かも知れない。

 牙を剥く可能性あり。

 よく分からない。

 なんだか気持ち悪い。

 生理的に無理。

 そんな単純な理由で、俺たちは社会から、世界から、下手をすれば現世からさえ爪弾きにされる危険性を孕んでいるのだ。

 考えるまでもない――――そんなのは、いままでもずっと考え続けてきたことだから。

 俺だって、うっかり境界を作ってしまう度に怖かった。俺の能力が露呈して、周りのみんなから責め立てられることが。

「時音ちゃんの《魔法科学》はねぇ、あたしらの摩訶不思議を、科学でまとめて説明しちまおうっつー取り組みだよ。あらゆる異能には理由があり、理屈があり、理論があり、理路がある――――そんな風に結論が出せれば、異能は特別ではあっても異常ではなくなる」

「……………………」

「分かるかなぁ? つまりさぁ、異能っていうのが単なる体質に成り下がるのさぁ。先天性の乱視とか、利き腕の違いとか、肌荒れへの抵抗力とか。その程度のものに落とされる。希少で異常な特別から、ありふれて使い古された特別に貶められる。そうなれば、あたしらは――」

「――堂々と、安心して暮らせるってか?」

 ご名答ぉ。

 歌うように言った黄泉宮の顔は、不思議と晴れやかだった。

 …………成程な、それで逢魔の行動についても、得心がいった。

 異能を持っている奴は、十中八九、その能力を隠して生活している。余程の事態でなければ能力を披露しないだろうし、『あなたにはなにか不思議な能力などありますか?』なんてバカ正直に訊いたって、素直に答えてくれる筈がない。

 だから、ああするしかなかったんだろう。

 能力を持っていると思しき人間を、無理矢理窮地に追いやる他に、方法が見つからなかったのだろう。

 彼女の研究には、異能を有する人間の協力が不可欠なのだから。

「話は分かったかい? ……まぁ、かなーり人格的に問題があるのは否めないけど、それでも」

 ゆらり、と黄泉宮の輪郭が薄れ、首だけを残して身体が霧消する。生首が浮いているような形になったものの、不思議とそんなに不気味ではなく、彼女の眠そうな顔が上っていくにつれ、全身への拘束めいた荷重が消えていくのが分かった。

「あの子の真剣さは、このあたしが保証するよぉ。黄泉宮美々夜の名に懸けて、嘘偽りは言わないさぁ」

「……………………」

「境界坂礼儀少年。高いところから甚だ恐縮だが、しかしこの通り、平にお願いをさせていただくよ――――時音ちゃんの研究に、協力してはもらえないかい?」

「……………………」

 黄泉宮の頼みに答えることはなく、俺は黙って立ち上がった。

 試しにと、身体を少し振るってみる。関節がグミかなにかになったようにぐにゃぐにゃと動き、少なくとも動きに支障はない。重さも圧力も感じないし、黄泉宮の身体は完全に俺の上から退いたようだった。

「…………興味深い話では、少なくともあったよ。それだけは、俺が保証する」

 だけど、それだけだ。

 学ランに付いた土埃を払いながら、俺は吐き捨てるようにそう言った。

 興味深い。

 それは本当だ。嘘は吐いていないし、心が少なからず動いたのだって否定はしない。俺たちみたいなはぐれ者からしてみれば、逢魔の試みは非常に魅力的に思えるだろう。

 だけど、本当、心底掛け値なしにそれだけで。

「悪いが、協力しようとは思えねーよ。俺は家帰って飯食って寝る。それを繰り返してくだけだよ」

「…………つれないねぇ」

 黄泉宮は少し残念そうに呟くと、その場で靄から身体を再構成する。

 再び現れた、美麗な下着姿の肢体。改めて見ると、胸もそうだが背も高い。俺よりも少し高いくらいだ。気怠げな態度を隠していれば、モデル業だって簡単にこなせるのではないだろうか。

 …………そんな奴が、異能の為に日陰者に甘んじているのは、正直、納得がいかない。

 正義の味方も悪の組織も、全てを滅ぼす邪神もいないこの世界では、異能なんて余分な付属物に過ぎない。百害あって一利…………くらいならあるかも知れないが、そうそう便利なだけではない。デメリットの方が多いと、声高に断言できてしまう。

 可能なら、なんとかしたいとは思う。

 けど、それができないから、俺たちはこそこそと生きているんだ。

 素の自分なんて、必死に押し殺して。

「時音ちゃんの横暴、根に持っているのかい? それなら、土下座をさせることも吝かではないよ、勿論全裸で」

「ありとあらゆる法規定に喧嘩売ってるなぁ……」

 実年齢こそ知らないが、あいつはどう見てもガキだぞ?

『この作品の登場人物は全員18歳以上です』なんて但し書きも通じないくらい、ちっこくて幼い。見た目も、無論中身も。

 最初のもじもじした演技はなんだったんだろうな。今になると、かなり謎である。

「別に、そんなのは気にしちゃ……まぁ、いるけどさぁ…………、悪いが、俺はあんたらと同じように、逢魔時音を信用することは、できない」

「……………………」

「ぶち壊すようでなんだか気が引けるんだが――――できる訳ないだろ? 俺たちの異能を、単にありふれた体質にするだなんて。どんなイカレた理屈があれば、こんな芸当が人間にできるっていうんだよ」

 不可侵の境界線を引く。

 身体を闇に変える。

 電化製品を触れずに操る。

 絶対零度で生存可能。

 どれ1つ取ったって、人間という生物種にはできないことばかりだ。それこそ理屈じゃなく、ただの当然として不可能なのである。

「できないことなんかやりたくないし、それで自分の身を危険に晒すのも真っ平だ。…………繰り返しになるけど、悪いな」

「いやいやぁ、元々強引な勧誘をかけたのはこっちなんだ。性質の悪い宗教勧誘じゃあるまいし、しつこく食いついたりはしないよ――――少なくとも、あたしはね」

「…………そんじゃ」

 短く素っ気ない、別れの言葉。

 俺は身を翻し、ついさっきまでと同じように、家路を急ぎ歩き始める。

 今度はもう、振り返ることも止まることもないだろう。夢みたいな話で、宝石のように魅力的で――――そして、それ故に絵空事にしか思えなかったあの話に、未練などある筈もない。

「こぉらーぁっ!!」

 だから。

 逢魔の怒鳴り声が聞こえてきても、止まろうとはしなかった。

 振り返ることも、しなかった。

 ほんの少しだけ、歩調がゆっくりになっただけで。

「なに逃がしてんのよ美々夜バカバカ信じらんないっ! 後でご飯抜きだかんねバカバカバーッカっ! それにっ! あんたもなに逃げてんのよ境界坂礼儀ぃっ!」

 まだ2つ目の境界でまごついているのだろう、やけに遠くから声が聞こえる。

 ゆっくりでも1歩ずつでも、俺の足は着実に前へと進んでいっている。逢魔の叫びは、歩みと共に小さくなっていった。

「不可能だのなんだの、そんなので立ち止まってちゃなにもできないじゃない! 勝手に悩んで勝手に投げ出して、勝手に諦めないでよっ! 悩むのも担うのも、考えるのも解決するのも全部わたしの仕事なのっ! 自分勝手にわたしのやることを取っちゃわないでよぉっ! バカァっ!!」

 悲痛な叫び。

 痛恨な訴え。

 逢魔の声は終始、涙混じりで響いていた。

 勿論、彼女たちの願いを蹴った俺が、その声に応えることはない。背中以外を見せることなく、俺は彼女たちの元から去っていった。


「ったく…………うるせーんだよ、あの野郎……」


 ただ1つだけ。

 逢魔の奴は、1度たりとも『助けてあげる』『なんとかしてあげる』なんて、恩着せがましい台詞を吐きはしなかった。

 それだけは――――素直に、好感だけを受け取れた。


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