4.存在証明という名の猛毒
その日から、アルフレートは変わった。
というより、壊れたと言ったほうが正しかった。
夜明け前に誰よりも早く起き、凍えるような井戸水を汲み、固い地面を血が滲むまで耕す。
リサが「これだけでいい」と指示した仕事量を、彼は二倍、三倍にして取り憑かれたようにこなし続けた。
かつての軟弱な掌は、瞬く間にマメが潰れて血に汚れ、剥き出しの背中は日差しに焼けて赤く腫れ上がった。それでも彼は、痛みに顔を歪めることさえ悦びであるかのように、無心で体を動かし続けた。
「……アルフレート、そこまでやらなくていいって言ったわよ。屋根の修繕は明日でいいわ」
「いいや。俺にできることは、これくらいしかないからな。……いや、これすらできなくなったら、俺には何も残らないだろう?」
アルフレートは、泥と傷にまみれた顔で、リサにだけは「神の美貌」と称された微笑を向けた。
かつての傲慢な笑みではない。
それは、飼い主に見捨てられることを恐れ、必死に尾を振る、飢えた獣の卑屈な笑みだった。
(もっと働かなければ。もっと価値を見せなければ。さもなければ、リサは俺に興味を失う。セシリアと同じように、俺を『不要なもの』として切り捨てるんだ)
彼は、リサが自分を見守る「視線」だけを唯一の命綱にしていた。
彼女が近所の農夫から野菜を分けてもらい、楽しげに笑いかけているのを見るだけで、アルフレートの心臓は万力で締め付けられるような激痛に襲われる。
かつて、優秀な婚約者に抱いていた嫉妬とは違う。
それは「自分という存在が世界の端から押し出され、消えてしまう」ことへの根源的な恐怖だった。
その強迫観念が、ついに限界を迎える。
夏の盛り、炎天下で一日中薪を割り続けていたアルフレートの視界が、不意にぐにゃりと歪んだ。
頭蓋の奥で警鐘が鳴り、膝から力が抜ける。
「あ……」
手から斧が滑り落ちる。
ドサリ、と重い音がして、黄金の髪が土にまみれた。
「アルフレート!?」
リサが駆け寄る声が遠くに聞こえる。
意識が遠のく中で、アルフレートは朦朧としながらも、自分の体を抱き起こしたリサの服を、力なく、けれど必死に掴んだ。指先が彼女の安物の布地を真っ黒に汚すが、構っていられなかった。
「……リサ……見て、くれ……。俺、今日は……昨日より、たくさん……割ったんだ……。だから……」
「馬鹿ね、あんた。こんなになるまでやるなんて――」
「捨てないで、くれ……っ。俺が、空っぽじゃないって……お前だけは、認めて……俺を、一人にしないでくれ……リサ……!」
熱に浮かされた瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
王宮で誰からも愛されず、誰も愛さず、虚勢だけで生きてきた男が、今、ボロ家の庭で少女の膝を子供のように濡らしていた。
リサは溜息をつき、熱を持った彼の額に、濡らした布を置いた。
そのひんやりとした冷たさに、アルフレートは安堵したように喉を鳴らし、彼女の細い指にしがみつく。
「……本当、馬鹿だわ。誰が捨てるなんて言ったのよ。あんたをここまで運んだ手間を考えたら、元を取るまで死なれてたまるもんですか」
リサにとっては、どこまでもドライな「実利」の話だった。
だが、意識の混濁したアルフレートには、それが「お前は一生、私の所有物だ」という究極の愛の誓いのように響いた。
「そうか……俺は、お前の役に立っているんだな……。なら、いい……」
リサの手を握ったまま、彼は深い眠りに落ちた。
暗い意識の底で、アルフレートの心には、歪で強固な「依存」という名の楔が、もはや一生抜けないほど深く、打ち込まれていった。




