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魔法と科学とサバトの時間  作者: 緋色友架
14/22

3章-3 4人目


「えと、その…………改めまして、初めまして、です」

 逢魔ヶ城のことを、俺はついさっき、鬼ヶ島のようなネーミングだと思ったが、それは童話という繋がりを除けば結構な間違いであったらしい。

 ここは、どちらかといえば竜宮城だ。

 その証拠に、今俺の目の前には、鯛や平目の踊り子がいる。

「昏睡ヶ原真城…………あのあの、い、一応、本物です……」

「……境界坂、礼儀だ。取り敢えず、本物だよ…………その、からかってごめん」

 照れ臭さから、俺は頭を掻き毟りながら返した。

 胸を掠めていくのは、薄刃のように鋭い罪悪感。ぎこちない笑みに、頬が引き攣っていくのがありありと感じられる。

 冷血漢というほどではないが、俺はそこまで優しい人間じゃない。普段なら、他人をからかって楽しんだことに負い目などありはしない。実際、すかしたような態度で時音への協力を受諾したのだって、振り返れば随分と自分勝手な理論だったが、それについてなんら申し開きはない。これから付き合っていく上で、俺は時音や美々夜、氷芽香のことを存分にからかうし、脅すし賺すし貶すし弄ぶだろう。

 だけど、だけどもこいつだけはそうもいくまい。

 昏睡ヶ原真城。

 立体映像よりも遥かに長い、足元まで伸びる茶色がかった髪。

 人形のように可愛らしい顔。相変わらず表情は不安げだが、時音並みに小さく華奢な身体つきを含めて見ると、それはそれでまた別の魅力が見えてくる。生まれたての小鹿みたいに頼りないその姿は、思わず守ってあげたくなる衝動に襲われる。

 そして、着ているのはピンク色の、大量のフリルがあしらわれたパジャマ。

 初対面の人間の前に出るには、あまり相応しくない格好ではあるが…………そこはかとなくだらしなさを見せてくるのも、男心を擽る要素となっているだろう。

 総合評価――――滅茶苦茶可愛い。

「あ、あのあのあの……ど、どうかしました、か? えと……その……」

「へ? あ、い、いや…………悪い」

 ただでさえ恐縮そうに縮こまっていた真城が、更に更に不安そうな顔をして、横に立つ氷芽香の後ろに隠れてしまった。背がほとんどどっこいどっこいなので、あまり隠れられちゃいないが。

 ヤバいヤバい、思わず見つめちまっていた。

 直感でものを言わせてもらえば、どうやら昏睡ヶ原真城という人間は、一筋縄でコミュニケーションが取れる人間ではないらしい。警戒心が強いというよりは、そもそもその心の拠り所が不確かで、だから常におどおどしている感じだ。

 敵意がないことを示すには、少し時間がかかるかも知れない。

「……なぁに凝視しちゃってんのかなぁ? …………もぉしかしてさぁ、礼儀少年はああいうつるぺた体型がお好みだったりすんのかぁ?」

「っ!?」

 軽薄な字面とは裏腹に、妙に迫力たっぷりに響いてくる声。

 背中に雪でも入れられたかのようなゾクリとした感覚に目を覚まされ、慌てて横を向く。首がゴキリと嫌な音を立てたが、痛みなど、顔中を覆った汗の感覚に紛れて消えてしまった。

 黄泉宮美々夜。

 氷芽香を下ろしたことで負担が減り、自分と氷芽香の分の鞄を携えた美々夜が、壮絶な笑みで俺のことを見ていた。

 異能とか魔法とか抜きにしても、冗談抜きで、RPGの魔王みたいな雰囲気で。

「ヤ、ヤダナァ違イマスヨ美々夜サン、ソンナ訳ナイジャナイデスカハハハハ」

「うんうん、分かりやすい男の子は大好きだぜぇ、礼儀少年」

 腰を曲げた美々夜が、俺の顎に指を擦りつけてくる。

 …………怖い。いやもう本当に俺が小動物とかレベル1の勇者とかだったらショック死していてもおかしくないくらいに怖いですマジで。

「い、いやいや美々夜。落ち着けよ、俺はその、あれだ、とにかく真城のことを見つめていた訳じゃあないんだよ。えと、その、あれだ、そう! 部屋! っていうか内部! 逢魔ヶ城の内部について、思いを巡らしていただけなんだよそうだそうなんだよ!」

 饒舌なんて言葉とは縁遠いと思っていた唇が、油でも差したようにすらすらと動く。人間、追い詰められると向き不向きなんて贅沢は言えなくなるのだと、改めて気付かされてしまった。

 とはいえ、逢魔ヶ城の内部。

 近くに誰もいないにも拘らず、独りでについでに控えめに開いた扉の中の様相に、驚かなかったと言ったら嘘になる。率直に言えば、俺は拙い期待も予想も全て裏切られ、物の見事に度肝を抜かれてしまった。

 結果から言って、逢魔ヶ城の内部には、俺含め5人が生活できるスペースなど、腐るほどに有り余っていた。

 それもその筈だ。逢魔ヶ城とは、あのちゃちいケーキみたいな建造物のことではなく――――その地下に広がる空間のことを指していたのだから。

 扉を開けた先にあったのは、地下へ続く階段だった。天井すれすれになる頭の位置を上手いこと調整し、地下に辿り着いた俺の目に飛び込んできたのは、壁から天井から扉から廊下から床からなにからなにまでもが、全て機械によって形作られた空間だったのだ。

 そんなに深い場所ではあるまい。いや、どこまで深い場所であろうと、こんな空間を個人が勝手に作っていい訳がない。入ってから数分も経っておらず、だから全貌なんて窺い知ることさえできないのだが、遠くから微かに響く機械音などから察するに、この空間は相当の広さを持っているのだろう。

 …………大丈夫なのか? ここ。

 この街が田舎に類される場所でよかった。都会だったら間違いなく、地下鉄の餌食になっていただろうからな。

 という訳で、俺の疑問への回答――――居住スペースは、地上ではなく地下。

 場所がないから地下へ移すという発想は地下鉄のそれとなんら変わらないのだが…………場所、あんじゃん。土地なら余ってんじゃん。

 どんだけ土地遊ばせてんだよ。

 どうせ研究の機密事項を保持する為とかそんなところだろうけれど…………いや、個人の趣味嗜好に口出ししてもしょうがないか。

 取り敢えず思うのは――――金持ちっていいな。

「ほぉほぉほぉ~ぉ。まぁ確かになぁ、礼儀少年はあたしらの住まいについて、色々考えちまってたみたいだしねぇ?」

「……? な、なんだよ。お前、なんか声が生き生きしてないか?」

「そぉれだけ礼儀少年がぁ、あたしを楽しませてくれてるってことだろぉ? ところで礼儀少年…………あたしさぁ、別に『真城ちゃんを』凝視していることについて怒ってた訳じゃないんだけどなぁ?」

「…………へ?」

「だぁってそうだろぉ? それとも言ったか? あたしってば、ちゃんと口にしたかぁ? 『なぁに真城ちゃんを凝視しちゃってんのかなぁ?』とかさぁ」

 …………言って、ねぇ――――言ってねぇっ!?

 なっ、で、でもこいつ、話の流れ的には…………うぐっ! やべぇ、話題を変えただけとか言われたら、なんの反論もできない間ぁ取ってやがった!

「…………お前、人で遊ぶのも大概にしやがれよ……!」

「遊ばれちまう礼儀少年が悪いんじゃねぇのぉ?」

 ……言い返せねぇ。

 真城をからかって遊んだ結果、大失敗をかました俺だ。人をおちょくってくる美々夜に対して、説教臭いことを言う資格などないのか…………。

「……ど~でもいいけどさー、ごはんまだー?」

「…………氷芽香、お前のそのマイペースも、いい加減どうかと思うぞ?」

 びっくりするほど話題転換が唐突である。

 だが、氷芽香の談にも一理ある。ただでさえ無駄に時間を喰っている上に、1日中ほとんどなにも食わずに活動してきた俺の身体は、そろそろ限界近い。昼以降飯など食っていないであろう他の4人にしたって、それは同じだろう。

 ここでダラダラしてんのも、まぁ楽しいと言えば楽しいが、楽しさだけでは腹は膨らまないのである。

「しょうがねぇ。取り敢えず、俺は飯作ることにするけど…………そういえば、時音は?」

「んあ? あー、そういや落とし穴に落ちたままだっけか。ったく、相手を確認するとかしてから作動させろよなぁ、真城ちゃん」

「う…………ごめんなさい、です……」

「んじゃー、時音は私たちがなんとかしよーではないかー美々夜ちゃーん。さささ、牢獄へれっつらごー」

「…………牢獄?」

 おい、今なんかすっげぇ物騒な単語が聞こえたんだが?

 あの不審者撃退用の罠、一体どういう仕組みになってんだよ……謎だらけだな、逢魔ヶ城。

「って、ちょっと待て氷芽香。なに? 俺と真城、2人だけで料理しろってのか?」

「他になにがあるってーのさー?」

 不思議そうに、寝惚け眼で問い返してくる氷芽香。

 灰色の機械で埋め尽くされたここでも、氷芽香の白髪はとても綺麗に揺らめいている。そんな氷芽香に(クソ眠そうな口調でとはいえ)訊ねられては、自分の些細な不満など忘れてしまいそうになる。

 ……でも、流石にこの展開は気まずいっす。

 いきなり真城と2人きりとかは…………正直、間を持たせられる自信がない。

「……………………ぁ」

 ほら、お前の後ろにいる真城だって、すげぇ気まずそうに目ぇ逸らしたぞ、今。

「しょーがねーじゃんかよー。だって真城がいないと、火も使えないしー、そもそも明かりだって懐中電灯くらいだよー? それでからあげ作ってくれんならー、真城も貰ってくけどー」

「ほらほらぁ、よく聞くあれだぜぇ? 礼儀少年。お前なんぞに娘はやれんっ! ってかぁ?」

「ふぇ? ふぇ、ふぁぁああぁ?」

 巫山戯た声を出す美々夜と、それでまたもや混乱してしまう真城。

 あぁ、もうまったく可愛いなぁこいつは。

 ……って、いやいやそうじゃなくて――

「あの、せめて氷芽香は残るとか――」

「きゃーっか。私は眠いからー、美々夜に負ぶわれていくのだぜー」

 そう言った直後の氷芽香の行動は、台詞の嘘臭さを一層助長するように、俊敏で素早いものだった。

 縋るように手を伸ばす真城を振り払うように、氷芽香は千鳥足で美々夜の元まで歩み来る。その細い手を取り、鍛錬を繰り返した組体操かなにかのように、美々夜は氷芽香を軽々と背中に負った。

 そしてそのまま――――意地の悪そうな笑い声だけを微かに残し、幾重にも伸びた廊下のどこかへと消えてしまった。

 一瞬の犯行である。

 残されたのは、俺と、真城だけ。

 向かい合うように立ち尽くし、2人してぎこちない笑顔だけを作っている。

「……………………」

「……………………」

 …………間ぁ!

 ほら言ったじゃんっ! 間が持たないって言ったじゃん! ダメなんだよ俺ってこういうのっ! 自分から話しかけるとかそういうのかなり苦手なんだよっ!

 なんだこれ? なんなんだこれ?

 2人が消えていなくなっただけで、5秒と待たずにこの様かよ!

 あぁ畜生! 自分の対人スキルの低さが恨めしい! 時音も美々夜も氷芽香の奴も、無駄によく喋る奴だから油断していた!

 あ~もうどうしようかな本当。飯は作んなきゃだし、だけどすげぇ気まずいし、あぁそもそも台所の場所とか訊かねーとなぁ。しっかし、俺と真城とでちゃんと会話が成立するかどうかがそもそも怪し――

「あ、あのあの、ちょ、ちょっといいです、か? その、礼儀、さん?」

 ――あれ?

 もしかして俺、今、真城から声かけられた?

 しかも、今度は3点リーダが1個もないよ? 割と流暢に喋ってたよ?

「あ、あぁ。なんだ、真城?」

「ひゃうっ!? ごっごめんなさいっ!」

 …………。

 ……何故、何故応じたら謝られたんだ?

 俺って、そんな怖い顔してたのかなぁ? どちらかといえば、女っぽいと評判な筈なんだが……。

「あっ、そ、そのいえ、だからえと、違くて、だから…………あの、礼儀さん! あ、あのですね、あの、そのだから、えっと、その…………ま、まずは、ありがとう、ございます……」

「…………?」

「あの、その……時音さんに、協力してくれて…………あの、わたし……うれしい、です……えと、ありがとう、ございます……」

「……別に」素直じゃない俺は、真っ直ぐな瞳に見つめられるのに耐えられなくて、視線を横へ逸らした。「別に、半分嫌々でやってることだしな。気が向いたから、飯くらい作ってやろうと思っただけだ。勘違いしてもらっちゃ困る」

「え、あ、はい、ごめんなさい……………………成程、礼儀さんはツンデレ、と……」

 ん?

 なんか今、清純そのものっぽい見た目とは裏腹な単語が、その小さな唇からこぼれたりしなかったか?

「あ、あの、えと、その……わたし、時音さんとは、その、長い付き合いなんです。えと、だから、その…………な、仲良く、して下さると、えと、うれしい、です……」

「そんな固くなんなくてもいいぜ? 敬語なんか、使わないでくれよ。擽ったい」

「あう、その、これは癖、みたいなもの、ですから…………」

 敬語が癖、ねぇ。そりゃ、就職試験なんかの時には役に立ちそうだ。

 しかし、そんな従者っぽい言葉遣いの割には、出で立ちがフリフリのパジャマというお嬢様ルック。勝手なイメージで悪いが、なんとなくちぐはぐな感が否めない。

「そ、そのえと、じゃあ、礼儀さん。敬語は無理ですけど、その、代わりに…………わたしの、好きなことを、教えます。えと、多分、礼儀さんも好き……だと、思いますから…………あの、きょ、共通の話題って……えと、なんでしたっけその……じゅ、潤滑油? ですし。あの、に、人間関係の……」

「好きなこと……それって、要するに趣味ってことか?」

「あ、は、はい。きっと、礼儀さんも、その、好き、だと、思います……」

 やけにそこを強調してくる真城の頬は、そこはかとなく赤く染まっている。

 しかし、共通の趣味ね。

 俺の趣味は、男子としてはややアブノーマルな部類に入るから、今まであまり同好の士というのはいなかったんだよな。まぁ、女の子の真城となら、ひょっとしたら話が合うかも知れない。

 見た感じじゃ、俺の好みと合っているしな。

「ふぅん。それで、真城はどんなことが好きなんだ?」

「あ、えと、はい。あの、わたしはですね…………」

 もじもじと腰をくねらせ、恥ずかしそうにしながらも、真城は自信満々のいい笑みで言う。

 …………俺はこの日、かけがえのないものをいくつも学ばせてもらったが、こいつとの絡みがまさか、1番大きなものの学習になるとは思いもしなかった。

 即ち――――人は、見た目によらない。


「わたし、わたしは―――――お、女の子の裸とかっ! と、特にうなじと太ももが好きですっ! れ、礼儀さんは、どうですか?」


「……………………………………………………………………………………………………………………………………さぁ、飯を作りに行こうか真城。台所はどこだ?」

「うわーんっ! む、む、むむむむむむむ無視しないでくださいですよぉっ!」

 すたすたと、横を通り過ぎようとした俺のことをぽかぽか叩きながら、真城は必死になって叫ぶ。

 ……いや、無視するよ。無視させてくれよ。これ以上はもうお腹一杯だよ。

 三ツ橋ヶ丘の奴らといい、該斗といい、遠乃先生といい、時音といい美々夜といい氷芽香といいこいつといい、個性という名の灰汁が強過ぎて胃凭れしちまう。

 研究バカに下ネタオヤジ、意味不明の不思議ちゃんで、養うべきなのはもう充分だっていうのに、そこに更に女好きの痴女野郎まで加えられるか。初対面の人間に対して、少し自重するっていうことを覚えやがれ。

 あー、遠慮する気ぃ失せたわ。

 ここまで計算尽くだとしたら大した奴だが、残念なことに真城からは、美々夜ほどの視野の広さは見受けられない。

「だってだってだってだってぇ! 毎日毎日美少女3人の若い肉体をまざまざと見せつけられてるっていうのに、その素晴らしさを分かち合える同志がいなくて困ってたんですよぉ! 礼儀さんだって男の子なんだから、女の子の身体については興味びんびんでしょうっ!?」

「変な言い間違いをすんなこの変態っ! さっきまでのおどおどキャラはどこ行きやがったっ! あと、そういうんだったら美々夜を誘えっ! 俺を巻き込むなっ!」

「胸とか腰とか身長が1番丁度よくてえろっちいのが美々夜さんなんですよっ!? 本人にそんなこと言えませんっ! で、でも、時音さんのつるぺた寸胴ボディも、氷芽香さんのロリ巨乳も堪らなくって――――あぁもうあの3人の太ももに挟まれたいですっ! とか思いませんですかっ!?」

「思う訳ねーだろっ!」

 ぐわしっ!

 怒涛の勢いで繰り出されるエロトークと、一瞬たりとも休むことなく続けられていたぽかぽかパンチ(勿論ノーダメージ)が鬱陶しくて、俺は振り向き様、丁度いい位置にあった真城の頭を片手で掴んだ。

 左手に鞄やら買い物袋やらを集中させたお陰で、なかなかに腕が痛いが…………そんな感覚よりも、右手を包み込む髪の毛の柔らかさに、俺は一瞬だけ、意識をまるごと持っていかれた。

 うっわ、柔らけっ!

 なにこいつ、っていうかなにこれ! 本当に人体の一部か? 髪の毛だっていうのに、マシュマロでも掴んでいるみたいだ。

 …………いや、いかんいかん。危うく触り心地で誤魔化されるところだった。

「ったく。どうしてこうも、一皮剥いたら爆発的に変な奴ばっかり、俺の周りには集まるんだよ…………とにかくっ! 真城ぉっ! 今はとにかく飯を作んのが先決、だろ、う、が…………?」

 と、俺の言葉は、吐き出していけばいくほどに、尻すぼみになっていった。

 正確に言えば、台詞どころか声さえも、まともに出せなくなっていったのだ。

 断わっておくなら、俺は別に真城に毒など盛られていないし、それどころかなんら特別なこともされてはいない。無事で無傷で、異常などなにもない。真城が魔法を使ったのでもない。

 そう、俺はなにかをされているのではない。

 客観的に見れば、なにかされているのはもう一方の、真城の方だ。

 何故ならば――


「ぅ……はうぅ……ふぁっ! や、ぅ、くぅぅ…………!」


 ――俺に頭を掴まれた真城は。

 全身をぴくんぴくんと痙攣させ、恍惚に顔を歪めているのだから。

「あ、ぅうん……ひぁっ、ふぅ…………ふぁぁ……れい、ぎ、さぁ……ん…………やぁ、もっとぉ……」

 優しく目は閉ざされているが、目尻にはうっすら涙が浮かんでいる。頬は絵の具で塗ったくったかのように真っ赤に染まり、だらしなく開いた口からは、艶めいた言葉と共に涎が流れている。

「…………ぅわ」

 これは…………はっきり言って、ヤバい。

 16歳、思春期真っ只中の男子にとっては、目に毒過ぎる映像だ。

 包み隠さずに表現するならば――――エロい。

「ふぁ――――ひゃうぅっ!」

 がくんっ!

 立っていることにすら耐え切れなくなったのだろうか。真城はその場で膝をつき、倒れそうになる身体を、俺の足にしがみつけてきた。

 時音のそれよりは、少なくとも膨らみをもっているであろう胸が、丁度膝の辺りに当たる。

「っ!?」

 ぐったりとした調子の真城は、しかし、その動きを止めることはない。

 俺の足に、細い腕を巻きつけてくる。神の像かなにかに縋りつくかの如きその動きは、酷く手つきが柔らかい。足をなぞられる度、ゾクゾクとした刺激が脊髄を通って全身を駆け巡ってきた。

「……ま、真城……」

「ふぁっ、ふ、くぅん……! ひぁ……や、礼儀さぁん……ぅ、くぅっ!」

 卑猥な吐息を繰り返す真城の頭を、髪を。

 気付けば俺は、夢中になって撫で回していた。

 可愛らしいとか、そんな表現で彼女を評していたことが、今は恥ずかしいとさえ思えてしまう。これは、そんな陳腐な言葉じゃ言い表せないだろう。それでも、どうにか拙い語彙から相応しい表現を探して当て嵌めるなら――――きっと、蠱惑的、なんて言葉が似合う。

 理性を容易く溶かして蕩けさせて、妖しい境地に誘う魔性。

 昏睡ヶ原真城の容姿は、挙動は、表情は、その吐息は、その一点に特化したかのように妖艶で、だから、俺は。

 俺は。

 理性を擲って。

 そのまま、本能に流されるままに。

 鞄も袋も、全て取り落として。

 両の手で、真城の頭を取った。

 包み込むように触れた、その手は。

 するすると、引き寄せられるように動き。

 やがて、耳を、頬を、顎を、首を。

 撫でて、そのまま、鎖骨へ至り。

 そして、パジャマのフリルを押し退けて。

 微かな膨らみを持つ、胸の方へと――


「人が罠に嵌められて四苦八苦していたっていうのに――――随分と楽しそうな事をしているのね? 2人とも」


 空 気 が 凍 っ た 。

 時 間 も 止 ま っ た 。

「ふ、ぁ……? あ、ぇ……れい、ぎ、しゃん……?」

 真城の頭はまだぽんやりしたままらしいが、生憎、俺の理性は他人の一声で簡単に戻ってきてしまうほど、強固ではあったらしい。

 もう少しで濡れ場に突入してしまいそうだった手をゆっくりと背中に回し、ぎぎぎ、と首を動かす。俺から見て右手、声が聞こえてきた方向に、精一杯の愛想笑いを浮かべて。

 笑っているようではあるのに、その癖どこまでも冷たい、あの声の源泉へ。

「………………………………………………よ、よぉ時音。無事、か?」

「真城はね、わたしの実験体の中でも唯一、魔法のメカニズムが分かっている子なのよ」

 一体どのような大冒険を繰り広げてきたのだろうか。

 頬の筋肉が攣ってしまいそうな笑みを浮かべ、俺のすぐ横で仁王立ちしている時音は、1ヶ月かそこら野宿でもしてきたような格好をしていた。

 黒い髪には、得体の知れない植物の枝葉が絡みつき、制服は泥で汚れていない場所の方が珍しい。手や頬の所々に擦り傷ができており、その付近では血が赤茶色に固まっている。魚の骨や濁り切ったセロハンテープなど、一体どこで引っ付けてきたのか、見当もつかないゴミなんかも装備しているが…………それは、まぁともかく。

「昏睡ヶ原真城の魔法は、常人に比して脳からの電気信号が過多なこと、そしてその余剰電力を細胞が保持し、尚且つ電化製品に対応できるように変圧等ができることによるものよ。どうしてそうなのか、までは分からないけれど、少なくとも理屈は解明済み。色々実験もしてみたけど、真城の細胞が特別性なのは、疑いようもない事実よ」

「……へ、へぇ、そうなのか」

「ただ、厄介なのはその魔法の副作用でねぇ」ふぅ、と頬に手を当て、困ったように時音は言う。「電気信号が過剰ってことは、つまり必要以上に感覚が鋭敏ってことなんだよね。人間の動きやら感覚やらっていうのは、結局は電気信号が脳で解釈された結果だからね。例えば、常人が痛みを感じた時、脳に送る電気信号の量が1だとするわ。でも、真城は同じ痛みを受けても、50とか100とかっていう量の電気信号を脳に送っちゃう。すると、痛みも常人の50倍とか100倍とか、そんなことになっちゃうのよ。…………なにが言いたいか、分かるよね?」

「……え、え~と」

「つまりね、礼儀」ザンッ! と時音は一歩前に出た。「真城はね、真城はね、昏睡ヶ原真城っていう少女はね――――常人の数十倍から数百倍の感度を持っていて、有り体に言っちゃえば、ちょっと触られただけですっっっっっっっごい気持ちよくなっちゃうんだよね」

「……………………」

 痛みの例を聴いた時は、純粋に恐ろしかったんだが。

 副作用って…………つまりは、そういうこと?

 じゃあ、このへろへろな状態の真城は、副作用の所為で、つまり…………俺が触ったから?

 ってことは……もしかして、俺の所為?

「ま、待て時音。あの、俺ってば実はそういうことまったく知らなくて――」

「…………事前に説明しなかったわたしも悪いし、放置しておいた美々夜や氷芽香も悪いわね。悪い、悪い、えぇそうよ分かっているよ? あんただけに責任があるんじゃないって、わたしはわたしはお利口さんだから、ちゃぁんと分かっているわよ?」

 でもね。

 ザンッ! と、時音はもう1歩だけ前に出る。

 ついさっきまで、俺のすぐ近くの床を踏み締めていた右足は、今、地面を踏んでなどいない。

 今にも折れそうなくらいに細いそれは、しかし――――時音の後ろで、怨敵でも蹴り飛ばさんとしているかのように、高々と振り上げられていた。

「――――」

 言い訳を、しようとした。

 だが、そんなことを許してくれる寛容さを時音は持ち合わせていなかったし。

 後からよくよく考えれば、俺も言い訳が立つようなことをしていた訳ではなかった。

 けれど。


「強姦紛いの変態野郎には――――お仕置きっていうのがこの城の掟よぉっ!!」


 けれど、けれどもさぁ。

 男子高校生の身体が浮いちまうようなキックを、事もあろうに鳩尾に叩き込むなんて。

 いくらなんでも酷過ぎると――――俺は、遠退く意識の中で呟いた。


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